北京で太極拳

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李雅軒。。。楊師の≪綿裏鉄≫

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今日は冬至。由布院温泉。。。
住民の為に開設されている共同浴場で、柚子と混浴。
お湯は源泉かけ流し~何となく、ホテルのお風呂よりも泉質が良いような気がします。

旅行会社の企画の中でも人気のある通年ツァーだそうで~明日は、黒川温泉に浸かります。

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最近、中国人老師に手合わせをしてもらう機会が多いのですが、、、
生徒の力量より、微妙に強くした力を加えて~推したり引いたりしてくれるので、、、
自分は何を改善したらイイのかを考える機会が多くなっています。


で~歴代の太極拳家たちの努力、半端じゃないという文章発見!
楊家の弟子≪李雅軒(李椿年):1894年生≫

貧しい家に生まれ、学校には数年しか通っていない。
生まれ故郷は習武が盛んな土地。
十四歳の時に少林拳の高手≪陳殿福≫の弟子となったが、数年後のある日、「急用が出来たので出かけねばならないが、もしかしたら戻って来れないかもしれない」と言い残して、師は旅立ち~それきりとなってしまった。

以降、太極拳の高手と出会い太極拳を学ぶことになる。
その後、傅昆庭に綿拳を学び~知人のつてで北京に赴き、中央公園で教拳していた楊澄甫から指導を受けるようになる。

李雅軒の覚えの速さと才能を認めた楊澄甫は、家に呼んで教拳するようになる。
この時、楊健侯にも賞賛されて澄甫の入室弟子となるよう指示を受け~健侯から、直接、その絶技を伝授され~二十歳の時に≪雅軒≫の名を与えられる。

下半身の力を強化するため、歩行練習に際しては、師兄弟に頼んで、自らの股を力を込めて下に押さえてもらいながら、数時間に及ぶ進歩を行った。

楊師が推手を教える時、その腕は≪綿裏鉄≫~とてつもなく重かった。
楊師の腕の重さに、多くの弟子たちは、一~二分くらい経つと、手も足も疲労してしまい耐えらなくなってしまったが、李雅軒は数十分~楊師が「ここまで」と言うまで、止めることはなかった。

食事中も、歩行中も、時には就寝中にも打拳のことを考えていた。
夜、寝付いた後、閃きがあると起き出して、真冬であっても寝衣のまま、そのイメージを求めて体得するまで繰り返し練拳に励み~楊師の推手指導時に、これを用いて挑んでは改良を加えていった。

「李雅軒の練拳の様子は鬼のようだ」by師兄弟。
「李雅軒の才能と刻苦耐労、研鑽は、他の誰も及ばない」by楊師。

一般的には、「綿蔵針=柔らかさの中を貫いている劲がある」と言われていますが、、、
「綿裏鉄」は、楊澄甫が研究を重ねた成果=進化。。。(#^_^#)
by takeichi-3 | 2014-12-22 23:44 | 偉人たち | Comments(0)