2011年頃~北京体育大学滞在時に何度か話をする機会があった武術班の研究生。
「郭玉峰」全中国大会チャンピオン。
卒業後は首都体育大学の武術班の老師~最近、北京体育大学に留学していた日本人女子と結婚~♪
全中で優勝する=半端ではない力を持っている~のは、モチロン分かっていましたが、、、
「伝統拳(形意拳)を習えば習うほど、武術本来の面白味が湧いてきて~表現に重点を置いている競技套路への興味が薄れてきている」と発言した私に返ってきた答え~功夫者の言葉、説得力大!
競技も伝統も、どちらも武術を基盤にしています=いずれも武術。
競技種目は、社会の変化に伴って新しく生まれてきた流派です。
僕が武術を学び始めた頃の練習方法は伝統武術の訓練法が基本になっていました。
10歳で家を離れ、武術学校で過ごすうちに競技套路が生まれて訓練方法も変わってきました。
大事なのは、自分自身が行っていることが何なのか?それに必要なことは何なのか?を見極めて精進し続けることです。
大会で上位を目指したいなら、難易動作の完成度はパーフェクトとしなければなりません。
その為には、休んでなどいられません。毎日、毎日、ひたすら練習に費やします。
(彼が家を出てから、24歳になる今までお母さんに会ったのは100日を超えていないとか~)
それに加えて、動作の一つ一つの芸術度を鏡に向かって研究。
例えば~基本になる形を作ってから、腕の高さや身体の傾きなどをあれこれ試して、一番綺麗に見える形を模索します。それを、朝昼晩~毎日、同じように続けなければトップは維持できません。
★「堅持する=功夫=中国文化」
孔子の論語にある「子日学而時習之不亦説乎」
子曰(のたまわ)く、学(まな)びて時(とき)に之(これ)を習(なら)う。亦(また)悦(よろ)ばしからず。
「学んだら、これをよく何度も繰り返し復習することが大切です。復習すると判らなかったことも判るようになってきます。これは楽しみとなります。」
学問とは知識を習得するためのものではなく、自分自身を磨くためのものです。
学ぶ際には、絶えず復習に努めなければなりません。
復習の習という字は羽に白と書きます。
⇒鷹の雛が少し大きくなると羽が白くなってきます。この頃になると、雛は親の姿を見て繰り返し繰り返し巣から飛び立つ練習をします。このことから習うという字が出来ました。このように何回も復習をすると今までわからなかった事も理解できるようになってきます。これは喜びに変わります。
学んだばかりでは使い物になりませんが、何度も復習するうちに悉熟(習慣化)して~あらゆる状況に応じて柔軟に対応できるようになります。また、人格形成にも役立ちます。
習には特定の形(=完成)はありません。続けることによって変化(進化)し続けます。
「台上十分功、台下十年功!」
学問は自分自身を磨く為のものですから、他人が自分をどう見るかなどは気にしないことです。
それが君子というものです。君子とは絶えず自分を磨き続けている人のことを呼ぶのです。