北京で太極拳

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王翡“幽蘭操”。。。「孔子」主題歌


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午後から降りだした雨。
天気予報通り、夜には雪になり。

長拳練習を終えた頃には、
かなり、降り積もっていました。


中国で評判になっている映画“孔子”
王翡が主題歌を歌っていることも、大きな話題になっています。
それにしても、綺麗な映像。きっと、日本でも上映になることでしょう。(#^_^#)




子曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

という言葉で有名ですが、、、その一生は、恵まれたものではなかったようです。

紀元前551年(一説には552年)、現在の中国山東省にあった魯(ろ)国に生まれる。
父の名は叔梁紇、母は顔徴在とされる。生まれて七歳(八歳とも)の頃、父に死なれ貧しい生活を余儀なくされる。そのためにいろんな仕事に従事したとされる。
身長は9尺6寸、1尺を19.6cmとすれば188cmの長身で、世に「長人」と呼ばれたという。
十五歳の時に学問で身を立てようと決意したと論語に見える。以来学問に励み、世の中を平穏に保つには、周の国を作った文王武王の道を実践することであるとの結論に達し、その実現のために奔走する。しかし、魯の国では国主は名ばかりで、実権は家臣が握り、その家臣とても家来に地位を脅かされるのが現実の、混乱状態にあった。魯に絶望した孔子は、35歳頃、隣国の斉に趣き、仕官を求める。国主の景公(けいこう)は迎え入れようとするが、補佐をしていた晏子の意外な反対に遭い、失意の内に魯へと戻る。

魯へ戻った孔子は弟子達へ「仁=思いやり」を第一とする教育にあたり、仕官の道を待つ。
そして40歳の頃魯に迎え入れられるが思うように仕事ができなかったようで、当時魯の実権を持っていた季氏に背むいた公山不擾の誘いに乗りそうになるなど、孔子自身も心が揺れる。

孔子が54歳の頃(前496)、魯の指導者達に失望した孔子は魯を去ることを決意、
孔子を採用してくれる国々を求めて諸国を遍歴する。この間盗賊と間違えられ襲撃されそうになるなど苦難の連続であったが、天が与えた道を実践する自分を誰も殺すことができない、との強い自信のもと難局を乗り切る。この間孔子が遍歴した国は、衛→陳→衛→宋→陳→衛→陳→蔡→葉→衛→魯

68歳で魯に戻った孔子は、官職に就くことを求めず、弟子の教育に専念していく。子の鯉やもっとも信頼を寄せていた弟子の顔淵、さらに勇敢で通った子路を失うなど失意が続いた。しかし孔子はそうした状況にあっても自己完成を怠らず、人の道を追求し、前479年、この世を去った。
by takeichi-3 | 2010-02-01 23:47 | 中国映画音楽 | Comments(0)