北京で太極拳

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一代宗師葉問(イップ・マン)。。。

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ベルリン映画祭で、
間もなく上映されるというトニー・レオン主演の「一代宗師葉問」
詠春拳のブームは、いまだに衰えを見せません。


こちらは、
昨年の5月連休に公開されたドニー・イェン主演の「葉(叶)問2」に合わせて放映された番組。
“一代宗師叶問”

葉問(イップ・マン)って?
広東省仏山桑園では知る人がいないというほどの大富豪の家に生まれた。本名は葉継問。
西洋のボクシングに勝利したことで拳史に名を残している、ブルース・リーの師父。
ブルース・リーは、詠春拳を基礎に色々な武術を融合させて独自の“截拳道”を創り、自らの身体を武器にハリウッドに乗り込み「功夫=chinese kung-fu」を世界に認識させた。

そのブルース・リーに影響を与えた葉問について見てみましょう。



仏山は、中国四大名鎮の一つで商工業が発達していた。
清朝末期になると工人が大量に失業。マフィアの犯罪が横行し始めたので、人々は自衛の為に武館で武術を習うようになった。この頃、武館は空前の繁盛ぶりを呈していた。

武術の郷とも呼ばれている仏山は南派武術の重要基地。
洪拳、精虎、白眉、蔡李仏、龍形、詠春といった拳があり、黄飛鴻、張鴻勝、梁賛、憑小清などの武人を排出している。

詠春拳の名を広めた梁賛は、仏山“賛生堂薬堂”の儒医⇒仏山賛先生と呼ばれていた。
叶葉に詠春拳を教えた陳華順(梁賛の高弟子)の職業は両替商⇒找銭華と呼ばれていた。

陳華順は桑園の祠堂を借りて詠春拳を教えていた。
その訓練を垣間見た葉問はその教えを受けたいと弟子入りを志願したが、陳華順は、拒絶の意味も込めて100龍銀(1龍銀⇒五~六百香港元)を要求した。けれど、当時7歳(師父との年齢差は40歳以上)だった葉問は、数日後に100龍銀を自ら師父に捧げ、その熱意が伝わり弟子入りを許される。

葉問の覚えの早さや性格の良さに、陳華順は喜んで技術を伝えた。
以降、陳華順が内弟子を取ることは無かった。

ある時、陳華順の息子が薬書と武術書を60両の支払いに当ててしまったことがある。彼はその書を買い戻して葉問に与えた⇒詠春拳の将来を葉問に託した。6年後、陳華順の臨終に際して葉問の指導を命じられた呉中素は、葉問に師父から受け継いだ技術を伝えた。

16歳になると香港の学校に入学。
そこで、偶然、梁賛の息子梁壁に会い切磋琢磨~毎日のように手を合わせるが負けてばかり。
ついには足を向けなくなってしまった。
心配した梁壁は、あちこち探し~独自に研鑽している様子を目にして、葉問に父の技術を伝える。

西洋の知識を身に付けた葉問の教え方は、それまでの武術とは異なるものだった。
儒教教育で育っていたので、八卦、五行は修めていたが、科学、力学、幾何学を利用した教え方は非常に分り易いものだった、、、生徒の進歩に応じて教え方も変えていた。
多くの老師が嫌う生徒からの質問にも快く答えた。

葉問詠春拳は、柔らかさとスピードに重きを置いていた。相手の1打に対して3打を発する。
これは、彼が小柄だったことに由来している。




by takeichi-3 | 2011-02-11 23:54 | 偉人たち | Comments(0)