北京で太極拳

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陳発科。。。陳式太極拳の発展

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今日は、陳式太極拳発展に貢献した≪陳発科≫
してしまいました。。。(#^_^#)

陳発科(1887-1957)。。。
陳氏十七世(太極拳第九代)
陳氏十四世「牌位大王」陳長興の曾孫。
父延熙は陳氏太極拳の一代大師。

19世紀50年代、陳家溝で拳を学んだ楊露禅が北京にやって来て、太極拳を教え始め~
その子、楊班侯と楊健侯~孫の楊澄浦の三代に亘る努力の下、太極拳は、宮廷~北京天津~と広まっていったが、当時、陳氏拳は殆ど知られていなかった。

陳発科が北京にやってくることになったきっかけには諸説ありますが、、、
そのうちの一つ。

1927年国民党政府が南京に移り~
北京体育学校で太極拳を教えていた楊澄浦や呉鑒泉等は、北京を離れて南京や上海へと教拳に向かった⇒体育学校の太極拳教練が足りなくなり~許禹生は、楊露禅が拳を学んだ陳家溝から陳氏拳継承者の陳照丕(績甫)を教練として呼び寄せた。

多くの武林高手が集まっていた北京。
腕試しを挑んで来る者も多く~拳で生計を立てていくのは大変なことだった。
勝敗は自身だけではなく、陳氏拳の名声にも関わることと考えた陳照丕は、叔父の陳発科に、北京に来るよう要請する手紙を書いた。

1928年、北京にやって来た陳発科は、挑んでくる相手を悉く倒して存在を確かなものとした~
名声が高まるにつれ、教えを請う者も増え~北京において、三十年に亘り陳氏拳を教え~陳氏太極拳の発展に貢献した⇒北平(北京)国術館館長の許禹生や血気盛んだった李剣華、沈家楨、洪均生、雷慕尼、田秀臣、陳照奎、馮志強等が陳発科に学んだ。

★北京でのエピソード⇒ http://takeichi3.exblog.jp/22165038/

≪陳発科≫
楊露禅の師匠≪陳長興≫の曾孫。
父陳延熙の晩年に生まれた息子⇒兄が二人いたが、共に伝染病に罹り亡くなっていたこともあって、家人たちは彼を溺愛~好き放題に食べさせたりしていたので内臓が弱く、いつも発病していた~練拳が体を強くすると分かっていても、虚弱体質を理由に十四歳になるまでは本格的な練習はしていなかった。

当時、父親の陳延熙は袁世凱の元で教拳を担っていたので家にはおらず、従兄が留守宅を守っていた。体格が良くて、拳も相当だった従兄~当時の陳家溝でも上級レベルの腕前だった。

ある夜、数人の陳氏年長者たちが陳発科の家で雑談していた。
話題が家伝の拳に及んだ時、
「先人たちの武芸を引き継ぎ高手となった延熙だが、それも彼の代で途絶えてしまうな。発科は十四歳になったというのに、あんな風に病弱では功夫を成さないだろう」
と話すのを聞き、自身を恥じた発科は、“伝家の拳を自分の代で途絶えさせてはならない~少なくとも従兄を超えなければ”と思ったものの~従兄と同じペースで生活(食べ、眠り、働き、練習)していると、従兄にも同じだけの力がついていくから、いつまで経っても超えられない~どうしたらイイのか?と悩み、夜も眠れなくなり、食欲も落ちていった。

ある朝、従兄弟と二人で田んぼに向かう途中、農具を忘れたことに気付いた従兄から、
「走って、取ってきてくれないか~直ぐに追いつけるように、私はゆっくり歩いていくから」と言われ~農具を手に駆け戻って来て気づいた⇒従弟より多く練習すれば、彼を超えることが出来る。

その日から、猛練習を始めた。
従兄と同じように練習するだけではなく、従弟が昼寝をしている時や夜~床につく時間は同じだが、二時間ほどしてから起きだして寝室で練習⇒十七歳の時まで三年間、練習を続け~遂に従兄の知るところとなった⇒いつも一人きりで苦練をしていた訳ではなく、時には、叔父たちに推手の指導を請うこともあった。しかし、腕の立つ従兄には言い出せずにいた。

従兄は、
「きちんとした練習をしなければ、自分勝手にやっていると癖がついてしまい、戦う時の弱みになる」と、、、

三年の苦練を積み、丈夫になっていた発科の身体は正常に発育~背は伸び、体格も良くなっていた。
功夫も、レベルアップしていて~自分がどれだけ進歩したのかを試してみたくなり、従兄に推手を申し出た。

従兄は笑いながら言った。
「以前は痩弱だったから、他の従兄弟たちと同じように扱っていなかったけど、今なら、倒しても問題ないくらい丈夫になっているな~」

手を合わせ~従兄は、三回連続で発劲を仕掛けたが、共に発科の反撃に遭って倒された。
三回倒され、発科の功夫が自分を超えたと悟った従兄は、悔しげな口調で、、、
「私に及びもつかなかったお前が私を超えるなんて、どんな秘訣があるんだ?」
「父親は不在だし、特別な秘訣なんてない。この三年の苦練の成果だけだ」

父親が家にいなかったとはいえ、幼い頃から、その指導方法を傍らで耳にしていたので、何をすべきかを理解していたのだろう。そして、叔父たちから学んだことも多くあったのだろう。

同じように陳氏の拳を学んだ二人の知識に差はなかったはず。。。
「秘訣なんてない」とはいえ、既に自身を武林高手だと思い自惚れていた従兄と、それを追い超す為に多くの時間と体力を費やした発科。

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結論~「苦練なくしての成功はありえない」
太極拳史の中で、教訓として用いられているという有名なエピソードです。。。


弟子の一人≪田秀臣≫。。。


by takeichi-3 | 2014-05-28 23:47 | 偉人たち | Comments(0)