今日は、午前太極拳、午後太極剣、そして、夜~ちょっとだけ武式太極拳という一日でした。
規定武式は習ったことがあるのですが、今日は伝統系。
微妙に、伝統楊式、呉式、孫式的な動きが入っていて~面白いなぁ~と。。。
実用なのかどうか、こんな映像もありました。。。(((((^^;
武式太極拳の源流は、河北永年。
永年人楊露禅が学んだのは、陳家溝陳長興の拳~陳長興は農民⇒当時は警備等の仕事は無かった。
楊露禅は、永年に戻ってから拳によって生計を立てた。楊露禅の拳友武禹襄は、永年の名武家に生まれ、幼少の頃より父親から洪拳や馬術を習った。
楊露禅が陳家溝から戻り、陳家溝の拳を教え始めると~洪拳が主流だった永年では、「軟拳」「綿拳」「滑拳」と評判になり、これに興味を示した武禹襄は楊露禅に学ぶ。その後、長兄武澄清が河南舞陽県の知事となるのに同行~永年太堂店主の紹介で、趙堡鎮に住む陳清萍に師事⇒陳清萍の師は、陳有。当時は陳長興よりも有名だった。
趙堡で修行した後には、各地の拳家を訪ね回った。
武禹襄の兄武澄清は、舞陽県の波止場近くの塩店で、王宗岳の≪太極拳譜≫を見つけ、武禹襄に贈った。拳譜を手に永年に戻った武禹襄は、終生を太極拳研究に費やした。
当時、武術を生業とするような人物は見下されていたので~名門出身の武禹襄が公に教えることはなく、弟子と呼べるのは、李亦畲、李起軒、楊班候の三人。武禹襄と楊班候の関係はとても良く、本を読むのが苦手だった楊班候は、武禹襄から楊露禅の拳を学んだ。
李亦愚、李起軒も武術を専業とすることはなかったが、李亦畲の拳を学んだ郝為真が武式を受け継ぎ、広めていくことになる。郝為真は、李亦畲の家に出入りしていた食糧店の使い走り。大邸宅の李家に食糧を届けたついでに家周りの掃除などをしていたことに気付いた李亦畲が、郝為真の体格の良さを見込んで一手(懒扎衣)指導。指導を終えた李亦畲は直ぐにそのことを忘れてしまったが、喜んだ郝為真は、これより苦練を始めた。三年の時が過ぎ、再び、李亦畲の目に郝為真の姿がとまった、「あの時の拳、出来るようになったか?」と問うと、「見てください」と~その動きに功夫を認めた李亦畲は、本格的に郝為真に拳を伝えた。
才能のある青年が生活の為に武術練習の時間を割けなくならないよう、自身の店が持てるように援助。以降、二十年以上良い関係が続く~李亦畲亡き後、その幼い子供の面倒をみて~郝為真は武術を教えることで生活の糧を得るようになる。
民国年間、北京に赴いた時に孫禄堂に出会った郝為真は、拳を教える。
こちらにも詳細が、、、
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2008-12/30/content_172673.htm