北京で太極拳

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北京真功夫。。。天橋

かつて、北京の雑技のメッカだった前門天橋。。。
そこで演じられていた技芸が、何故、真功夫と呼ばれるものなのか。。。



かつて、天橋で見世物となっていた芸は、、、
金、皮、彩、挂⇒占い師、薬売り、手品、大道武芸。
占い師以外は、口上に拠るところが大きかった。
「天橋の技は、口先ばかりで功夫が無い」と言われたが、、、

その技芸は、本物のように見せかけた表演。
功夫なしで、観客の目を満足させることが出来るのだろうか。
本物よりも綺麗に~見栄えが良くなるようにしている⇒功底(基礎力)のある偽物。
長い期間の訓練を積んで、コツを掴んだ後にこそ実演できる~基本がないと、身体を傷つけてしまう。


薬売りの功夫。。。
先ずは、薬の効果を自分自身でアピールしなければならなかった。
天橋八大怪の一人、常傻子は「百補増力丸」を売っていた。
石を手刀で割ったり、指で石を穿ったり~功夫がなければ出来る技ではない。
表演が終わると、「こんなことが出来るのは百補増力丸を飲んだから~」と口上を始める。


耍(shuai=遊ぶ、振り回す)中幡。。。
老北京人たちの間で有名だったのは「宝三」
それ以上だったと言われているのは、師匠の「王小瓣」
宝三が16歳の時~王小瓣が表演している時に風が巻き起こり、中幡が倒れて観客に当たりそうになった。
その時に中幡を支えたのが宝三。その縁で、王小瓣は宝三に仕事を与え~技を伝授した。

中幡を始めたのは、摔跤(中国レスリング)の人たち。
中幡をこなす者は摔跤も出来るが、摔跤が出来るからと言って中幡をこなせるとは限らない。

手指を鍛えたり、バランス能力を鍛えたり~超ハード。


耍石鎖。。。
2000年前、状元試験(科挙)項目のうちの「試力」だった。
50kg、60kg、80kgを持ち上げる競争。

天橋で名を馳せた「沈三」は、ただ挙げるだけではなく、観客受けする見栄の良い動作を研究した。
本来の名は「沈友三」。宝三と並ぶ摔跤王。ロシア人レスラーと試合をして倒したこともある。


天橋の民間功夫は、どこからやってきたのか?
摔跤、耍石鎖、拉硬弓、耍大刀~清朝廷の衛兵たちが、常日ごろ訓練していたもの。
弓、刀、石、馬、歩、箭の六芸は、宮廷から派生した。
清朝が滅亡して~収入元を失った衛兵たちは、家族を養う為に、身に付けた功夫を天橋で表演。民間に溶け込んでいった。
by takeichi-3 | 2014-04-10 23:56 | いろいろ | Comments(0)