この二人~多くの人が知っています。
一人はカンフースター、ブルース・リー。もう一人は詠春宗師葉問。
ブルースは葉問の弟子で二人の関係はとても良かったが、、、
ブルースは、詠春拳を基礎とした自身の拳で大きな成功を遂げ~アメリカで名を成した後、香港に戻ってきた時、二人の間に摩擦が生じた~それは?
映画を撮るため香港に戻ってきたブルースは、それ以前に、アメリカで自身の拳派≪截拳道≫を掲げ広めていた。これを詠春に背く行為だと思う人が多くいて~葉問は、彼を弟子とは見做さなくなっていた。
ブルース自身もそれを感じていたが、彼は師葉問に向かって常識破りな要求を口にした。
葉問自らが行っている木人桩法(詠春の基本功)の全套路を撮影させて欲しい~自分は、それをアメリカに持ち帰って練習の基礎としたい~引き換えに、家を一軒プレゼントすると、、、
葉問は、この提案を拒絶した。
何故、拒絶したのか?
彼自身の言葉~
功夫は商品のように売り買い出来るものではない。功夫は物と交換出来るものではない。
重要な点は~ブルースに録画を許したとしたら、他の全ての弟子たちにも同じようにしなければならない。大スターだからといって、ブルースを特別扱いしない。
これを聞いた弟子たちは、ますます葉問を好きになった。
映画≪葉問≫が上映され~その知名度は徐々に高まり、「ブルース・リーの師匠」から「詠春一代宗師」へと認識が変化して、多くの人たちが、葉問自身の人生に関心を持つようになった。
葉問の功夫は、何処で学んだものなのか?
どのようにして、詠春を広めたのか?
詠春拳が世界的に流行した秘密は?
葉問は、1893年10月1日に生まれた~この誕生日は、彼の身分証明書に記載されている嘘の表示~実際は、1899年。原名は、葉継問。
広東仏山桑園大街葉家庄の富裕な家庭に生まれた。
仏山は、広東の古い名都市。嶺南武術の郷で、武林高手たちが集まってきていた。
葉家の敷地の左辺に大祠堂があり、そこを借りていた詠春拳高手≪陳華順≫が道場としていた~以前は両替商をしていた陳華順は「找銭華」と呼ばれていた⇒南海拳王≪王梁賛≫に拳を学んだ。
葉問が七歳の時、父親によって陳華順を師とした。
当時、陳華順の年齢は高く~葉問との歳の差は40歳以上~ので、葉問は師を「華公」と呼び~陳華順は、葉問をことのほか可愛がった⇒葉問収徒以降、弟子は取らなかった⇒封門弟子。
陳華順以外に、もう一人の師匠がいる。その師匠との出会いは、偶然。
1917年、護法戦争が勃発、葉問の父親は政局の不安定を心配して、葉問を仏山から遠ざけようと~姉の嫁ぎ先でもある香港にある学校へと入れた。
18歳の葉問は、香港で学びながら~同時に学校の武術教錬を務めて生活費を稼いでいた。
血気盛んだった当時の葉問。外国人学生たちともめごとを起こした時など、ここぞとばかりに武芸を使った。163cmの葉問が体格の大きい欧米人を打ち負かすことは、一種の快感~自分の武芸に得意になっていたことだろう。
この時期に、二人目の師匠~師公(師匠の師匠)梁賛の息子梁璧(師叔)に遭遇。
≪葉問前伝≫に、葉問の長男葉准が梁璧を演じている場面がある~撮影時、葉准は86歳。
葉問が薬屋に買い物に行くと~彼を葉問だと知った店主が、腕比べを仕掛けてくる。
相手が高齢なので~拒むが、、、老人は、戦いをしかけてくる~仕方なく手合わせをするが~直ぐに、詠春拳の高手だということに気付き~教えを請うことになり、簗賛の息子梁璧だと知る。
梁賛は、陳華順と梁璧に詠春拳を伝えていた~陳華順と梁璧のそれぞれに秀でた功夫(得意)があった⇒葉問は、二人のそれぞれの秀でた技術を受け継いだ⇒詠春宗師の基礎。
香港に滞在した5年、梁璧に隋いて詠春を学び、腕を上げていった。
その後、暫くは日本で過ごし~政局が安定しするのを待って仏山に戻り、張永成と結婚した。
仏山に戻った葉問には、悪い習慣がついていた⇒アヘン。
当時、アヘンは中国人を害していた。街には、アヘンを提供する煙館があった。
衣食住に不自由がなかった葉問~詠春拳練習以外、働く必要もなく~25歳の彼は、師兄と拳研究に励んだが、会う場所はアヘン館。そこには富裕層の子供が多く足を運んでいた。
アヘン館でも、葉問は暴れていた。
その頃、ある劇団が仏山で表演をした。出演者の一人が、よく煙館にやって来た。来る度に、得意の鳳眼捶を表演~煙館の壁に拳を打ちつけたりしていた。
この行いを見咎めて、葉問が相手をすることに~一撃で相手を倒してしまった。
これを目撃した野次馬たちにより、葉問の名は仏山に広まっていった。
葉問の功夫は?
映画葉問の中で、ドニー・イェンが演じた部分~自分に向けられた拳銃を手で掴み壊す~葉准によると、これは事実。
葉問の功夫は詠春拳。
映像の中では、「詠春、葉問」という台詞を口にしてポーズをとっていますが~詠春拳とは?
その起源は、、、
ここに、≪詠春拳源流≫という葉問自らが記したものが。
少林寺五老の五枚師太が、火焼少林寺以後に大涼山に隠れ住み、知り合った严二の娘严詠春伝えた~詠春⇒夫梁博俦(妻の名を冠して詠春拳と命名)⇒梁蘭貴へと伝わった。
詠春の起源に関しては諸説あるが、、、
拳譜上には、その源流が少林寺だということがハッキリと記されている。
詠春拳源流に記載されている六点半棍の由来は~
詠春が夫に拳を伝え~それが梁蘭貴に伝わり~紅船(広東地区を回る粤劇団の船)の役者黄華宝に伝わり~梁二娣に伝わり~この時、五枚師太と共に少林寺から逃れた善禅大師が紅船に身を隠していて~梁二娣に六点半棍法を伝えた。
※続きは、明日~m( _ _ )m