食にまつわるテレビドキュメンタリー番組≪舌尖上的中国≫が評判になってから、次々と質の高いドキュメンタリー番組が製作されていますが、、、
老北京の姿を追った番組≪老北京的印象≫シリーズの≪逝去的風景:老天橋≫は、天橋一体で行われていた大道芸を取り上げています。
天橋は、天壇公園の西に広がる地域。
街には、薬売り、飴売り、京劇、中国相撲、呼び込み~など様々な声が交錯して賑やかだった。
北京内でも北京外でも、天橋は有名な場所。
北京に来た人は、必ず天橋に寄ってきた。ここには、人々を惹きつける多種多様なものがあった。
あの頃の天橋といえば売芸。皆、家族を養うために芸を売って稼いでいた。
旧社会の労働人民の生活の縮図。文芸の場所。生活の場所。
やってくるのは、身分の低い貧しい暮らしをしている労働者たち。野菜を売りに来たりしたついでに、天橋に立ち寄って食事。代金は高くはないし味も良い。
彼らは、大きな劇場で一元5角もする京劇を見たりはできないが、天橋だったら三、四毛で見ることが出来る。
庶民たちはどうしてここに来るのか?
金持ちは少なかった。大部分は貧しい人たち。貧しい人たちは、ここで気晴らしができたし、お金も少しで足りた。
金持ちもやって来たが、大金持ちはいなかった。お金が無い人でも来ることができるのが天橋。
時が経つにつれて、貧しい人ばかりではなく、文化人たちもやって来るようになった。
天橋を讃える詩の中に、「酒旗劇鼓天橋市、多少遊人不憶家=天橋の楽しさに、やって来た人は帰宅を忘れる」
天橋で芸を売る人たちは、決して楽ではありませんでした。どうして?
朝起きて、空を見る。晴れていたら人が集まるので商売になる。雨が降ったら誰も来ない。
一見、簡単に金を稼げるようだが、決してそうではない。天橋の客を満足させられなければ。。。
周囲との競争意識が無ければ生存できない。
記者が芸人の一人に、「その素晴らしい芸を、どうやって身につけたか教えてください」と尋ねた時の答えが最高だった、「芸?~一文字で充分、餓」
一生懸命になって芸を磨かないと稼げない。
芸を売っている人が犇めいている中で、どうやって稼ぐか。食べ物、着る物~全て稼ぎが必要、観客をどうやって奪うかが重要。練習を怠れば生活できなくなる。他の人とは異なる芸=練習から生み出される⇒≪苦中淘金≫
何も考えずに、ただ練習していても無駄な練習になる。