北京で太極拳

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陳発科。。。北京での発展

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北京に来てからの陳発科~その技量は?
高弟楊益臣の弟による回顧です。。。
北京西単にある習武の習慣を持つ家に生まれた楊兄弟。
兄弟五人のうち三人が北京電報局で働いてた。

当時五十歳前後だった電報局の主管劉慕三は、呉式太太極拳宗師呉鉴泉の高弟。
二十年以上呉式太極拳を学んでいた呉式と楊式太極拳の達人で、北京では有名だった。
国術が大好きで、毎日、電報局の職員たちと練拳。楊益臣と義弟李鶴年もその中にいて、呉式と楊式太極拳、推手を学んでいた。中でも、兄の楊益臣が秀でていた。

劉慕三は、何時も兄と私を連れて西斜街の国術館を訪れては、館長の許禹生(形意拳、呉式と楊式太極拳のいずれにも秀でていた)と切磋琢磨していた。

太極拳が河南陳家溝から伝わったことを知っていた劉慕三は、陳家溝に行きたいと願っていたが、時間を作れずにいた。

1928年、陳家溝から北京に教拳にやって来た人物がいると聞き喜んだ。
以前は、外には伝えないと言われていた陳氏拳~自分たちが陳先生を招いたら、応じて拳を見せてくれだろうか~などなど話していた時、李鶴年が「試してみよう」と~劉慕三の車で陳発科を迎えに行った。

劉慕三の家に招かれた陳発科。
挨拶が済むと、陳式太極拳の一路と二路を連続して披露した。

陳発科を滞在先へ送り届けた後、劉家にいた十数人は喧喧諤諤~
「あれが太極拳?」「太極拳は舒展缓慢、以柔克剛なものなのに」「一套路を通すのに二十分はかかるはずなのに、二つの套路が十分もかからずに終わってしまった」「太極拳じゃないのでは~楊氏と違い過ぎる。震脚も跳躍もあるし、声も出している」「民間に伝わる拳の一種じゃないか?」

その時、劉慕三が、、、
「気がつかなかったか?動作が速いとはいえ、旋回と圓で動いている。発劲があっても、放松している。発力の時に声を出しても、脚下には根がある。表演を終えた後、息が上がることもなく、顔色一つ変わっていない。功夫があるのは確かだ。あれが本来の陳家拳なのだろうか。取りあえず、拳式を教えてもらい~しかる後に、推手を請うことにしよう。私よりも強かったら、続けて学ぶことにする。先ずは、様子を窺おう」

最初に習い始めたのは十人前後。皆、電報局員だった。
一路を習い終えた劉慕三は、推手を願い出た。北京の武術界では有望視されていた劉慕三だが、陳発科老師の推手は、今までに経験したことがないものだった。二人が手を合わせるや否や、劉慕三の歩みは乱れに乱れ幼子のように翻弄され~腕関節の靭帯を傷めてしまった。

「劉先生が力を入れたので、うかつにも加減ができなくなってしまった。松開転圓を維持していれば自然に化解出来るので、互いに傷つくことはない」

北京に来たばかりの陳発科は、天橋に出かけては各式拳や摔跤、中幡などを見て研究していた。これは、新しい拳架を創るのに大いに役立った。

ある春節、妻子が故郷に帰ってしまい、一人北京に残っていた陳発科を我が家に迎え入れた、、、
皆が集まって歓談している時、李鶴年が質問した。
「誰かが快速で拳を打ち出してきた時、どう対処しますか?」
「ここに座っている私に向かって、打ってみなさい」
言葉通りに拳を打ち出した李鶴年は、目にもとまらぬ速さで飛ばされ~部屋の外まで飛んでいきそうな勢いだったが、背中が門の簾に触れたところで陳発科に掴まれ引き戻された。

一体何が起こったのか?誰にも分からなかった。
李鶴年は顔面蒼白になっていたし~後に、
「拳を打ち出して~打ったはずなのに、陳師の身は空で~綿花の中に入り込んでいくような~そして、飛ばされていた。先に飛んでいたのに、陳師は椅子に飛び乗って私を掴まえた。心服、心服~」

陳発科は、暇さえあれば練拳していた。
歩きながら、座りながら、、、いつもイメージを働かせて動いていた。
早朝五時、私たちが練習会場に到着する頃には、陳老師の練習は終わっていた。毎日、二十回は套路を通していた。

弟子たちには、先ず、目の前で套路を通させる。
その後、老師が説明をして実際に動いて見せ、細かく弟子の間違いを糾正~それから運用と応用。

弟子たちが練習をしている傍ら、タバコを吸いながら椅子に座り~ 「ヨシ!」「ダメだ!」
劲は肱にあるのか腰にあるのか~推手はどう使う~気が下まで沈みきっていない~腰の回し方は、それでいいのか?~虚領頂劲の加減は?
手取り足取りという、辛抱強い教え方だった。

当時、陳発科の長男陳照旭も一緒に練習をしていて、子供ながらに推手が上手かった。
ある時、練習仲間の一人が、、、
「あんな小さいのに功夫があるなんて、きっと老師から秘訣を教わっているんだろう」
と言ったが、、、そんなことは無い。

夜中過ぎに起こされて、午前三時位から老師と共に練習をしていた。テーブルより少し高いくらいの背丈の子供が、大人たちと同じように容赦なく仕込まれていた。

陳発科の教え方は、誰に対しても同じだった。
「技を隠したりはしていない。教え方も、自身の修行もまだまだなのに~隠すべき何があるというのだ?」

北京の誰もが、その武徳を称え尊敬していた。

★陳発科物語⇒ http://takeichi3.exblog.jp/22156909/

陳発科が考え出した、タントウ効果も兼ね備えた練習方法。。。。≪三環掌≫




by takeichi-3 | 2014-05-29 23:57 | 偉人たち | Comments(0)