北京で太極拳

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朱旭。。。北京人民芸術劇院

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中国国家一級俳優の≪朱旭≫
今年82歳になる彼が、北京人民芸術劇院の後輩たちとともに出演した中国中央テレビの≪大劇観北京≫

暖かい人柄が伝わる内容です。。。



今日のゲスト~皆さん、起立して拍手で迎えようではありませんか。。。
60年来多くの映画や舞台で百以上の役柄をこなしてきましたが、最も大切にしているのは北京人民芸術劇院の舞台。

劇院の後輩たちが語る朱旭。

師傅は穏やかで寛容です。話し方はゆっくりで、いつも笑っています。後輩たちの演技について話し合おうとする時には真っ先に来てくれるので、励みになります。

朱旭老師は覚えていないと思いますが、私は学生の頃からのファンです。
初めて首都劇場で劇団の芝居を見た時、ただ、朱旭老師のサインだけをもらいました。本当に、私たちは、あなたの一番のファンです。人民芸術劇院の基礎を築いたのは朱旭老師です。老師が舞台に立つ時、観客は、その演技に感動するでしょう。私たちは、直接に指導を受ける機会はありませんでしたが、舞台の上の老師を見ることで多くの刺激を受けました。「这您不知到啊(=そのことを、あなたは知らないでしょう)」⇒朱旭の物真似~私たち若手は、誰もが老師の物真似が出来ます。

既に二人の先輩が語ってしまったので、、、朱老師の演技の至るところに価値を見出せます。

朱旭の演劇人生は、照明担当から始まりました。
華北大学の学生演技隊が出来た頃、宿舎の灯りが消えて~私が見当もつかないままにあれこれいじっていたら~直ったんだ。そしたら「朱旭は、電気に詳しい」となって、それで照明係に~

隊には四つの照明があって~今なら、もっと沢山あるけど~あのころは四個だった。
アメリカ製。外国製品のことには詳しくなかったから~最初の公演は天津南開大学。

あちらに2個、こちらに2個とセッティングして、テスト。スイッチを入れた途端に、ショート。
誰もがアメリカの電球の電圧が110だとは知らなかった。中国は220。

折よく、華大文工二団(北京人芸の前身)が天津で公演していたので、急いで電話をして助けてもらった。紀凡、黄峰と数人が来て、色々と教えてくれた。

思うに、このショート事件は北京人芸にとっては縁分(運命)な出来事。
北京人芸は電球のショートに始まったと?
宋寅たちも二団にいた。その後、二団が私を必要としたんだ。人芸の前身。
もし、四個の照明が問題なく灯っていたら、状況は変わっていましたね。
そう、私は、そのまま照明技師を続けていた。

どうして照明が役者に?
華大文工二団で組み分けする時に間違いがあって、私の組のメンバーは皆が役者。
で~監督を任された夏淳(人芸の四大監督の一人)が、「朱旭は、この役を」と決めて~どさくさに紛れて役者になった。

初めの頃は緊張して、何度も照明担当に戻してくれと頼んだ。
吃音気味だったという朱旭。
「どうやって、台詞が滑らかに出るようになったのですか?」
「普通に喋っている時に、今、話しているときには、ちっとも詰まらなかった。」
と何度も言われているうちに、気が付いたんだ。何かを言わなければ、と思うと緊張するって。
台詞を覚えて~覚えて~いざとなると詰まる。
自分が言いたいと思うことを自然に口にすれば、言葉に詰まらない。

朱旭老師の台詞は、誰にも真似ができない。
自然で、蛇行しながら~急ぐことなく、慌てることなく事態を収拾していく。これは私たち演者にとっての夢です。老師が≪屠夫≫を演じている時、先輩から電話があって、「何してるんだ。直ぐに劇場に戻って朱旭大大の屠夫を見ろ。本当に勉強になる。」

朱旭の舞台≪哗变≫の中で、有名な8分間に亘る台詞。
昔の舞台映像の後。。。
朱旭が実際に台詞を。。。
後を継いだ後輩が同じ台詞を。。。
「老師は初日に見に来てくれて、カーテンコールの時に、真っ先に立ち上がって拍手してくれました。」

酒好きで知られる朱旭。
家が貧しくて、子だくさんだった生家。
一歳の頃、養子に出された家では、夜になると皆が集まって麻雀などを楽しんでいたが、なかなか寝付かずグズる子供に手を焼いて酒を飲ませて寝かしつけたんだ。今年82歳~だから、酒歴は81年。

と、、、酒談義が続きます。
by takeichi-3 | 2012-09-29 23:56 | 中国映画音楽 | Comments(0)