太極拳を学ぶに際しては放松を学ばなければならない。
「一層松一層功夫」
松のレベルによって、功夫のレベルも変化~松が得られなければ真功夫も得られない。
放松となって気血はスムーズに流れるようになる⇒貫穿⇒「行気如九珠、無微不至」
放松は、どのように求めるのか?
先ずは、「心静」となって、初めて放松が得られるようになる。
仕事や家事などへの雑念に煩わされず、内視に専念~内視=五臓六腑、気血変化、骨肉変化、陰陽変化などを感じ取る=「心死神活」~自身の内側に精神集中出来るようになると、拳の質も変わってくる。
心静を得られたら、放松を求める。
「松、松、松、太極功。学大極、先学松、不松難得太極功」
鄭曼青が晩年に弟子たちに語った話、、、
楊澄甫師父は、一日中、黙って、弟子の練習を傍らに座って見守っていたが~唯一口にするのが「松」
毎日、何百回と口にしていた~「これを理解できなければ、三輩子どころか六輩子(六度の人生=いつまで経っても)かけても太極功は身に付かない」
器用で、詩、書、画、医、太極などに精通していて、「五絶老人」と称されていた鄭曼青。
「一番難しいのは?」と聞かれ、「太極拳」と答えたという。。。
どこを放松したらよいのか~放松には順序があるのか?
放松は、上から下へと一節一節、一塊一塊、丁寧に水が流れ落ちるように松していく。
先ずは虚領頂頸を保持して~立身中正に。
松頸⇒後部の筋肉は力まず~後ろの壁に触れているように~頸椎は一つ一つ松開。
虚領頂頸が完成したら、下方向へと一節一節ずつ松開⇒肩井が下放松することによって~松開肩(肩甲骨、鎖骨が開く)~松開胸、背、腰、腹、命門、尾閭、会陰、股関節、膝、踵、足、足指~最後に湧泉へと松沈していく。
全身の関節を松開させて、骨肉分離の状態を作りだす⇒骨に支えられ、肉はぶら下がっている状態。
松は過程であって、目的ではない。
松(空)になることで阻みを緩和~気血の通りがよくなる⇒気沈脚底となる⇒「行気如九曲珠、無微不至」
★架子(姿勢、形)は肉ではなく、骨節によって支えられている。