北京で太極拳

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黄豆豆。。。中国人舞踏家

現在、中国男性舞踏家のトップと言われている≪黄豆豆≫
中国を意識した表現のダンス。。。武術動作も多く取り入れています。



1977年2月浙江温州市生まれ。
父親は、温州鋏工場の工場長。母親は、温州市芸術団の役者。
3歳の時に、母親に連れられて見た映画≪叶塞尼亚=yesania≫の中で見た二分間余りのジプシーダンスを、帰宅後、父親に真似て踊ってみせ、父親を感動させた。

母親は、度々、自身の職場でもある劇場に彼を伴って出かけたことで、自然に彼の中に生まれた才能だと思った。

1987年、十歳の時に北京舞踏学院付属中学への入学を希望して試験を受けるが、下半身が上半身よりも12cm長ければならないという身体的要求が満たされていないことから、合格とはならなかった。この時、彼の下半身は上半身より8cmしか長くなかった。

温州に戻ってから、何か良い方法はないかと~母親は彼を連れて病院へ赴いた。
「毎日ストレッチをすること。距離を開けた二つの椅子に足をかけさせ、父母で脚の上に座る」というアドバイス。。。

少しでも早く脚を伸ばす為、父親は家の中に吊り輪を設置。彼を逆さまにして、足を引っ掛けて引っ張った。一日に3~4回、十分ずつ。

その苦労が実って、1989年、上海舞踏学院が学生を募集した時には12cmを達成。600人の受験者の中、第一位の成績で入学。

在学中は、一般学科の成績は積年一位。教養がなければ愚直で終わってしまうと、訓練の合間、僅かな時間を見つけて勉強。18歳の時、上海で開催された国際舞踏大会で優秀賞を受賞。以降、ローザンヌなど大きな大会でもゲストとして表演をしている。


ジョニーウォーカーが製作したショートフィルム。。。



上海に来て、3~4年が経った頃、初めて、自分のダンスと気持ちが一つになった。
感情と思想が演者と融合して、それを観客とも分かち合えるという表現方法。

ロシアのバリシニコフが憧れだった。彼もまた、170cmに満たない身長だったから。
彼のようになりたかった。21歳で初めてアメリカ公演に行った時、三日分の食事代でバリシニコフの公演チケットを買った。でも、前半の途中で出てきてしまった。

彼のバレエが、僕の記憶の中にあった生き生きとしたものではなくなっていたから、、、
当時、既に、いくつかの賞を貰っていた僕は、「中国のバリシニコフ」と言われていたけど、そう言われることが苦痛になくなってしまった。40、50になっても、まだ、あんな風にジャンプをしていなければならないのは不本意~自分は、舞台監督になりたいと思った。
by takeichi-3 | 2013-06-23 23:55 | いろいろ | Comments(0)