北京で太極拳

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華佗。。。神医

養生健康気功≪五禽戯≫を創った≪華佗≫。。。



中国の名医華佗、、、曹操が華佗を殺したというのは真実なのか?
毎年、春になると安徽亳州の田野に曼荼羅の花が開く。これは、神医華佗が発明した麻沸散の主要成分。華佗が亡くなってから1800年余り。華佗の故郷には、その死についての伝説が残っている。毎年花開く曼荼羅のように、代々語り継がれている。

華佗の一生は伝奇に満ちている、麻沸散を発明。人類初めて開腹手術を行った。後に外科の祖と呼ばれるようになった。

1800年以上前、華佗は麻沸散を用いて全身麻酔を施し、開腹手術を行った。
国外の麻酔術より1000年も早かった。これは、ハッキリとしているが、神医の死因については歴史上の謎となっている。

三国演義第78回の中では、曹操が華佗を殺したと記されている。
また、三国志の中にも曹操が華佗を殺したと記載されている。

一体、華佗と曹操の間にはどんな確執があったのか。華佗の死の真相は?

永安街は亳州にある普通の通り。
その通りの一角に華佗が住んでいたと言われている家がある~華祖庵。
伝承によると、ここで薬の研究や病人を診ていたという。

今では、華佗記念館となっている院子。
ここから、そう遠くはない場所に曹操家族の墓地がある。
同時代の曹操と華佗。一人は乱世の英雄、一人は神医。同郷人とはいえ、その身分も全く異なる二人なのに、どうして華佗の死に曹操が関わってくるのか。

1800年前、何が起きたのか。。。
三国演義第75回には、毒矢を受けた関羽の骨を削って治療したと~華佗の医術も関羽の治療によって極められた。三国志の中には、このような治療例が16例。華佗別伝には5例。その他に5例、合わせて26例の記載がある。

関羽の骨を削って治療したという華佗の腕はかなりなものだったと推測される。それによって、曹操が華佗を身辺に呼び寄せた可能性が高い。

曹操は何故、華佗が必要だったか~
曹操は頭痛に悩まされていたと、華佗伝に記載されている。華佗は、鍼灸などを利用して治療していたのだろう。

豪州市人民医院の中医として名声の高い夏克平を訪れる病人は後を絶たたない~彼は、伝統的な中医の診断法で診療する。

「曹操の頭痛は?」
夏克平は、こんな風に解釈している。
軍事、政治など諸事に気を遣うことが多かった曹操は、高血圧症だった可能性が高い。

史書の記載によると、建安十年以降、東漢政府の実権を握った曹操は、政治ばかりでなく諸事に亘って自ら管理していたせいで忙しく~それにつれて頭痛が酷くなり、毎日のように発症。

そんな時、華佗の腕を伝え聞いて招聘した曹操に~
「開頭手術を行いましょう」と告げた華佗。
現代でも、危険を伴う手術。華佗はどのように行うつもりだったのか。。。

神農本草経によると、当時の薬草は既に365種あったと。。。
これらを使って、手術を行ったのか?

華佗の時代には、既に中薬理論の基本は形成されていた。
内科、外科、婦人科、小児科などはそれなりに形成されていたが、解剖などは研究が始まったばかりで、まだまだ。

そんな時代、手術が必要になった時~麻酔や消毒に対する華佗の対策は?

麻沸散(麻酔)の一般的な調合は、川烏、草烏、花椒、椒目、、、曼荼羅子。
華佗以前、この配合は暗殺などに使われる劇薬。病人を救うということには使われていなかった。

華佗は、飲酒した時の昏睡状態を観察。酒と麻沸散を同時に服用させて麻酔手術を行った。
外科手術の技術向上とその効果により、外科治療が広まった~華佗の名声は高まり、回復した病人は数を増していった。

華佗が曹操に手術を施そうとした時には、麻酔があったので何の問題もなかった。

麻沸散の主要成分、曼荼羅を華佗が発見するのに伴った悲しい話がある。
手術を行う時、患者の痛みを止める手立てがなく~中薬の中に麻酔性のある薬剤はないか考え、妻子と共に山に登って薬草を採取。

ある日、妻子を連れて薬草を採っている時、夫婦二人夢中になって薬草を探していたので、子供がいなくなっていることに気付かなかった。気付いた時には子供の影も形もなく~ようやく探し出した時、子供(沸)は赤い実の植物を手にして横たわっていた。華佗は、子供が間違って麻酔性のある植物を口にしてしまったことに気付いた。沸の命を奪ったのは曼荼羅。作った麻酔薬に、子の名を冠して麻沸散とした。

中医たちは、麻酔薬と酒は一緒に服用してはならないと知っていたが、麻沸散は酒と共に飲むことによって痛みを取る効果がある。

亳州は、昔から貢酒の産地。公元196年、曹操は皇帝にこの地の酒を献上している。

酒は百薬の長と言われているが、、、
以前、酒は薬として飲まれていた→舒筋通絡活血(白酒)。西洋医学では、酒は人体の内分泌のバランスを整えると言われている。胃など~肉などを食べて酸性に偏った時、白酒のアルカリで中和。

消毒に関しては、どうだったのだろう?
薬草の中に、消毒効果のあるものがあった。

麻酔と消毒が整って、華佗は曹操の開頭手術を行ったのか?
開頭手術は難しい。麻酔の時間も長くなる。麻酔手術を行うには大脳の構造を把握していなければならないし~良い結果が得られるとは思えない。

実際、華佗は曹操の開頭手術は行わなかったが、麻沸散の発明は、世界医学界への大きな貢献となった。




夏克平の分析によると、、、
華佗が曹操の開頭手術を行う条件が整わなかった。
華佗の技術が高かったとはいえ、どうして、このような大胆な方法を提案したのか~曹操は、華佗が自分を殺害する可能性があるということを否定できなかった。

三国演義によると、曹操の疑心は強く、この機会を利用して華佗が自分を殺して関羽の仇討をするつもりだと思い、即座に華佗を捕らえて監獄内で殺害した。

亳州市の民間学者梁爽は、華佗を研究している。
≪一場関于誤会的往事≫という書籍の中で、華佗の死に対して異なる見方をしている。

先駆者は生贄になる、という比喩があるが、、、
現在医学では普通に行われている開頭手術だが、1800年以上も前では前衛的。殺人の嫌疑がかけられるのも無理はない。ことに、相手は疑り深い曹操。

華佗は、毎日、曹操の城を抜け出して、市井の人々を治療して歩いた。
曹操は、華佗がいつも傍にいて、自分の頭痛治療だけに当たることを望んだ。

医師として尊重されていない環境に嫌気がさした華佗は、「家で問題が起きた」と暇乞いをした。
これを許した曹操だが、華佗は、約束の日になっても戻る気になれず、「妻が病気で」と嘘をついて、引き延ばしを図った。

曹操は、家来に命じて華佗の様子を見に行かせたが、華佗の妻は病気に罹っておらず~華佗を連れ戻した。

このことが、曹操の華佗に対する信頼を失わせた。
華佗が曹操の元に戻ってから~曹操が華佗を呼ぶと、往診に出かけている~ということが度々あったので、見張りをつけて華佗の外出を禁止した。

華佗は曹操の専属になるつもりはなかった。

別の説によると、、、
権力者は、怒りによって人を殺す。
三国志に記載されている曹操の言葉⇒「天下当無此鼠輩耶」
これから判断すると、曹操は華佗を才能のある者と認めていなかったので、躊躇なく神医を殺すことができたのだろう。(華佗亡き後、曹操は頭痛に悩まされ続けただけでなく、息子を病で失うことになり~悔やんだという)

いずれの資料からも、華佗の死が曹操と関わりあっていることが分かる。
華佗は、死に臨んで、自分の研究を後世に伝えようと医書を看守に渡したが、曹操を恐れた看守は受け取りを拒んだ。そして、華佗は医書を焼いてしまう~麻沸散を始めとした華佗の研究の全てが失われてしまった。中医にとっては、大きな損失である。

毎朝、夏克平は練功服を着て、華佗が残した養身操五禽戯の練習に向かう。

華佗の養生法は三種。
一つ目は、いつも五禽戯を行う。
二つ目は、薬の服用⇒七叶軽烟散(老化防止に役立つ)。
三つ目は、屠蘇酒を飲む(疫病を防ぐ)。

五禽戯は、華佗が創った養生体操。
虎、鹿、熊、猿、鳥、五種の動物の動作を真似て動く一種の動気功~気血の流れを良くし、筋骨健壮、精神充実、慢性疾患の発生を予防~これは、華佗の未病を治療するという養生思想に適っている。

疾患がない時に、体を動かすことで疾患の発生を予防。

虎(水)⇒骨、熊(土)⇒脾胃、猿(火)⇒腎、鳥(鶴、金)

以降、民間の華佗研究家と共に華佗村と呼ばれている地域を訪れます。
この地域で薬草を栽培していたという華佗を受け継いで、現在でも多くの薬草を栽培しています。
by takeichi-3 | 2013-05-05 23:57 | いろいろ | Comments(0)