北京で太極拳

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ドニー・イェン回顧。。。

≪The Monkey King≫出演俳優たちがゲストのトーク番組。。。
一人一人の経歴~
先ずは、孫悟空を演じるに当たって、自身の子供の行動が参考になったというドニー・イェンから。。。



1984年の≪笑太極≫から27年。40以上の映画に出演。
一夜にして名を成すという幸運には恵まれなかったドニー・イェン。テレビドラマ≪陳真≫、話題にはなったが、アクションが飛び抜けているという評価はなく~2009年の≪叶問≫によって、一気に人気が高まった。この作品は、彼の代表作となると同時に、多くの賞と不断の映画出演依頼をもたらせた。

陳真のアクションでは李小龍を意識した。尊敬していたし~アクション映画に携わる多くの人たちに影響を与えていたと思う。実際に関わったことはなかった~武館を開いていた母親から武術訓練を受けていたから、幼い頃からアクションは好きだったけど、それが職業になるとは思っていなかった。運命 がそうさせた。

「観客の皆さん、子丹が北京で武術訓練をしていたのを知っていますか?」
「什刹海武校」

16~17歳の頃。今でもはっきりと覚えている。1981、1982年、当時の北京は古い雰囲気が漂っていた。(当時の写真~「帽子を被っているね」と髪型を揶揄される)~北京武術隊時代に表演した蟷螂拳の映像~李連傑は先輩(師兄)だった。師兄とはいえ、一年半の北京武術隊時代で彼に会ったのは一回きり。彼は二年間に及ぶ少林寺の撮影に入っていて、一度、隊に戻ってきた時に一分足らず~その後、映画で共演した。

「北京に武術訓練に来ることになった訳は?」
若かった頃、ちょっとヤンチャしてて。あちこちで武術を習って、親の言うことを聞かなかった~ある日、母が、道を踏み誤まらせないように~北京に行けと。。。

「当時、ハンバーガーは幾らだった?」
6・5元。80年代、その値段は一週間分の食費に相当するくらい高くて~学生だったから、そんなにお金は持っていなかった。でも、アメリカで育ったからハンバーガーが恋しくて、日曜日になると、外資系ホテルの建国飯店に食べに行った。


ドニー・イェン。。。The Monkey Kingへの道。



孫悟空、中国人の一人一人の中に各々のイメージがある。
主役を選ぶにあたって、あらゆる武芸に秀でているという点において、彼以外にいなかった。

孫悟空を演じることになって、プレッシャーはとても大きかった。どんな風に表現するか~高いレベルが要求される。参加するには、全力で当たるし。。。

猿の動きは、動物園に行ったり、京劇、戯曲、猿拳などからイメージを研究した。

寝ている時以外、猿はひっきりなしに動いている。
目の動きも~玉帝と話すシーンでも、自分は孫悟空なんだと~言葉は悪いけど、精神病的~歩き方も、徹頭徹尾膝を曲げていた。周潤発と話している時、つい引っ掻いてしまって~手を叩かれ、「子丹がおかしくなった」と言われた。

ワンシーンごと、周辺のスタッフたちに孫悟空の感想を聞いた。
彼らは六小(今までの孫悟空映画の中で、特に人気のあった俳優)世代なので、彼らの中にある孫悟空のイメージと比べてどうなのか。。。皆が、OK!だった。

ストーリは三部に分かれている。。
若い頃の孫悟空、東海竜宮で手に入れた如意棒や華麗な衣装を纏い美猴王と名乗り~神通力を身につけ、邪悪猴となる~理性を取り戻し、再び美猴王に。。。衣装も、それに合わせている。

特殊メイク(目以外は、全て作り物)に5時間~緊密な衣装の為、連続撮影は二時間が限界。着用に際して、全身に粉を振りかけ~室温は快適になるように調整しているが、汗をかくと内側がビッショリ~脱いでは拭いて~乾かして~を繰り返した。

アバター、スリー・ハンドレッドやパイレーツ・オブ・カリビアンを担当したハリウッドウスタッフが参加している。
メイクに4時間、撮影に6時間、メイク落としに2時間~それから、アクション監督。。。大仕事だった。

香港では、公開初日の売り上げが1.55億だったとか~興行収入の記録が期待されています。
by takeichi-3 | 2014-02-02 23:57 | 中国映画音楽 | Comments(0)