北京で太極拳

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富春山居図。。。

最近、北京の故宮博物館から台北故宮博物館に搬入された黄公望の代表作≪富春山居≫の前部分。
本来は一副の6mもある山水画。それが、いつしか二分され、台湾と中国に~

今週に入ってから、この絵を題材とした映画の撮影も始まったそうです。



中国清朝の始め、江蘇省宜興の宦官の家。この家の老人呉洪裕が臨終に際して家人が集まり最後の言葉を待っている時、呉洪裕の眼が枕元の宝箱に注がれたのを見て直ぐに理解した家人は、彼の前に画を広げると~その眼の端には涙が滲んだ。その後、最後の力を振り絞って「焼け」と一言、息を引き取った。

家人たちはこの言葉に驚いたが、敢えて反対を唱える者はいなかった。
衆人が見守る中、画は火にくべられて。正に火が移ろうかという時に甥が飛び出して、火の中から画を取り出したが、間に穴があいてしまい一大一小に分断されてしまった。

この画を描いた黄公望は、王蒙、倪瓒、呉鎮と合わせた元四画家のトップ。
1269年の生まれ。子供の頃から画が好きだった。
中年期に陥れられて入獄。出獄後に杭州にうつり50歳過ぎから山水画を習い始めた。大器晩成の彼が有名になったのは70歳を過ぎてから。富春山居图の制作に全生命を注ぎ、書き上げると間もなく86歳で逝去。

富春山居图は、生前に親交が厚かった無用和尚に贈っていた。このことから後部は「無用師巻」と呼ばれる。

この画が世に出ると共に、文人たちは競って手に入れようとした。
何人もの手を経ながら、明代の有名な画家沈周の手へと渡った。沈周は、何度も何度も繰り返し眺めては模写していた。ある時、この画に名のある人の題字が欠けいることを残念に思い、題字を書いてくれる人を求めて画をあちこちに運んでいる途中で失ってしまった。

傍が驚くほどに大声を上げて泣いた彼は、記憶を頼りに模写版を書きあげた。
この画には、自身の号(石田)を冠して、≪石田富春山居≫とした。

その後、民間に流伝していったこの画は、500年後の1996年。北京のオークションで北京故宮博物館が880万元の値で買い取った。

沈周が失った富春山居は、長い間行方不明となっていたが、明代の画家薫其昌が所有。自身の名を収蔵者として記している。晩年になって、呉洪裕の祖父に売却した。

現存する黄公望の画は10幅余り。
1745年、コレクション好きな乾隆帝が富春山居を手に入れたが、、、その後間もなく、別の富春山居に出会うことになる。先に買った物と良く似ている。。。仔細に調べた結果、先に購入した物が本物と判断した。

その後の100年余り誰も皇帝の鑑定を疑わなかったが、清朝が滅びてから、ある学者が異議を唱えた。
後に購入した画には焼け焦げや修復の痕跡があり、歴史的な記述と符合している。皇帝により本物とされた画は、子明巻と呼ばれた中国明代末の文人臨拳の手によるもの。

清朝が滅んだ後、北京故宮博物館に収蔵された富春山居图。1948年に国民党政府によって台湾に運ばれた。

前部分(剰山图巻)は、清代にコレクターの間を転々とし、抗日時には画家呉湖帆の手に。それ後、浙江省の画科沙孟海の手に渡り、新中国成立間もなく浙江省博物館に寄贈された。

この6月11日から、台北故宮博物館に並んで展示される。
by takeichi-3 | 2011-06-23 23:53 | いろいろ | Comments(0)