北京体育大学留学中のブログ内容を再確認したくて検索していたら、、、
2008年。。。
当時は、体感体得を「理解している!」というレベルでは無かったのに、
内容が深い文章があって(笑)~補填しながら、改めて。
≪太極拳学習:段階毎の追求事項≫
・第一段階
定式姿勢の完成を目指し、歩型、歩法、腿法、身法、手型、手法、眼神、姿勢の正確さ、歩法の安定、伸びやかな動作、柔らかさといった要求を追究。
・第二段階
経過動作での変化を、太極拳理の規律や特徴と照合しながら連貫協調、円滑自然を追究。
・第三段階
同じ動作を何度も繰り返しながら、意による劲力の運用。
呼吸と動作の自然結合の完成により、思いのままに全身をコントロールすることができるように。
≪第三段階≫
★
身法、外三合の精度が、ある程度のレベルまでに達していないと実現は難しいです。
套路練習を通してでも劲や化劲の方法を知ることは可能です。
「劲」とは力の運用=「劲力」
劲を知る=太極拳の力の特徴を知ること=力の使い方を知る。
第三段階において重点をおいて練習しなければならないのは、劲力の完成=内外の統一。
先人たちは、これを「練意、練気、連力」⇒功夫と称した。
套路練習にあてはめて説明するなら、、、
「劲力完整」とは動作の経過(定式から定式へ)において「力量連綿不断、剛柔相済」&「内外统一⇒意念、呼吸と動作の協調」であること。これらを認識体得するには、練習を積み重ねる以外にはありません。
(一) 虚実分明、剛柔相済の中の矛盾
太極拳は矛盾(虚実、陰陽)が転換を繰り返す内外相随の全身運動。
例えば、「動作の終点=始点」、「静が動を産み出す」、「実は虚への過程動作」となります。
動作の一部で説明するなら、体を支えている軸足は実ではあるけれど静。もう一方の足は、虚ではあるけれど転換の要素を含んでいるので動。動作名称の用法を表現している手は実(陽)。補助ではありながらも均衡した力を発揮している手は虚(陰)。力を発揮(剛)しようとする時には放松(柔)でなければならない。例えば、筆で字を書こうとする時に、掌に力を入れて握りしめていると書き難くなるのと同じ。
虚と実、剛と柔、の対立と統一を理解することによって、太極拳の全ての動作の中に存在する運動転化過程(虚と実が関連を持ちながら変化を遂げていることや、動作の終わりに身体を緩ませることによって体の関節や筋肉が自然に次の動作へと移行していく~の体得が可能に。
「虚中有実、実中有虚」は、筋肉を駆使した力では理解できない状態。
太極拳の全ての動作の中には、どの瞬間にも相反する力が存在していて、、、
白鶴亮翅で腕を上にあげたい時には、肩・軸足の股関節を沈める力を利用するとか、攬雀尾のリーで相手を下に沈めるには、前股関節を沈めるだけではなく頭を上げる力も利用するとか、、、
このような感覚は、自分自身の身体を使いながら、さながらパズルを解くように規範に当てはめながら繰り返すことによってのみ体得が可能となるのです。
動作と呼吸を合わせる。
基本的な呼吸なら訓練を積み重ねることによって自然と身についていきます。
けれど、上級に至ったなら、呼吸を意識の支配下において動作に適したものに変えることにより、攻防の作用を大きくする効果があるものにします⇒「拳勢呼吸」
太極拳の動作が完成に近づいた時に要求されるのは、、、
「沈着充実」「動作穏定」「要求沈肩」「虚胸」「実腹」
これらを満たすには、意識による横隔膜運動(⇒腹式呼吸)を利用する必要があります。
特に理解しやすいのは動作の転換時。。。
攬雀尾を例にとるなら、リーから擠に転じる時or按で引いて推すに転じる時。
先ず、含胸抜背・沈肩墜肘・尾閭中正~と同時に息を吸い込み下丹田に落として力を蓄え(⇒合)、呼息と共に外側へ発せられる力(開)へと転換~このように意識された呼吸であれば、沈穏堅実な力を発することが出来ます。
意識を集中させ、意識によって導く⇒太極拳練習に大切なのは最初から終わりまでの思想集中。
初心者のうちは、形に意識を集中させます。 熟練してきたら、身法の運用を考えるようにします。
含胸抜背によるpeng劲、沈肩~尾閭中正~更に松沈~足裏まで到達した劲が地面による反発で蹴り出しを生じさせ~弓腰~弓背~腕へと伝わって行く。
意識集中は緊張とは異なります。
意の活動によって劲力は剛柔、張弛が共に存在するようになると同時に、節節貫串な変化運動が可能⇒意活動と劲力の運用が統一された効果を発する⇒沈而不僵=沈(重)ではあるが硬くない、軽而不浮=軽いが浮いてはいない~という状態。
練習時には意識も飽満であるように⇒目線も含めての精神集中。
意を操れるようになると、緊張、疲労、感情的になったり~がなく穏やかになります。
意、劲、動作~この三者、統一されてはいるが主従関係は存在⇒意が劲を導き、劲が動作を導く⇒「先在心、后在身」