北京で太極拳

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田紹軒。。。楊師三代に学んだ弟子

f0007580_22204097.jpg黒川温泉~バランス(温泉&商店)がとれた、温泉ナウを満喫できます。

今日の公共浴場は≪地蔵湯≫
入って直ぐは手前の湯船が適温。徐々にヌルく感じてきて~後方湯船は?と手を入れたところ、火傷しそうな高温~仕方なく、ヌル湯に顎まで浸かっていたら、地元の方が入ってきて~「今日はヌルいわね」と、両湯船に渡してある竹棒を使って熱湯を誘導していました~\(0人0)/
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田紹軒(田兆麟:1891年生)
兄妹四人の二番目として北京に生まれた。
幼い頃に父を亡くし、兄は出奔。母親は洗濯と繕いをして子供を養った。母の苦労を見かね、8歳の時に学校を辞め~楊家から遠くない自宅前で果物を売り家計を支えた。


楊健侯は、いつも田家の前を通っていて~田兆麟の忠厚な性格と敏捷性のある動きに目をかけ、兆麟が13歳の時に「学拳してみないか?」と声をかけたが、「家族の生活を維持しなければならないので」と答えた。
そこで、楊健侯は母親と相談。生活を援助することを申し出て、兆麟が練習できるようにした。

健侯家では、少侯と共に寝起き、食事、健侯からの直接指導を受けた。
三人は日夜練習を続け、七年後に「紹軒」という名を授けられた。

これ以外、田兆麟が北京警察庁消防音楽隊にいる時、武術を教えにきた楊健侯に見初められ、楊少侯の弟子となるように勧められたという説もある。

楊健侯の指導は厳しく、一つの型を掌握するまでは、次の型を教えることは無かった。
後に、無極站桩と太極起勢だけ、半年間練習させられたと語っていたという。

弟子の話。。。
1938年。楊少侯が上海で、快慢相間な太極拳を表演~観客たちは大喝采。
その様子を見た、直前に表演を終えた外国人ボクサーが、
「ボクシングのほうが遥かに力強いのに、どうして、あんな頼りなさそうな動きの方が評価されるのだ。私たちを馬鹿にしているのか?!あいつと戦って、力の差をハッキリと見せつけてやる!」
と声を荒げた。

中国人主催者は、
「私たちはボクシングを理解していないが、楊先生が演じたのは中国武術。だから、その力量が理解できる」
と答えたが、ボクサーは引き下がらず叫び続けた。

これに、楊少侯は、「兆麟、相手をしてやってくれ」と、、、
応えて、兆麟はリングに上がり~ボクサーと向き合い構えた。
兆麟の顔面めがけて左右のストレートが向かってきたが、兆麟は、上下に分けて~ボクサーを引進~重心が崩れ前のめりになったボクサーは、体勢を立て直すために後ろに下がろうとした~瞬間、兆麟は両手で発力~相手の胸を推してリングの外へと撞き飛ばした。

楊健侯、楊少侯、楊澄甫。。。
楊家三代に学んだ田紹軒の技術は非常に優れていたので、ある者は「田派」と称することもあったが~
常に、「私の拳は楊家のもの」と答えていた。
by takeichi-3 | 2014-12-23 23:41 | 偉人たち | Comments(0)