北京で太極拳

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最近の高佳敏。。。

「太極女皇」と呼ばれている高佳敏の最新表演。。。



現在は、アメリカに拠点を移している高佳敏の「世界太極拳ネット」でのインタビュー。

八歳の時に福州市井一嵐山小学校で孫崇雄老師より習武を始めた。
一年ほど過ぎた頃、学校の予算の関係で武術の授業が無くなってしまい~孫老師の移動に隋いて前衛小学校に転校。毎日練習を続けた。早朝、拡声器から広報が流れると起床し、走って老師の家へ~練習が終わると走って学校へ~学校で父親が運んでくれた朝食を食べて~授業が終わると老師の元へ~を一年半続けた。

子供の頃は虚弱体質だったけど、練武術で改善できた。
動くのは好きだったし、楽しかったし~武術は私の親友みたいな存在になった。両親は理解を示してくれ、反対することはなかった。学校の成績は良くて学級委員長にも選ばれていたのに、習武の為に二回転校した。 

1977年に福建省武術隊が組織され、恩師の曾乃梁老師に選ばれて福建隊の最初の選手となった。1978年、福建武術隊の代表として、初めて全国武術大会に参加。女子代表六名の中で一番年下~以降、1998年に引退するまで選手として参加し続けた。

初期の頃、福建隊の練習環境は、専用の練習スペースも絨毯もなくて最悪だった。
ある時、「側空翻劈叉=側宙から前後開脚」を練習している時に膝関節を傷めてしまい、選手を続けるには、跳躍が少ない種目に変えなければならなくなった。

南拳にするか太極拳にするか。。。
隊の中には、既に全国太極拳チャンピオンがいたので~南拳のコーチから「呑み込みが早いから、南拳でも直ぐに良い成績が得られる。太極拳だとしたら長く活躍している彼女を超えるのは難しい。いつまで経っても彼女の後ろ~」と言われた。

元々、お転婆で活発だったから、誰も太極拳が向いているとは思っていなかった。
当時、太極拳が習得に時間がかかるなんて知らなかったし、南拳よりも見栄えが良く女子に向いていていると思ったので太極拳に決めた。大志とかがあったわけではない。

太極拳を練習する為に書法を学び、針灸を学び~落ち着きが出てきた。
父は字が上手くて、家でも練習をしていたということも影響している。書法は毎日、針灸は週二回老師の元で学んだ。続けるうちに、虚実の変化、陰陽の変化を体得することができた。

太極拳で、まだ良い結果が出ていない頃、山西の楊振鋒老師と哈爾濱の張继修老師が指導に来たことがあって~老師たちから「素質がある。将来、良い成績を獲得するだろう」と励まされ~優勝したこともなく、隊の主力選手でもなかったけれど~どんなに辛くても続けていこうと心に固く決めた。

太極拳練習を始めて八年が経って、ようやく全国大会の太極拳&太極剣で金メダルを獲得。
以降、十年近く、世界武術大会、アジア大会、全運会、全中国大会等々の大きな大会で32枚の金メダルを獲得した。

1999年に引退してからアメリカに。。。
太極拳や太極剣での金メダル以外、蟷螂拳では銀メダルを獲得している。多分、初めて蟷螂拳を習った女子だと思う。山東隊の于海老師に随いて学んだ。また、剣対練でも三位を獲得していたけれど、時代と共に競技プログラムの中に難度跳躍動作などが取り入れられるようになり~競技生活からの引退を決めた。

現在のアメリカでの教拳。。。
殆どの学生たちの目的は養生保健。
初級者は24式簡化太極拳と32式太極剣の套路を学んだ後、私たちが特別に採用している鏡式(動作を左右入れ替える)練習。一般的に、人は利き手の力が強くて、もう一方は弱い~そのバランスを整えるのに役立つ方法。左手32式太極剣の効果は大きい。

太極拳を広く発展させていく為には太極拳の競技化(規定化)も大切だと思う。
太極拳は、多くの名家や先輩たちが私たちに残してくれた貴重な文化遺産だけど、世の中の発展と進歩に合わせて科学的に理解していったほうが~伝統太極拳も、創生した時から変化をしていないという訳ではない⇒「変化が無い=生命力が無い」⇒変化するにつれて良くなっていく~時代時代に合った形に=伝統が受け継がれていく基礎になる。
by takeichi-3 | 2016-04-01 23:44 | 偉人たち | Comments(0)