北京で太極拳

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楊禹廷老師の想い出②。。。李秉慈

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今日も楊禹廷老師。。。
色々な中国書籍の中で描かれている楊禹廷老師が好印象だったので、、、
今日は、弟子の李秉慈(呉式太極拳研究会会長)が語った想い出など。


北京、中山公園(故宮の西側に隣接)。。。
楊禹廷老師が座っていたという東屋の姿も見えます。。。(^^)v



北京の、武術とは無縁の家庭に生まれた私が習武を始めたのは健康強身が目的。
幼い頃から虚弱体質。12歳の時に吐血してから、更に弱くなり~ちょっと涼しくなれば風邪を引いて吐血という感じで、色々な治療を受けたが好転せず、学校にも行けなくなった。

1946年の夏、十六歳の夏の初めに太極拳を学ぶようになった。
父の友人が、
「子供が、毎日家に閉じ籠っているなんて良くない。身体を動かさなければ。早朝の鍛錬健身に役立つ」
と~それから、父に付き添われて、毎日、近所の太庙(労働人民文化宮)を2.3時間歩くようになった。疲れると、腰を下ろして練拳している人たちを見ていた。

当時、太庙の古松柏付近で多くの人が練武していた。太極拳、八卦掌、形意拳など~ある時、一人の老先生が話しかけてきた。

「あなたたちの様子が気になって、久しく見ていたんだが~子供の具合が悪いのか?」
父が私の病状を告げると、
「子供に拳を練習させてみないか?丈夫になるかもしれない」

その時は、拳を習うにはどうしたらいいのか、拝師をしなければならないのか~とか、何も分からなかったが~老先生が言うには、
「太庙太極拳研究会」という太極拳組織が運営している。年会費は2~3元。入会すれば、毎日、ここで練拳出来る。公園の入場料もいらないし」
というので、入会することにした。

これより、毎日、ここで練拳~
この研究会は、政府機関によって運営されている組織で、太極拳は楊禹廷老師が担当していた。

楊禹廷老師に学ぶ人は多く、毎日80~90人の人が参加していた。
太庙太極拳拳研究会以外の北京にあった大きな組織は中山公園内の行健会だったが、行健会は、武術だではなく、テニスなども教えていた。

学拳者が多かったこともあり、学び初めの頃は兄弟子たちから指導を受けていた。楊老師からは~老師に、時間が出来た時にだけ~要点を指摘してもらえた。こんな感じで、一年半が過ぎた頃に拜師。

練拳を通して、身体は強くなってきて、病気に罹ることも少なくなり~1958年には、病院の検査でも問題が見つからなくなっていた。

1948年10月、北京解放間際の太庙は解放軍に占領されて物資置き場となってしまい~私たちは、中山公園に移動~来今雨軒近くの十字亭に落ち着いた。

楊老師の人柄は穏やかで親しみやすく、寛大で謙虚、人をけなしたり争ったりすることが無かった。
若い頃には、弾腿、黒虎拳、長拳、形意拳、八卦掌等を学んでいたが、三十歳頃に、王茂斋老師より太極拳を学ぶようになり~以降、太極拳に専念して一代大家となった。

私は、楊老師から教えを乞うこと数十年。太極拳以外に、四門刀、六合刀、六合拳等多くを学んだが~最終的には、太極拳、剣、刀、杆と推手を専門に研究している。

当時、年齢やレベルが異なる学拳者たちを指導する楊老師は大変だったと思う。
一日のうち、最初に来るのは勤労者たち。午前6時頃にやって来て、一時間ほど学拳してから出勤~二番目は、私のように働いていない人たちが8時頃に来て~9時以降には、高齢者たち~10時を過ぎた頃から、人が減り始め~以降、老師に時間がある時には、太極拳の講義と推手~老師は、毎日、午前6時には公園にやって来て、生徒を送り出し~正午になってから、ようやく帰宅。

楊老師の教拳の方法は、「口授身伝」
先ずは動作を覚えさせてから、ゆっくりと用法と劲力を教える。
当時、学拳に際して、拳譜等の資料は無く~拳式(勢)の名前さえ知らずに、老師の動きを真似していた。学び始めてから三、五年経って~兄弟子が動作の名前を尋ねた時、老師は始めてその動作名称を口にした。

拳架套路を学び終わると推手。それから、刀、剣、杆等の器械套路と、学ぶ順番が決まっていた。
毎日、公園に来ると、最初に拳架、続けて器械、推手という練習を繰り返していた。

年齢が若かった私への基本功(柔軟、踢腿等)要求は厳しかったが、高齢者には要求することなく、直接套路を指導していた。

学太極拳は、套路動作を覚えただけで終わらない。動作の用法も理解しなければならない。
1946年から1966年の間~旧悪として習武が禁止されていた文化大革命時にも楊老師の指導を受け続けた~動作の要領、規範動作、器械、推手、二十年以上、たゆまず磨練して技術を受け継いだ。幼い頃には病弱だったのに、八十を超えた今では、健康で足腰もしっかり~楊老師と太極拳に感謝している。

楊老師は、徳が高くて、芸(武)に精通している~と、北京武術界で称賛されていた。
その太極拳は、軽灵柔滑、善于柔化~弟子たちに推手を講義する時、「手を合わせた時には軽く~“軽”という条件が整っていなければ相手の劲力を听けない。重いと听劲能力が落ちる」⇒「重手听力差、軽手敏捷」
と教えていた。

ある人は、、、
「楊禹廷老師との推手は、まるで絹に触れているような感触~柔らかく、なめらかに滑っていく」
と述べている。

楊老師は、武徳についても説いていた。
推手の時、軽はずみに力を出して、相手に恥をかかせないように~相手がバランスを崩した、もしくは安定しない、で十分~自分の功夫がまだまだだと自覚して、引き下がてくれれば十分⇒「点到為止」

当時の推手は、技術を研究する為に互いに切磋琢磨していた。
力比べではない~勝ち負けや技術の高低を決めるのではなく、練功を通して、自身のバランス~相手の力の受け方~躱し方などの変化を体得するのを目的としていた~現在の競技用推手とは目的が異なる。

当時、公園での教拳には面倒が生じることもあった~
老師の名声を伝え聞いて、腕試しを挑んで来る者がいたり~というような。けれど、楊老師がそのような面倒に巻き込まれたことはなかった。

二つほど、小さな出来事があった。
中山公園で練拳している時、一人の外地人(北京以外の人)がやって来て、、、
「この十日ほど、あなたの拳を見ていたが~教え方が素晴らしいので、習いたい~」
「練拳経験は?」
「二十年ほど」
「何を?」
「楊式」
これを聞いた楊老師は、、、
「私が教えているのは呉式。今から私に随いて習っても、今ほどの力はつかない。あっちで、楊澄甫の弟子で功夫に優れている崔毅士老師が教えている」
と、婉曲に拒絶した。
私は、生徒が増えるのに~と思ったが、、、
「二十年近くも学んだということは、それなりの功夫があるはず。それを改拳させるなんて、勿体ないだろう?」

そして、もう一つ。。。
私と、そう年が変わらない、頑固で気の強い性格をした師兄がいて~
推手練習時、発力を使って相手を飛ばしたがっていて~楊老師から五年ほど学んだ後、太極拳は自分には合わないと考え始め、同じく、中山公園で形意拳を教えたいた陳子江老師から拳を学びたいと考え~こっそりと、陳子江老師の下で形意拳を習い始めた。

数日間、陳子江老師に学んだ後~隠し事をしたまま練習するのはよくないと、陳老師に告白。
彼が楊老師の弟子だと知った陳老師は、「楊老師に次第を告げ、老師から一筆貰って来たら教えよう」と、、、

仕方なく、師兄が楊老師に自分の思いと陳老師の言葉を伝えると、、、
「一筆は必要ない。私が一緒に行って直接頼んであげよう」
と笑いながら言い~即座に、師兄を連れて陳老師の元へと向かい~
「師兄。彼を指導してくれないか。師兄と私では教え方が違って~彼は師兄の拳を学びたいらしい」
という出来事もあった。

この二つの出来事で、楊老師の心の広さを実感させられた。

私自身、現在は太極拳を専業としている。
現在の太極拳、大きく変化している。以前は女性の練拳者は少なかったが、女性の方が多くなっている。若者が多かったのが、高齢者の方が多くなり~推手練習が少なくなったり~

私の教え方も楊老師とは違う。
先ずは、套路を教え~その過程で、套路に出てくる式(勢=架)を利用して、基本功と基本用法など~中身の無い套路とはならないように、糾正、説明をしている~これらの知識が無いと、レベルアップが出来ない。

太極拳を練習する時には、「何故、そうしなければならないのか?」を理解しなければならない。
by takeichi-3 | 2015-12-27 23:58 | 偉人たち | Comments(0)