北京で太極拳

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有能な弟子には旅をさせる⇒「下山」。。。呉図南

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中央に「孫禄堂」、その右が「楊少候」、更に右が「楊澄甫」~左は「呉鑑泉」
※被撮影者基準。。。

呉図南。。。
呉鑑泉&楊少候の二人に弟子入りしているのですが、、、
「何故?」を説明している文章があったので。。。(#^_^#)

両親ともに高年齢の時に生まれた子供だったせいか、身体が弱くて病気がちだった呉図南。
宮廷医を家に呼んで治療を行ない、それなりに丈夫にはなっていったが~健康体とはいえない様子に、「練功夫が良いだろう」と医師が進言~9歳の時、家長に連れられて武術館へ⇒この武術館は全佑老師が創設したものだったが、既に古希を迎えていて~その子、呉鑑泉が太極拳を指導をしていた。

呉鑑泉の下で8年学んだ後、楊少候に弟子入りして~楊氏太極拳小架を4年間学ぶ。
どうして、このような事が可能だったのか?

呉図南によると。。。
第一段階⇒老師の元で基本をマスターした後に「出徒(出師)」~「下山」と言われる第二段階の修行に⇒江湖(世間)の荒波に揉まれる⇒異なる門派の武術者たちと切磋琢磨⇒第二段階の学生は若いので、過信気味~他派の高手に打ち負かされることで、世の中には自分よりも強い人間がいると知り虚心が生まれる。同時に実戦経験も積める~弟子がこの段階に到ると、師匠は再度受け入れ~より高度(内面)な武芸を伝授し始める⇒同じ拳でも、異なる境界の拳。。。

呉図南の性格を見込んだ呉鑑泉は、彼を楊少候に推薦~楊家小架拳を学ぶことになる。

「柔化の拳」と呼ばれていた呉鑑泉老師の拳は守りが主体で相手を打つことは殆どなかったが、その脚を移動させることは誰にも出来なかった。それに対して、楊少候老師の拳は容赦なく攻撃的だったので、高手たちも敢えて手を出す者はいなかった。。。

呉図南は、そんな二人の老師に学んでいる。




★映画「道士下山」の始まり部分。。。
主人公が山から江湖(世間)に出された意味~映画では「食料不足~」的な解説もありましたが、、、
ようやく、別の意味が理解できました。


by takeichi-3 | 2016-02-20 23:59 | 偉人たち | Comments(0)