北京で太極拳

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孔子生誕2062年。。。

孔子生誕2062年行事があちこちで行われている中国。

孔子の肖像画から孔子を語る番組が。。。



孔子⇒名≪丘≫、字≪仲尼≫
紀元前551年に魯国昌平郷(現在の山東省曲阜南辛鎮)で生まれた。
孔家は宋国の貴族だったが、先祖の孔父嘉が内乱で殺され~家族は魯国に逃れた。当時は、社会秩序が乱れた時代だった。

自身の身分が低いと意識していた孔子は懸命に勉学に励んだ。20歳で博学となっていた。
仕官の望みが薄いと、生徒を募り大規模な私塾を創設。生涯に多くの弟子を育て、その思想は中国歴代王朝に影響を与えた。

数多く描かれてきた孔子像は、時代により変化が見られる。
山東省東平県境内にある漢墓に描かれた≪孔子見老子問礼≫に描かれている孔子は布衣学者(木綿の服を着ている=貧しい)。

中国国家図書館に所蔵されている孔子像(拓片)は、唐代の著名な画家≪呉道子≫のもの。
上質の衣装を纏い、慈悲深く優しい表情。身体を屈め両手を合わせて腰には剣~は、文武を兼ね備えて聖人の形象となっている⇒後の孔子像の手本となっている。

北京故宮博物館に所蔵されている孔子像は、中国に現存する最古の絹本画。
作者は南宋の画科≪馬遠≫
ここに描かれている孔子は、長袍を着用。厳かとして、眉間には凛然とした雰囲気が漂う。
この画の特徴は額の突出。見た途端に神話に登場する≪老寿星≫を思い出させる。
何故、こんな表現を?
額の突出⇒知力の象徴。髪の薄さも又、聖人(智人)に対しての誇張したイメージ。

明から清朝にかけての孔子像にみられる変化。
明代中期の、山東省曲阜孔府に所蔵されている作品。
孔子の半身像は、魯に仕官していた頃の衣装を身につけて、その目は大きく見開かれ威厳に満ちている。

清代の作品≪孔子為魯司寇像≫は。。。
官服に身を包んだ孔子は、穏やかな表情で描かれてる⇒政以徳的神態。

絵画に描かれた孔子の姿は色々あるが、文章として残っているものは少なく大雑把。
有名人かつ政治的知識も豊かな学者なのに。。。
原因は、秦の始皇帝が、首相であった≪李斯≫の「儒家の言葉になぞらえて朝政を誹謗している者がいる。」の言葉に腹を立て、六国人の思想を統一しなければ~と、儒家に対して徹底的な弾圧を行い、また医薬書や農書などの実用書以外の書物を焼き捨てる「焚書・坑儒」を行ったことによる。

また、秦朝末期に項羽軍が咸陽に攻め入り阿房宮に火を放った際にも多くの書物が失われた。
それらが原因となって、孔子の容貌などを記した資料も失われてしまった。

漢朝建立後、漢武帝の下にいた董仲舒(儒家)は、儒教以外の諸氏百家を排斥して儒教を国学と成すことに貢献。これにより創始者である孔子は尊師として崇められるように。。。

資料が失われたことにより、画家それぞれが思い描いた孔子像が生まれた。
姿形を知る術がない⇒その性格や行ない思想などから創造。

孔子の教えを受け継いだ弟子の数は3,000人。
その中で、比較的有名なのは72人⇒≪孔門72賢≫と呼ばれている。
彼らは孔子思想の追随者であり実践者。この弟子たちの容貌を描いた北宋作品が北京故宮博物館に所蔵されている。画家の名は記させていないが、描かれた人物から技術の高さが窺える。

最も有名な弟子たち、子淵、仲弓、子有、子路、子貢、子周など、、、多くの人物が描かれているが、それぞれの特徴が鮮明に表現されている。

子路、子華は学者というよりは武術者的。また、仲弓、子羽、子木などは落ち着いた君主的に。
弟子たちの性格など違いは大きく~ある者は高貴の生まれ、ある者はそうではなく~

孔子の教えを受けた後に変化⇒聖人化。後に諸国の著名な学者になった者も多数。

以降、弟子の一人≪子路≫との故事≪子路問津≫に続くのですが、、、
この辺で失礼します。。。m( _ _ )m
by takeichi-3 | 2011-09-29 23:57 | いろいろ | Comments(0)