北京で太極拳

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六小齢童。。。The 美猴王(孫悟空)

中国の芸能界で、美猴王(孫悟空)と言えば~この人⇒「六小齢童」
ドニー・イェンも「Monkey King」で孫悟空を演じた時、参考にしたと語っています。

2016年、申年を迎えるに際して製作されたペプシコーラのショートフィルム・・・
≪把楽带回家之猴王世家≫、主人公は「六小齢童」




f0007580_038326.jpg六小齢童の家は「猴王世家」。
曽祖父が猴戯を始め~父は六歳の時から曽祖父から指導を受け、「六歳童」という芸名を付けられ~兄&彼へと伝承された。

1976年6月に上海の高校を卒業後、浙江昆劇団芸校に入り武生を専攻。
後継者として期待されていた二番目の兄章金星は「小六齢童」という芸名で呼ばれていたが、不幸なことに、1966年に白血病に罹り夭逝。

1982年、彼が中国中央テレビの連続ドラマ「西遊記」で孫悟空を演じることになった時、父は亡き兄の芸名「小六」を逆にして、「六小齢童」という芸名を与えた~このドラマが放映と大評判に~国内外で最優秀賞を獲得。


★動画、「猴王世家」の内容。。。
「舞台に立った者は、そこから下りることはない」と父は言っていた。
章家は、四代に亘って「美猴王=孫悟空」を演じている。
曽祖父は、田舎で美猴王を演じ始めた~「活猴章」と呼ばれた。
祖父は、紹劇猴戯を広め~「賽活猴」と呼ばれた。
父は、六歳の時に学芸を始め~「六齢童」と名付けられ、自身の派を築き「南猴王」と呼ばれた。

私の世代、家には十一人の子供がいた。私は一番下。
二番目の兄は天賦の才があり、父の芸を継承~「小六齢童」と名付けられた。
その兄は、十七歳の時に白血病に罹って死んだ。
「兄さん、何処に行くの?」
「僕は、お前には分からない処に行かなけらばならない」
「どうしたら会えるの?」
「お前が美猴王になったら、会えるよ」
「ん。。。」
その時、兄の手から如意金箍棒が手渡されていたことなど、思いも及ばなかった。
彼に代わって、成し遂げられなかった道を進む。。。

1982年。テレビドラマに出演するに際して~
「あなたの息子には、表演者としての経験が無い。このドラマ版の西遊記は~」
と心配する監督。。。
「安心してください。彼は私の息子です。私が指導します」

“苦練七十二変。才能笑対八十二難”
演劇も人生も同じ。

1984年大晦日。春晩を見る余裕もなく撮影をしていた現場に届いた父からの手紙。
「息子よ、家族の皆がお前を気にかけているよ。監督から送ってもらった映像を見たが~動作には問題ないが、目に力が無い。美猴王の神韻が足りない。頑張って有神な眼を~」

それから十七年。停まることはなかった。
「舞台に立った者は、そこから下りることはない」
私たちの家族がそうです。
ある人は、私たちの事を猴王世家と呼びますが、猴戯は「章家」に属するものではなく中国の人々に属する物。

如意金箍棒は、一代一代と受け継がれ~観客たちが、喜びを家に持ち帰れるように。。。

★“苦練七十二変。才能笑対八十二難”
この動画が発表されてから、中国では西遊記哲学とも称され~
その解釈が取り沙汰されている六小齢童の言葉。
「しっかりとした学び&工夫を経験していれば、どんな難問も楽勝~♪」
みたいな感じ。。。かしら~( ' ' )~~~
by takeichi-3 | 2016-01-25 23:59 | 偉人たち | Comments(0)