北京で太極拳

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王師父との出会い。。。by劉偉

中華武術に掲載されていた、劉偉老師と王老師(写真右)故事「出会いと別れ」の出会いの部分。

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二人が初めて会ったのは1985年の春。
中山公園の来今雨軒。ここは、劉偉が李秉慈老師に呉式太極拳を学んでいた場所。

ここを通りがかった、帽子を被った青い服の男は足を止め~そっと訓練の様子を見ていた。

昼近く、訓練が終わろうとする頃になって、李老師に近寄ると~「この拳は素晴らしい。あなたの教え方も最高だ」と声をかけた。

李秉慈老師は、既に太極拳名家として知られていて~その言葉を聞いても喜んだりはしなかった。
男は続けて~「この呉式の訓練は良いね」
拳式を言い当てた~武術家に違いないと判断した李老師は、男と語り始めた。
王「若い頃、ここで訓練していたことがある」
李「あなたに見覚えはないが~何を訓練していた?」
王「形意拳~駱興武老師のところで~」
この会話で、男は「王世祥」という名で、形意拳名家駱興武老師の大弟子。1951年から1962年の間、駱興武老師に髄いて学んでいたことが分かった。

李老師の師父楊禹廷と王世王老師の師父駱興武の関係は良好で、、、
1950年代~二人は共に中山公園で教拳していた。

この時、劉偉は駱興武の息子駱大成に形意拳を学んでいて~
李老師は「見ず知らの人ではない。劉偉、この人はお前の師大爺だ」と。。。

当時、王世祥は春節休暇になると山西から北京に戻ってきていた。
この後、何度か顔を合わせる機会があり~李老師のとりなしにより、王世祥は駱興武の息子大成と三十年ぶりに再会~その場面は、周囲の人を感動させた。

5月になって、劉偉は太原(山西省)に全国武術太極推手散打大会に参加。
その際、「師大爺は?」と、、、王世祥が働く自動車工場を訪れた。
突然現れた劉偉に親しみを込めて「何だって此処に?」と、、、

それから、王老師と共に彼の宿舎に。
王「お前が学んでいる形意拳は形だけ。中身(功夫)を考えなければ」
当時、まだ17~8歳だった劉偉には、王老師の言葉の意味が分からなかった。宿舎に着いてから~
王「この動作を見てみろ」

一間だけの単身用宿舎。
王老師は窓辺に立ち、劉偉は門口に立ち~ほんの一瞬で、王老師は劉偉の傍らに。
当時の様子を思い浮かべながら~“王老師が、どんな風に傍らまで来たのか?”を考えるに~形意拳十二形の“燕形抄水”を使って瞬間移動~当時、王老師は54歳だった。

この晩、劉偉は一睡もできなかった。
暖かく親しみやすさがある王老師に武術家特有の傲気は感じられず~
多くの武人を見てきたが、初めて、こんな武功を目にした。子供のような敏捷性をもった、年齢を感じさせない動き~劉偉は、王老師に学びたいと思った。

翌朝、王老師は自分の弟子たちを呼び寄せて劉偉と共に練拳させた。
王「わざわざ訪ねて来てくれたんだし、無駄足にさせたくない~八卦戦身槍を教えよう」
手元に槍が無かったので、互いに掃除用具に使われている棒を手に訓練開始~劉偉は、その朝のうちに套路を取得。

北京に戻った劉偉は、その槍を練り続けた。
練習をこなすにつれて内面の充実が増し~この套路で参加した全国大会では幾度となく金メダルを獲得。後には、東単武術館の形意拳班でもこの槍を教えるようになった。

数年後、劉偉以外の者が、この槍を練習しているのを見た王老師は、「この槍は教えてはならないものだ」という言い方をした。

王老師は武術を尊重、信仰していて~伝承はしても伝播(誰にでも広く伝える)はしないという考えを持っていた。

王「教えるにしても、学ぶにしても、先ず武術を尊重~自分が完璧に取得した後に、他へと伝えなければならない。いい加減(中途半端な知識=質より量)な教え方をしてはならない」

王「師父がどのように教えたか。自分は、それをどう伝えるか。師父を超えたら(その技術を完璧にマスターしたら)、それに自分の技術を加味して~改変を加えていかなければならない~師父の教えを完璧に身につけることが先決~その後に加えられた改変なら、真の改良となる~中途半端な技術で改変しても師父を超えることはできない」

王「今、私はお前に教えているが、もし、おまえの技術が勝って私が敵わなくなる時がきたら、もっと優れた老師を紹介しよう。もし、探し出せなかったら~二人で一緒に研究し続けていこう」

1988年に王老師が北京に戻ってきてから、劉偉は、毎日王老師のもとに通った。
しかし、王老師は、劉偉には余り関りたくない様子だった。
思うに、老師から教わった槍(駱興武より伝わった)を以て全国大会に出場して優勝~それを断りもなく勝手に武術館で教え始めたりしたので、劉偉は駱興武の伝承人だと世間から認識されるのを慮っていたのかもしれない~まだ若かった劉偉は、そこのところが分からず、ただ、ただ、王老師から学びたいという気持ちのみだった。

劉「師大爺、来ました。」
王「ん。。。」
毎日、王老師の口から出るのは、この一言だけ。

劉「ある時は、私の姿を見るや否や指導を止めて将棋を見に行ってしまう」
こんな日々が一年近く続き~それでも劉偉は、毎日、雨の日も風の日も午後四時~五時から暗くなるまで練習を続け~

周囲が暗くなり始めると、王老師はさっさと帰り支度を始め~それを見た劉偉も慌てて支度~
互いに自転車に乗って、無言のまま老師が住む胡同入口まで送り~
別れ際に「師大爺、さようなら」と告げると、「ん。。。」と一言、、、

どんなに天気が悪くても、劉偉は毎日通い続けた。
ある時、劉偉以外の弟子が一人も来ない日があった。王老師は、やはり、将棋を見ていた。
劉偉は樹木の周りを歩き~八卦掌の練習~負荷をかけるために砂袋ベストを着て&脚にも砂袋を巻いて~王老師からは無視されたまま二時間~空が暗くなろうかという頃になっても止めずに歩き続けていると~ようやく王老師がやってきて、「ま、合格というところだな」

劉「さりげない口調で発せられた言葉だったが、胸が熱くなり涙がこぼれそうになった。最近は、学芸(武)は簡単ではないという感触が失われてきている」
王「お前は本当に武術を愛しているんだね。だったら、教えよう」

この日より、套路、手法、操功、拳理に至るまで指導を受け~学ぶにつれ、劉偉の王老師の功夫と人品への敬服は増していった。

ある日、王老師が木の幹に背中を密着させているところを見た劉偉が、笑いながら「何をしているんですか?」と尋ると、「足元を見てみろ」~驚いたことに、王老師の両足は地面から浮いていて~身体が木に引っ掛かっているような状態⇒後ろ向きに両腕を木の幹に巻きつけて身体を支えていた~正面向きで行っても大変な動作なのに~既に60歳を過ぎていたのに。。。

王「練武は形の追求ばかりではダメだ。肉体に数百斤の力量が存在しなければ~手腕の力量が小さいと役に立たない。足腰に力量が無くては戦えない~友達同士の交流や武術ごっこの範疇~」


f0007580_8335882.jpg★宗維潔老師に連れられ~王老師が教拳している宣武芸公園に初めて行った時。劈拳で軽く二の腕を推されただけなのに、その力は内臓まで達して~震動。“凄い。これが本物!殺傷力がある!”と実感させられた威力の源。

★くる日も、くる日も、氷点下が続いた2009年冬。
マイナス10度以下の気温でも、通ってくる生徒が一人でもいれば~老師は、その傍らでタバコをくゆらせながら、付き添い。

★本当に、お世話になりました。。。 
当時の教えを今でも追求しながら、励んでいます。。。(--)!
by takeichi-3 | 2015-09-16 23:58 | 偉人たち | Comments(0)