北京で太極拳

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ちょっと。。。≪詠春宗師:葉問≫②



黄華宝と梁二娣は紅船の上で切磋琢磨~腕を磨きあった。
これより、詠春拳には六点半棍が取り込まれ~梁二娣は全てを梁華順に伝え~葉問に伝わった。

葉問は、詠春拳の源は五枚師太にあると、、、

ここに、葉問自らが示範している映像が。。。一代宗師の身手を見てください。

詠春拳の特徴は、防御と攻撃が密接に快速で繋がっている。
歩幅が狭い馬歩と、次々に繰り出される短拳⇒寸劲発力⇒短距離と短時間を活かした攻防⇒相手の打たれ弱い部分を攻撃⇒一撃で効果を発揮⇒一分で戦闘終了~映画で見るように長く打ち合ったりはしない。

詠春拳には小念頭、尋橋、標指~三種の套路がある。
木人桩は詠春拳の最も重要な訓練方法。それに、LI手練習。相手と両手を接触~感覚と反応を研ぎ澄ませていく。

映画の中、葉問の生活ぶりは裕福~働く必要がないような環境に描かれている。
実際は、仕事をしていたのか?葉問は仕事をしていた。
どちらかというと暇つぶし的~国民政府の花捐局で、妓院から花捐税を集めるという仕事。。。

当時、葉問は37歳。
抗日戦争が起き~葉問は国民政府の情報訓練班に参加。1940年、貴州省にある軍学校で訓練を受け、卒業後は仏山に戻って情報工作に従事。

1938年に日本軍が仏山を占領。南海県長兼警務長の李道軒は、桑園の葉家を官邸として強奪。葉問一家は、引っ越しを余儀なくされ~経済状態も困難なものになった⇒葉准によると、家中にあった全ての財産は売り尽くし~1943年末には、葉問の二人の娘が餓死~

苦労知らずだった葉問の生活は?
彼の友人、仏山富商の周雨耕と周清泉父子が拳を教えて稼いだら~と提言した。
仏山で名声を得ていた葉問の拳、教えてくれと請われることはあったが、拒み続けていた~収入を得る必要が無かったから~しかし、戦争の影響で生活が苦しくなったという現実が、教拳を開始させた。

葉問にとっては不幸かもしれないが、詠春拳の伝播にとっては幸運だった。

映画のハイライト、日本の将軍と戦うシーン。これは事実?
葉問の功夫は、仏山に知れ渡っていたので、憲兵隊の武術教錬を務めるようにという誘いがあったが、葉問は拒絶。

葉問が日本人と試合をしたというのは事実だが、その相手は将軍ではなかった。
憲兵隊の軍人数人と試合した。実際の出来事ではないが、このシーンで葉問の抗日精神を表現している。

映画の中、試合が終わった時、葉問に向かって銃弾が発せられ倒れた~は、虚構の部分。
試合の後、それ以上の騒ぎが起こらないように、葉問は仏山を離れる。

抗日の戦いが終わると、葉問は教拳を止めて警察に入った~管理職を歴任~広州市衛戍司令部南区巡邏上校隊長が最高位。

1949年、葉問は香港に向かい~武館を開く。
香港に居を移してから数年後、葉問の生活は困難を脱した。

1949年、姉を頼って香港に向かった。
仏山に残した妻と幼い子供三人のうち、上の娘はマカオ経由で香港にやってきた~生前の葉問は、大陸でのことを口にすることはなく~娘も、それを聞いたことがない。

香港に来てから身分証を改め~名を葉溢、1893年生まれと虚偽の申告をした。

香港に来た葉問が頼れるものは拳~詠春伝承者たちは、「葉問が香港にやってきたら、詠春は世界へと広まっていくだろう」と言っていた。

香港にやってきてから港九飯店の秘書李天培と知り合い、そこで教拳。

葉准によると、、、
「経済状況を何とかしようと~もともとは、教拳のつもりはなかったが、年齢も高く~他の方法が無かった」

詠春拳が得意=最も良い選択だった。

教拳を始めてから、葉准と母の元には葉問や弟子たちから生活費が送られてきた。
武館に集まってくる生徒たちには、基本の型を教え~その中から素質の良い者(=拳に対して真面目)を選び~精髄を伝えた。

良い教え方をしていたので、多くの優れた弟子を排出した。

その理由を研究者に聞いてみよう。。。
「葉問は、科学、力学、幾何学などを併用した教え方をしていたので、古くからの五行八卦よりも明確に伝えることができた=無駄がなかった」

葉問の次男葉正に、その教え方を聞いてみよう。。。
「“穏”を大事にしていた。基本が出来てから~ユックリ、ユックリ、弟子の技量に応じて個々にアドバイスしていた⇒一般の師匠たちよりもユックリだった」

香港に移ってから、数年で生活は困難ではなくなった。
弟子も増えていったが、葉問は突然アヘンに手をだすようになる。
当然教拳にも影響が出てきて、弟子たちから不満の声が上がる。

この頃、葉問は上海からやって来た女性と出会う。
この女性がアヘンを吸っていて~弟子たちは誰もが嫌い、陰で≪上海婆≫と呼んでいた。

不満をもった弟子たちが、葉問に対して「アヘンを吸わないように、上海婆を遠ざけるように~仏山には妻と子がいるのに」と諌言するが、葉問は何も言わずに我を通し続けた。

遂には、全ての弟子が連名した手紙を渡した。。。
これで、葉問は改めたか?

残念なことに、弟子たちの意見を聞かず~上海婆の家に移り住み、そこを武館とした。
1955年、葉問は59歳だった。

師匠の決意が固いのを見た弟子たちは、もう意見はしなかった⇒葉問の拳を習い続けたかった~葉問も、何も言わずに教え続けた。

新い武館は狭く、木人桩を置くスペースがなかった⇒この頃の弟子たちは木人桩や長棍を習えなかった。
ブルース・リーは、まさに、この時期に詠春拳を習い始めているので、木人桩が出来ない⇒木人桩の練習を撮影させるのと引換えに家を進呈~という根拠が、ここにある。
by takeichi-3 | 2013-09-07 23:54 | 中国映画音楽 | Comments(0)