北京で太極拳

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莫言~作家になったきっかけ。。。

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今年度ノーベル文学賞受賞作家≪莫言≫自身が語った作家へのきっかけ。。。

私が生まれたのは、1950年代。子供時代は、中国が最も経済的に困難な時代でした。
当時は、日々の食べ物や着る物を手に入れためだけに人々は必死でした。どうしたら少しでも多くの食べ物を手に入れられるか~お腹を満たすことができるのか。

  
着る物に至っては、どうしようもありませんでした。
農村の子供たちは、十歳になるまでは服が無いような状態。夏は下穿きだけ。子供にとっては、裸でいるのが気持ちイイということもありましたが、実際に衣服を持っていなかったのです。二十歳近くまで、一年間に着る服は二枚だけ。夏は一重の服が一枚、冬はこの服ともう一枚の一重の間に綿を詰めて着ていました。

こんな状況では、誰も大志を描いたりはできません。人は環境に左右されて生きています。お腹いっぱいに食べ、温かい服を着て、心地よい家に住み~といった衣食住が満たされた環境の下、初めて文学や芸術を求めるようになるのです。

1960年代の中国、天才ではない普通の子供たちが芸術や文学に夢を馳せるような時代ではありませんでした。あの頃の私の理想は、どうやってご飯を食べていくか~どうやったら農村から抜け出して大都市に行くことが出来るか。これは、当時の多くの若者たちの願望でした。

大志が無かったのに、どうして文学を目指したのか?
それには、村にいた隣人の影響があります。

私が十数歳の頃、隣に住んでいたのは大学卒業者でした。
1957年、中国の多くの知識分子たち~その中には大学生たちも少なからず含まれていました。右派と見做された彼らは、教育の為に農村に下放され農民と同じ暮らしをしていました。隣人もまた、そんな一人でした。

その大学生は私たちと共に働いていました。彼は中国文学系で、その後、中学校で国語教員となりました。労働の合間、私に文学の知識を注ぎ込みました。

「山東省の有名な作家はとても腐敗している」言うので、
「どれほどの腐敗か?」と尋ねたら、
「一日に三度も餃子を食べる」と。。。

当時の私たちは、神仙だけが一日に三度餃子を食べられると思っていました。何故なら、私たちが餃子を食べることが出来るのは、収入の多かった年の大晦日くらいで、一年に一度も餃子を食べることが出来ないという年もあったからです。

私は、直ぐに尋ね返しました。
「ねぇ、もし僕が小説家になって本を出したら、一日に三度の餃子を食べられる?」
「当然、食べられるさ。」
作家になる夢は、一日三回餃子を食べる~というところから始まったのです。

中国は文化大革命期。
あの頃、戯劇は八種類の内容、小説は十幾つ。古典的な小説はことごとく紅色と見做され禁止されていました。作家と呼べるのは一人。小説は一種の政治宣伝品になっていました。

当時、私に小説を書くという夢があったとしても、実現は困難だったでしょう。筆で生活していくのは大変な時代でした。その後、1973年に小説を書いてみようと思い立ちました。最初の言葉は、“偉大領袖毛主席教導我们”

経済的に貧しく、社会政治的な環境も厳しい時代に生まれ育ったわけですから、文学への夢と真の文学との距離はかけ離れたものでした。

ある人の手伝いをするのと交換に≪三国演義≫、≪聊斋志導≫、≪隋唐演義≫を手に入れました。
これらの本を読んで初めて、真の文学概念が少し分かってきました。革命期に流行っていた小説とは別物でした。それから、村のあちこちから本を借りては読み~自分なりの真の文学概念が生まれてきました。

村の中にあった十数冊の本を読み終えて、世の中にある全ての本を読んだと思い込みました。
軍隊に入ってから、ある県の図書館に足を踏み入れてようやく多くの本が存在することを知りました。北京の大きな図書館では、一生かかっても読みきれないほどの本があるのを実感しました。

皆さんもご存じのように、私は実体験に基づいた小説を書く作家です。

私は、子供の頃から見聞きした事柄を人に話すのが好きな子供でした。
当時は思想制圧がある頃でもあったので、村などで起こった実話をあちこちで話すものですから、村の中では“炮孩子”と呼ばれ、家族に迷惑かけることもありました。私の小説≪四十一炮≫に登場する“炮孩子”のモデルです。

当時、台湾から気球が飛んできて、そこからバラ撒かれるビラに書かれていたのは、彼らの生活ぶりが政府が宣伝するような酷いものではなということでした。

「台湾の家はとても立派なんだ」
と私が言ったことで、父親が革命軍に呼び出される~などということもあり、父母はとても悩み怒っていました。

私がお喋りで、なにもかもお構いなしに話すので、
「どうしてそんなにお喋りなんだ?もし、又、お喋りが過ぎるようなことがあったら、お前の口から言葉が出てこないように縫い付けてしまうからね」
と言われることもありました。

それで、ペンネームは≪莫言=言うなかれ⇒自分を戒めて、言葉は少なく≫にしようと決めました。

創作系作家の文章が100%創作ということはあり得ません。
やはり、自分自身の実体験が作品に反映しているはずです。

私は文学に対して一種のこだわりを持っています。文学は賛歌の対象となるものではありません。黒闇をさらけ出し、世の中の不公平や人々の魂の奥深くを表現するものだと思っています。これを嫌う読者もいるかもしれませんが、私は、人性や社会の捩じれた部分(真実)を書いていきたいと思っています。


映画化された作品には有名な≪赤いコーリャン≫もありますが、農村が舞台の≪暖=故郷の香≫など。
香川照之が、主人公≪暖≫の聾唖の夫役で好演しています。



故郷を出て、十年ぶりに帰郷したジンハーが幼馴染で初恋の相手暖(ヌアン)と再会。
足を怪我して不自由になった暖は、聾唖の男と結婚していて。。。
過去と現在が、美しい映像の中で交錯。莫言の言葉通り、社会の暗部を描いています。
by takeichi-3 | 2012-10-14 23:55 | いろいろ | Comments(0)