北京で太極拳

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趙堡太極拳の源流

趙堡(和式)太極拳の中でも、独特な雰囲気をもっている劉金全の動きですが、、、




昼食時に読んでいた書籍の中にあった、趙堡太極拳伝承者が語るその源流が面白かったので、、、

趙堡太極拳の“趙堡”は、他の太極拳が姓を冠しているのとは異なり、地名(村の名前)からとっている。趙堡は、河南省温県の東にある小さな村。そこは交通便利で商業も発達していたため戦国時代の頃には趙国の軍隊が駐屯していたことからこの名がつけられた。趙堡太極拳が発祥したのは十六世紀以前。今に至るまで既に四百年以上の歴史をもっている。

趙堡太極拳は、王宗岳から伝承されている。
ある時、王宗岳が趙堡村を通り過ぎたことがあった。
小麦の脱穀場で数人の若者が練功しているのを見た王宗岳が、同行した弟子に「紫色の服を着ている青年はいい動きをしている。将来、きっと名を上げるだろう」という言葉をもらした。

その青年の名は“蔣發”。
自らを武術家とは語らなかった王宗岳だが、この言葉を伝え聞いた蔣發は、「間違いなく高手」と判断、既に村を後にした王宗岳を追い、ようやく黄河のほとりで追いついた。

「私を弟子にしてください」
「私には何の力もないが。お前は私から何を習いたいというんだ?」
蔣發はひざまづいて、頭をさげ続けた。その態度に忠厚誠実な人柄を見抜き~難題を与えて趙堡を後にした。

「一年後の今日、私は鄭州から戻ってくる。その時もここで黄河を渡ることにする。その時に、も一度会えたなら師弟の縁があったものとして弟子としよう。会えなかったら、私たちには縁がなかったということだ」

約束の日、夜明け前から蔣發は岸辺で待ち続け、正午になってようやく王宗岳が岸辺にやってくると蔣發は礼を尽くした挨拶をして家へと招いた。

家の外には、まだ農作業には使えない幼い牛が繋がれていた。その牛の背をポンと叩いた王宗岳は何気なく、「丁度いい頃合いだ」と口にした。

部屋の中で、お茶を飲み、煙草を吸って~話をしているところに食事が運ばれてきた。
皿の上には牛肉料理。最高の味で、
「こんな小さな村で、こんなにも美味しい肉を食べられるなんて」と喜ぶ王宗岳に、
「師父の言葉を聞いて、直ぐに屠殺人を呼びに行かせて牛を捌きました。」

これには宗岳も感動、蔣發の決意の強さも伝わり~共に山西へと向かった。
以降、家族同様に扱われ~食事も一緒、共に練習、家事などもこなしながら三年が過ぎたが~蔣發は、宗岳から武術を伝えられたという実感が無い日々を過ごしていた。そして、故郷への思いが強くなっていった。

「師父、私がここに来てから既に三年になります。そろそろ帰ろうかと思うのですが」
「そうか。何か食べ物を持っていくがいい」と、止めも送りもしない王宗岳。

村を出て数百メートル位のところに一跨ぎで越えられそうな小さな川があって、ここから渡ろうと思っていた対岸には洗濯をしている少女がいたので、他の場所から渡ろうと思うのだが~あちこちに作物が植えられていたので、それを踏むわけにもいかず~探しに探して、いざ渡ろうとすると、彼を追うかのように少女が対岸にやって来て~の繰り返し。怒鳴ろうにも、村人の誰もが自分のことを宗岳の弟子と知っているので、師傅の顔に泥を塗るわけにもいかず~家に帰る気持ちも失せて、宗岳の元へと戻って行った。

目を瞑り、庭で水煙草を吸っていた宗岳に、
「帰る気が無くなりました」
「どうして?」
「帰ったところで、何もすることがありませんから」
「帰らないなら、いつものように家事をやってくれ」

それから、再び四年が過ぎて~相も変らぬ状況に業を煮やし、、、
「ここに来てから7年以上が経とうとしています。そろそろ帰らねばなりません」
「そうだな。確かに長い。帰ったほうがいいかもしれない。帰る前に、裏庭を耕して、種を撒く準備をしていっておくれ」

この言葉に、“7年もの間、これといった武を授けてもくれないうえに、最後の最後に裏庭を耕せなんて~”と、口にはしなかったものの腹を立て~快速で作業をこなし。。。

「終わりました」
「こんなに早く終わるなんて、信じられない」
「だったら、行って見てきてください」
と、連れ立って裏庭に行くと、耕してきれいにならしたはずの畑に足跡が。。。

誰かが家に入ってきた様子もないのに、誰がこんなに沢山の足跡をつけて行ったんだろう?といぶかりながら、ふと顔を上げると~正面の建物の窓に少女の姿が。それは、四年前、川で会った少女。一度も会ったことはないが、師父には一人娘がいると聞いたことがある。きっと、この子が套路を通したんだろう。

「誰かがここで、一套路を通したんです」
「どうして、これが套路の足跡だと分かるんだ?」

蔣發は、足跡の中から単式の動きをいくつか説明した。
「本当にそうかな?お前、中に入って、もっと細かく調べてくれ」
という宗岳の言葉に応えて、畑の中に入った蔣發は、詳細に足跡の一つ一つを単式の足跡と照らし合わせているうち~突然、宗岳が毎日、拳を伝授してくれていたことに気付いた。

畑の上の拳譜を起勢から収勢まで解き明かした後、全てを体得させてくれていた師父に感謝して。。。

「私は帰りません。ここで師父と共に練習を続けていきます」
「拳譜を解き明かしたんだから、もう十分に力はついている。学習は終わりだ。家に帰りなさい」

この時、宗岳の娘が、
「まだよ、間違いが二つあるわ。単摆蓮と指挡捶」と声をかけ、蔣發の誤りを糾正した。

趙堡に伝わる資料の中に、
蔣發が拳を学んだ頃には、宗岳は既に年老いていて動けなくなっていたので、宗岳の指示を仰ぎながら殆どの型を娘が教えていたという記載がある。これにより、「大姑娘架」と呼ばれることもあった。
by takeichi-3 | 2013-02-28 23:09 | 偉人たち | Comments(0)