このブログを始めてから、間もなく十年。
意外と早い~という感じですが、、、
北京語言大学での語学留学から、北京体育大学武術班への留学に切り替えた頃の記事を読み返していたら~太極拳老師の老師、李秉慈老師が、指導者たちに語った言葉を翻訳していて。
★呉式の名家≪李秉慈老師≫が太極拳を教える人たちに講習を行った時の内容です。。。
競技用套路(規定)の制作に携わったのは、見掛けは難しそうでも、伝統拳に比べると練習を積まなくてもこなせるという利点があると考えたから⇒練習時間に制限がある現代人の生活に則している⇒太極拳の発展は、社会とともにあって始めて可能になるのではないでしょうか。
1950年代。太極拳を習うといえば伝統拳。
その後、毛沢東主席の「体育運動を発展させて、国民の体力増加を図ろう」というスローガンに簡化24式太極拳が応え~太極拳=健身という認識が生まれました。
太極拳を習う際、誰もが姿勢や方向などでの間違いを犯してしまいます。
それをそのまま放っておくと、癖になってしまいます⇒「学ぶのは簡単でも修復するのは困難」となります⇒「一歩一歩、焦らずに確かめながらが大切」となるのです。
生徒に太極拳を教える時には、間違ったことを教えないように。
先ずは自分の癖をチェックする。上体、腰、腿など。問題を発見出来なければ解決することも出来ません。
ある年配の方の質問。
「私は、自分では出来なくても、何が正しくて何が間違っているかは理解しています。」
この問題については議論の必要もありません。
私たちは訓練の中において指導にあたらねばなりません。何度も正しい動作を示し、何度も示唆を与える。これこそが訓練ではないでしょうか。
あなたは、「分かっているけれど、出来ない」と言いますが、「分かっている=動作が完成している」ということになるのです。先に練習があり、理論は後からついてくるもの。沢山練習を積めば、理論も自然に深まっていきます。極めるということは、一歩一歩確かめながら慎重に練習を繰り返すということです。
ある人は、規定の動作を指して、「あんなにも緻密な要求は必要が無い」と言うけれど、円や四角といった明確な区別も知らずに、百人いれば百人の拳が存在してしまうという状態よりも、それぞれの拳式の特徴を早く掴むことが可能になります。
★最後の部分は、李秉慈老師の老師楊禹廷が規定拳を制定する際の会議で語った言葉です。
楊禹廷⇒
http://takeichi3.exblog.jp/21451045/