北京で太極拳

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大刀王五(清朝末年の武師)。。。

霍元甲とも親しいかったという大刀王五(清朝末年の武師)
※下記説明の順序、動画通りではない部分もあります。



1898年、戊戌変法(政変)を計画して、北京へと来ていた譚嗣同の衣食住の面倒を見ていた大刀王五~クーデター計画が西太后に発覚、首謀者として捕らえられて斬首された譚嗣同を始めとした戊戌六君子を救い出せなかった。。。

譚嗣同が獄中の壁に記した遺書の中に「両崑崙」という言葉の中に隠されている、自身が成し遂げられなかった改革の実現を託した二人の人物⇒康有為と大刀王五~一人は北京を離れて、一人は北京に残っていた。

★戊戌の政変
光緒帝のもと、康有為ら革新的官僚が近代化を推し進めようと起こった一種のクーデター。
協力を持ち掛けた袁世凱により、保守派西太后に密告され~光緒帝は逮捕幽閉。首謀者として譚嗣同は処刑。康有為、梁啓超は逃亡~日本に亡命した。


王正誼(1844年—1900年)、字子斌⇒俗称「大刀王五」。
河北滄州で生まれた、北京で名の知られた武林名侠。義を重んじる侠客としての生涯。
清末の武林十大高手のトップ⇒董海川、燕子李三、霍元甲、黄飛鴻等が名を連ねている。

極貧の農村に生まれた王五。三歳の時に父親を病で失い。小さい頃から雑役をこなしながら母と命をつないでいた。十二歳の時に焼餅店の見習いとなり~滄州で有名な錨師(ガードマン)双刀李鳳岡を師として学芸。その後十数年、ガードマンを生業としながら、李鳳岡の武芸を真伝~習武の少年は、強壮な硬骨漢となっていた⇒李鳳岡の第五番目に列する弟子だったので「小王五」と呼ばれていた。

以前の武術界、弟子は師匠から十八般兵器等も学んだ。それぞれの師匠には、各々の得意があった~李鳳岡が得意としたのは六合拳~では、大刀王五の大刀は何故?

三十歳の時、北京で、第二の師匠となる山西董に師事して単刀を学んだ。
長くガードマンを務めていた王五の腕力は抜きんでていて、他よりも大きな刀を作らせた。言い伝えによると、50kgあったという稀有な武器~その効果は関雲長の大刀に引けを取らない威力があったという。この大刀のことは北京以外の地域にも伝わり~世間から「大刀王五」と呼ばれるようになった。

大刀王五を題材にした書籍、映画等は数多くある。
写真の右側の人物が大刀王五~唯一の写真。写真の背景に「源順錨局」の額があって、王子斌、王子亮という名前が見られるが、王子斌=王五。まだ若い姿から察するに、錨局を開設して間もない頃に写したものではないかと。

友人の援助を得て1870年に北京に錨局を設立。
需要が多かった時期~徳義高尚だった彼の商いの評判は良く、短期間の間に繁盛するようになった。

当時の流行り歌。
「走錨者、英雄也、白龍馬、梨花槍、走遍天下是故郷」
走錨=依頼主からの荷物を守って遠距離を移動~その行程では多くの危険が待ち伏せている。

実際には、、、
保錨が高手の集団だと知っていた盗賊たち。デメリットが多いことが分かっていたので、襲ってくることは殆どなく~挨拶を交わして、互いに名乗り~裏取引的なことを。。。

錨局~盗賊がいてこそ成り立つ職業。。。盗賊の存在によって食べていくことが出来る。

★続きは、又。。。((((((/-_-)/
by takeichi-3 | 2016-05-13 23:56 | 偉人たち | Comments(0)