北京で太極拳

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失伝危惧種。。。楊氏快(長)拳

★董英傑(楊澄甫入室弟子)の楊氏快拳。。。
楊式を学ぶ以前に学んでいた武式太極拳も加味された「董氏快拳」になっているそうですが、、、



1849年頃に陳家溝を離れた楊禄禅は、その技を班侯と健侯の二人の息子に伝えた。
班侯は楊氏小架太極拳を極めたが、現在、班侯の技術を伝承している者は少ない。

兄よりも穏やかな性格をしていた健侯の元には多くの生徒が集まり、大中小の三種の架子を学んだ。健侯は、息子の少侯と澄甫に伝え~澄甫によって楊氏大架太極拳の基礎が固められた⇒現在は、澄甫が定めた定式が流伝している。

澄甫は子供の頃、拳術が好きではなく~
二十歳近くになってから学拳を始めたので、父の存命中に全ての奥義を学んだわけではない。三十歳過ぎに父親を亡くし~日夜、父の弟子たちの助けを借りて研鑽を積んだ。

楊氏兄弟と親密だった呉鑑泉。その弟子の馬岳梁によると、、、
「澄甫は、よく、鑑泉老師の家に来ては推手をしていた。その時、楊氏快拳を使っているのを見たが~澄甫亡き後、楊氏快拳は失伝してしまった~当時、澄甫は北平体育研究社で授拳していた。その頃は、まだ太ってはおらず英俊潇洒な感じだった。快拳をこなすには身軽でなければならない」

楊少侯、澄甫と呉鑑泉が北京体育研究社で太極拳を教えていた時には、“全ての架子に発劲、跳躍の動作があった=太極拳快(長)拳”~後に、楊澄甫と呉鑑泉の二人は、発劲や跳躍動作を除いた一般人にも適した太極拳架子を考え~均一でゆっくりとしたものに変えた。

澄甫の兄少侯は、これを良しとはせず~
「お前たちが変えたいなら変えればイイ。私は変えない。楊氏太極拳というのであるならば、本来の姿のままで練拳しなけらばならない」と主張~彼の教え方は、古来の練拳~弟子たちには一切の手加減もしなかったので、耐えきれずに辞めて行く者が続出。功夫は高くても、性格は粗暴~その技術を伝承した弟子は極僅かだった。

一方、澄甫の性格はとてもよくて、その教え方は辛抱強かった。
初めは、ゆっくりな動作を教え~快架子も教えたが、太り出したのが原因で快架子を指導できなくなったという。

身長も高かったが、体重は晩年に向かうにつれて徐々に増え~130kg前後になっていた。
体重に加えて非凡な楊氏太極拳の功夫も有ったので無敵~ではあったが、北京・杭州・南京等で授拳~上海・広州に至った頃には、体にかかる負担が大きくなってしまったせいで快拳が教えられなくなっていた。

★董英傑。。。
澄甫の体重を受け止めながら推手の相手が出来る数少ない弟子の中、一番の推手者。
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by takeichi-3 | 2016-04-12 23:58 | 偉人たち | Comments(0)