六十年前、十歳になるかならない頃、父に連れられて天橋に行った。その後は、友達と一緒に天橋に出かけては摔跤を見ていた。
清末代の摔跤王≪宝三=宝善林≫、その弟子で一代名跤手≪馬貴宝≫など、高手たちによる摔跤は、見世物(表演)ではあっても~カッコ良くて、観客を魅了していた。
これといった遊戯がなかった時代~子供たちは摔跤ごっこを楽しんだ。
という文章を読んだりした影響で~摔跤映像を見ていましたが、、、
トレーニング、半端なくキツそうです。
≪ちなみに≫
清代、「布庫」と呼ばれていた、摔跤に秀でていた宮廷を守る衛兵たち。
摔跤のレベルによって地位や給与が左右されるので、生活の為にも努力を惜しまずに、日々、切磋琢磨して訓練に励んだ結果、清宮廷の摔跤技術は最高峰のものとなっていました。
清朝が崩壊した後、その技は民間に流れ~≪売芸≫という形で、北京南城(故宮の南側=天橋)で披露されるようになったのです。
楊式太極拳も、清朝の崩壊でスポンサーを失ったことにより、糧を得る為に民間へと流傳していきました。
★楊家の太極拳を公園で習える~という噂に、北京へとやって来た武術家も多かったようです。