北京で太極拳

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王宝強物語。。。

明日も、朝から忙しいというのに~王宝強物語にハマってしまいました。。。(((((^^;
上海映画祭、ジャッキー・チェン、アクション映画ウィークで、新人賞を受けたり~話題急騰の人物。



北京。。。
エキストラとして出演~スターダムを駆け上るという夢を抱いて多くの人が集まりますが、一体、どれだけの人が夢を実現できるのでしょうか?

唯一≪王宝強≫が、その伝奇の主人公に。

最近、話題になる映画に出演している王宝強。
彼の両親ともに畑を耕している農民。映画関係の学校出身ではなく~学校に通ったのは9年だけ。
背が低くて、その風采も田舎出身という印象~芸能界で成功するとは思えない素材。

馮小剛監督の≪天下無賊≫が、王宝強の運命を大きく変えた。
映画の中、純朴で善良な出稼ぎ農民「傻根=間抜け」を演じた彼を中心に、大スターたちが巻き込まれて物語が展開~観客たちの視線を集めた。

馮小剛は、「この映画の成功は、傻根を誰が演じるかにかかっている」と語っていたが、この映画で成功を収めた王宝強は、スターへの道を歩き始めた。

馮小剛は、どうして王宝強を選んだのか。。。
彼の人気は~意外なことなのか?遡ってみましょう。

王宝強、八歳の時の夢。。。
1985年、河北省の先祖代々農民の家に生まれた王宝強。
本来なら、父親と同じように、日の出とともに働き、日の入りと共に休むという農民の生涯を送るはずだったのに~一本の映画が彼に夢を抱かせる⇒村で上映された≪少林寺≫

スクリーンの中に広がる、自分の周囲とは異なる景色~それに魅了されて自分の命運を変える選択を。

「映画を見て、即座に、村にはいたくないと思った。一代一代、ず~っと同じ。農作業の一生」
「一緒に少林寺に行こうと冗談で言ったけど~それが真実になったby従兄」

少林寺に行けば、映画に出られて~スターになれると思った。
貧しい父母に楽をさせたいとも思ったが~父母の反対に遭ったが、、、
粘り続けて、同意させた。

1992年、八歳の時に故郷を離れ~少林寺に。
少林寺では武僧団に選抜され~主に酔剣を表演していた。
表演後、観客からの拍手が嬉しかった。
当時、多くの写真を撮っては、周囲に「この写真を大切に~いつか大スターになるから」と渡していた。

三年後、この楽しい日々が、、、
「少林寺で映画が撮影される時、既に決まっている出演者たちがやって来る。少林寺の武僧団員が出演するわけではない」という一言に夢が砕かれ、十四歳で故郷へと戻ったが~再び、家族や親族を驚かせる発言をする~「北京に行って、映画に出る」

1999年、三か月ほどのアルバイトで稼いだ二百元を手に北京へ。
一人で北京にやって来た王宝強は、「北京電影制片廠に行ってみたら」と言われ、、、

門前には多くのエキストラ希望者が待機していて、「ここで映画を撮影しているの?」って聞いたら、「そう、そう」って~夢の近くにいる気がして、凄く興奮した。

折よく、エキストラが不足している映画があって、彼もその中に加えられ~
初めてカメラの前に立った~大袍を着て、街を歩くだけだったけど嬉しかった~十四歳、初めて映画に出演、20元を手にして~自分の夢は早くも叶えられると思った~その後、多くのエキストラをこなした。

台詞のある役や顔がハッキリ映る役に付きたかったが、台詞のないエキストラの仕事でさえも十数日に一回あるかないか~殆どの時間が待つことに費やされ、生活は逼迫していった~大晦日、何も食べずに夜の十二時まで~飢え死にしそうなくらいお腹が空いて、お金が無くて、一元の饅頭を五個ツケで買って一気に水を飲みながら食べ~辛くて、布団の中で泣いた。

それから暫くして、門前に並ぶのを止めて肉体労働を始めたけどどうにもならなくなって、、、
故郷に「二百元を~」と電話をかけたら、父親から三百元が届いたが「兄の結婚で、家にあるお金はこれだけ~」という手紙が~以降、家族に迷惑はかけられないと、家への連絡を断った。

一元を節約する為、朝四時に郊外の家から北京電影制片廠まで走って行き、機会を待ち続けた。
出演のチャンスが無い時にはアルバイトをして、毎日五~十元を稼いだ。

映画に出られるチャンスがあれば、どんな危険なこともこなした。
時間が経つにしたがって、王宝強の礼儀正しい態度に好感を寄せるスタッフが現れ、出演の機会を与えてくれるようになっていった。

2000年。素朴な様子が主人公に似ていると、十六歳の時に映画「盲井」の主役に抜擢される。
撮影現場は炭鉱の地下。二十時間を超える撮影の後、事故が発生。まだ危険な状態で、残りを撮影しなければならなくなり、多くの出演者たちが離れていく中、「自分にとっては唯一のチャンス~父母のことは思い浮かん~この現場で死んだら、父母は僕が何処で死んだかも分からないことになる。けど、賭けてみたんだ」と、王宝強は撮影を持続~彼にとっては巨額の二千元を手にして借金を全て返した。

盲井」は、その内容から公開を禁止されたが、馮小剛監督の目に留まった。
「天下無賊」の脇役傻根~目の澄んだ、傻(間抜け)的な雰囲気を王宝強の中に見出した。

馮小剛からの電話を受けた時、王宝強は誰かが騙そうとしている思ったが~監督に直接会って、ようやく信じることが出来た。

映画の中、農民工の傻根は、世の中に悪人がいるなんてことは疑いもせず~出稼ぎから帰郷する時、稼いだ六万元を持っていることを周囲に隠すこともせず~混乱させるが、悪心を起こした周囲の人たちを変えていく~

たった9年の学歴しかない王宝強。
台本の中には読めない字もあったが、辞書を片手に~撮影の前日には全てを覚え~この様子を見たスタッフたちは彼を助け、映画が公開されると同時に王宝強は人気者になった。

「眠りにつく前は誰も僕のことを知らなかった。目を覚ましたら皆が王宝強=傻根を知っていた」
2003年、金馬賞の最終新人賞を獲得~初めて飛行機に乗って、会場へと向かい~大スターたちと共にステージに上がった。

ようやく帰郷した王宝強~村人たちは総出で出迎えた。
傻根な印象で人気が出た王宝強だが、「大英雄を演じる」という夢は持ち続けていた。
馮小剛からの「焦らずに、快速で飛ばすと、失速するのも早い」という言葉も。

台本を選ぶようになって~「士兵突撃」への出演を決める。
彼が演じる許三多と自身の経歴が似ていて~入隊したばかりの許三多は「回れ右」さえうまく出来ない、お荷物になっている兵士だが努力し続けてチャンスをつかむ。

脚本家は、、、
兵役を経験したこともなく、背も低く、軍人として見栄えの悪い王宝強が許三多を演じることに反対していた~出演者たちは共に軍隊合宿を実施。その経過を見ていた脚本家は「彼が許三多なのか王宝強なのかハッキリしなくなっていった」と。。。

2007年、許三多は話題の人となり~王宝強=傻根ではなくなり~演技力も認められるようになった。

彼の成功が偶然ではないのは、、、
2010年に出演した「人在囧途」で喜劇の才能も発揮~2011年の「人在囧途之泰囧」は、中国映画観客動員の新記録を達成。

2014年、ドニー・イェンと共演したカンフー映画「一個人の武林」で冷酷な殺人鬼を演じ~八歳からの夢を三十歳で叶えた。
by takeichi-3 | 2015-06-27 23:59 | 偉人たち | Comments(0)