北京で太極拳

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楊澄甫、死の原因。。。

二十世紀最高のバレーダンサー、マイヤ・プリセツカヤの瀕死の白鳥。
肩と肘、肘と手の間にも関節があるかのような動きです。



2015年5月2日、89歳で心臓発作のためドイツで亡くなったのですが、、、
遺言により、遺骨は散骨に。。。

最近、知人たちと会う機会があると~「散骨」について語り合うことが多くて。
代々の墓を永代供養にして、自身は散骨にすると決めた人がいたり。
ネットには、「近くて便利、東京湾散骨~ペットも可」とか、ドライな広告も。(((((^^;


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温和な性格だったという楊澄甫。
争いごとは少なかったのですが、、、
その生命に大きく影響したのではないかという事件があります。




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1931年の早朝、午前8時過ぎ。南拳の名師萧聘三が浙江国術館で黒虎拳を教えていた。黒虎拳は脚を踏込む時に声を発する。踏込みは力強く、泥濘にクッキリとした足形を残しながら進んでいく。生徒たちが、威力を見せてくれとせがむと~レンガを持ってくるように命じ~大声と共に木っ端微塵に砕いてしまった。
それを見た三十人余りの生徒は大喝采!

当時、国術館の教練長を務めていた楊澄甫。
起床時間はいつも遅く、まだ睡眠中だったが、外の騒ぎに目が覚めて~何が起きたのかと、やって来た。

「学生たちに黒虎拳を教えていた」
「これが何の役に立つというんだ?」
この言葉に刺激された萧聘三は、楊澄甫に試合を申し込んだ。
「よかろう。私の腹を三回打て」

萧聘三が、足劲を加えた拳で楊澄甫の腹を打つと~楊澄甫の顔には苦痛の色が浮かんだ。
二発目、口から血が滲み出て~三発目を打ちこまれた後、楊澄甫は、右手で腹を抑えながら、左手で粛聘三の胸を打った~粛聘三は2m飛ばされて、血を吐いた。

周囲の人によって、互いに自室へと運ばれた二人だが、傷は重くて~その後、生徒たちに教拳出来なくなり~ほどなくして、楊澄甫は国術館を去った。


★楊澄甫の十大弟子⇒ http://takeichi3.exblog.jp/22277226/

萧聘三は、1933年に死亡。楊澄甫は、1936年に死亡。
1931年の事件が二人の命を縮めた原因ではないかと推測されている。
by takeichi-3 | 2015-05-04 23:58 | 偉人たち | Comments(0)