北京で太極拳

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北京、中山公園。。。楊禹廷老師の想い出①

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北京、中山公園での楊禹廷老師(呉式)&弟子たちの集合写真。
こんな写真を見たら、出自が気になって~調べたら。。。
北京体育大学の「劉敬儒(形意&八卦掌)老師」が楊禹廷老師生誕115年記念に寄せた、想い出話に添えられていたもの。。。

1950年から60年代にかけて、毛沢東主席の「発展体育運動、増強人民体質」という方針の下、中国武術運動は発展し始め~毎早朝、天壇公園はもとより、東単公園、歴史博物館、故宫付近など~空き地があれば、学武のグループが見かけられた。

中でも、中山公園は賑やかだった。教拳する者が多かったというだけが理由ではなく~著名な武術家たちが公園内で教拳授徒していたので、レベルも高かった。

週末になると、ここを目指して、武術名家や愛好家が遠方からやって来て~
公園は、武練拳者たちにとって天国のような場所であると同時に、北京武術界の交流の中心となっていた。

正面から入って、東寄りに向かうと~劉志剛先生の八卦掌~日曜日には、韓其昌先生が北京大学の生徒と共にやって来て梅花桩の練習~北面では、崔毅士先生の楊式太極拳。午前十時前後になると、人々は、崔毅士老師が弟子たちを相手に推手を指導している姿を見ることが出来た~時には、形意拳の陳子江先生が授拳していることもあった。

東にある「今来雨軒(茶館)」近くの東屋周辺では、楊禹廷老師の呉式。授拳のかたわら~楊老師は、訪れて来た拳友たちと語ったり、優雅な雰囲気が漂っていた。

更に東に向かうと、駱興武老師が形意拳と八卦掌を教えていた。;
正門から入って西方向に~曲折する長廊を辿ると馬月清先生が八十八式太極拳を~孫風邪秋先生の陳式太極拳。孫先生の大捋は非常に功夫があり、多くの人を惹きつけていた。
北側の河沿いでは王芗斋先生が教えていた。

このように、中山公園では、至る処で練武術的人を見ることが出来た。

日曜日になると、私は、必ず中山公園に行った。
先ず、駱興武老師の処で形意拳と八卦掌の指導を受け~練習後には、駱老師に随って楊老師の所へ行き、生徒に推手を教えている様子を見ていた。

毎回、駱老師の姿が見えるや否や、東屋に座っていた楊老師は立ちあがって迎えに出て、座るようにと勧め~両手を添えて煙草を差し出し~談笑が始まる。

駱老師は、「楊老師の振る舞いを学ばなければならい」と言っていた。
確かに、駱老師は、せっかちで怒りっぽかったが~楊老師の影響で、感情の起伏も穏やかに、親しみやすくなっていった。

楊老師の処では、徐致一先生、郭古民先生、長陳雲先生~それに呉図南先生などの姿を見ることもあった。

ある朝、天津の呉孟侠先生がやって来て、怒気のある口調で「誰がXXXだ?」と老師に尋ねた~「XXXが、彼の弟子が俺を打ち負かすといったそうだが~どんな風に打ち負かすのか、自ら確かめに来た」

面倒なことに、XXXもやって来て~
「お前がXXXか?!お前の弟子が俺を打ち負かすのか?」
XXX先生は、言葉も返せず~顔を真っ赤にしていた。

これを見た楊老師は、急いで間に入って~双方に礼を尽くしながら、「若い者の言ったこと、根拠があるわけではない。些細なことで汚点を残すことなどしないで~仲良くやっていこうじゃないか」と言い~その言葉に双方納得して、握手を交わした。

一般の生徒が練習を終えて帰った後、近しい弟子たちに深い内容を授拳。
生徒たちは、聞きながらノートを取っていた。老師の教え方は生徒以上に真面目だった。動作だけではなく、拳理も~一式(勢)を細分化して、動作の方向や角度、劲力などを非常に明確に説明していた。

私は、いつも傍らで聞いていて~多くの拳理を学んだ。楊老師の講義は、学びというよりも喜びのお裾分けのようなものだった。

楊老師と生徒が推手する様子~どれだけ羨ましかったか。。。
ある時、楊老師と手を合わせる機会があり、初めて、真の「不丢不頂」~何が真の太極推手なのかを知った。楊老師は発力で弟子たちを飛ばしたりはしなかった。「足が浮けば、それで分かるだろう」

私の老師、張占魁の弟子裘雅和老師は、
「楊老師は、私がいつも偷拳しているのを知らない。楊老師は、本当に懂劲懂拳だ。素晴らし拳だ」
と言っていた。
by takeichi-3 | 2015-12-26 23:58 | 偉人たち | Comments(0)