北京で太極拳

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1950年代の太極拳。。。北京

1950年代に撮影されたという太極拳の映像。
場所は、中山公園っぽいのですが、、、



登場するのは、
李尧臣(最後の用心棒:無極刀の創始者)
陳照奎(陳式)
孫剣雲(孫式:孫禄堂の娘)
汪永泉(楊式)
楊禹廷(呉式)
李秉慈(呉式)

一番手は、李秉慈老師。
以下は、拳の特徴から判別してください。


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これは、李尧臣(1876~1973年)の写真。
18歳の時に、北京で一番大きな镖局(運送局)に勤務。
当時は、金銭などの輸送もしていたので腕の立つ武人を雇っていました。

交通機関の発達に伴い、1921年に镖局が解散したのを期に27年務めた镖局業務から離れ、天橋水沁亭に“武術茶社”を開設。この会は、武術を習うのも見学も無料。ただし、お茶を注文する~というシステム。
この頃、京劇の名優“梅蘭芳”に覇王別姫での剣の指導をしたり、西遊記内の猿拳指を指導したりもしました。

西太后の前では八仙喜寿剣を表演技。その武功を絶賛した西太后は「長虹宝剣」を授けたとか、、、
解放后には、毛主席の前でも武術表演を行いました。

李尧臣は河北冀県李家庄人。
政治が腐敗し、社会が不安定な時代に育ちました。そんな状況から、自衛の意味も兼ねて武術を習う人が多く、各村々には練拳場が出来ていました。当時、彼が習ったのは“太祖拳”

镖局に勤務する人たちは全て師弟関係で結ばれていて、北京でも最大といわれていた李尧臣の働き口友镖局では千人余りが功夫で稼いでいました。李尧臣の師父は宋彩臣、師叔は鲁玉璞、他に王芝亭、王福泉、胡学斌など武芸は高く、用心棒としての名を轟かせていました。

李尧臣がここで身に付けた拳は、三皇炮锤,六合刀、大槍、三十六点,二十四式など武芸十八般。
その他に、水上功夫、水里短家伙、雁月刺、峨眉刺、梅花状元筆等々、水陸の功夫を身に付けたばかりではなく、暗器⇒斤镖(镖の重さが一斤)、緊背花装弓、飛蝗石等。軟硬功夫に飛廂走壁、蹿房越脊(屋根に飛び上がり、屋根伝いに逃げる)などもこなしました。
※ほとんど、忍者の世界~(#^_^#)。。。

これだけの武芸者。数多くの武勇伝を残しているようですが、、、
彼が生前に口述したという書籍「最后的镖王」が出版されています。
by takeichi-3 | 2011-03-24 23:53 | 太極拳 | Comments(0)