今日は、ジャッキー・チェン63回目の誕生日。
フランス大使館のコックをしていた父親。
経済状態は悪くは無かったのだが、武侠映画が好きで、落ち着きがなく~勉強嫌いな幼児だったジャッキー。やむなく、父親は尖沙咀の京劇大師≪于占元≫の元へ彼を送った。後に、オーストラリアでの仕事を見つけた父母は、彼を一人香港に残して旅立った。
≪七小福たちの回顧≫
師匠は、「清炒虾を食べたいなら練功に励め!」と言っていたけど、特に食べたいと思わなかった自分が練習しなくても構わなかったと思う?七小福たちの生活は、練功と鞭で打たれる毎日。ここに入る時、「言う事を聞かない時には、打たれ死んでも無怨」と書かれた書類にサインしているからね。
やって来て二日目、「初めが肝心だから」という理由だけで十回も鞭で打たれた。
師匠とは養子のような間柄だったジャッキーは、贔屓していると思われないように、皆の倍打たれていた。そのお陰で、彼は一番の人気者になれたんだ(笑)。
今でいう、児童虐待的な訓練だった。
ジャッキーは、毎晩泣いていたと語っている。元秋が家に帰った時、母親が彼女の身体に残った傷を見て泣き止まなかったと。
毎日、7時に起きて、8時に朝食~9時から、ストレッチ、一時間の倒立、型などの基本を12時まで~昼食後は午後2時から夕食まで~夕食後は歌の練習~夜9時に就寝という日々。
一人前になった弟子たちは、「師匠のお陰で、功夫は訓練の積み重ねによって得られるという事を身をもって理解した⇒“台上一分鐘、台下十年功”」と語っている。
舞台収入は一日70元程度。
それで、百人近い劇団員の食事等を賄うんだから~師匠も苦労していた。
映画が普及隆盛していくにつれて戯曲の人気は衰え、劇院の収入も減少。
多くの映画関係者が劇院に武術をこなせる子役を探しに来て、子供たちは端役やスタント要員として駆り出されたが、観客の印象に残るような役柄は与えてもらえなかった。そんな中、ジャッキーは、一つ一つの役を丁寧に、怪我をしても愚痴をこぼさず一生懸命にこなした。その姿を見た監督が彼に機会を与えた。
オランダで≪Who am I≫を撮影している時、師匠の訃報を受け取ったジャッキーは、撮影を停止して葬儀に出席。その後、オランダに戻って撮影した21階から滑り降りるシーン。
「師匠を記念して飛び降りた」