夜。練習から帰ってきて、テレビをつけたら、
“アラバマ物語”
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/TO%20KILL%20A%20MOCKINGBIRD.htm
1962年の作品。
ローマの休日に出ていたグレゴリー・ペックが主演の映画。
主人公のフィンチ弁護士は、2003年に米国映画協会が定めた過去百年の映画ヒーローベスト50の一位に輝いているそうです。
あ、あ、、、ついでに。
帰国の飛行機の中で観た、“アメリカン・ギャングスター”
実在の人物をモデルとした主人公の一人、ハーレムの麻薬密売人フランク・ルーカス。
デンゼル・ワシントンが演じたせいか、魅力的。
つい、調べてしまいました。
経歴
NY116番通りで麻薬を売り、1日に百万米ドル稼いでいた。
ルーカスの犯罪当時、NY州特別薬物検察官だった連邦判事のスターリング・ジョンソンは、ルーカスの稼業を「これまでで最も極悪な国際麻薬密売のギャングの一人で、アメリカ国外に独自のコネクションを持ちストリートで薬物を売った革新者」と呼んだ。彼はシチリア人やメキシコ人ギャングとコネクションを持ち、マンハッタンのヘロイン市場で莫大な独占を築いた。
ルーカス75歳のインタビュー。
「私は金持ちになりたかった。私はドナルド・トランプのような金持ちになりたくて、そして神に誓って、私はやり遂げた」
ニューヨーク・マガジンの2000年8月14日のインタビューより。
ルーカスは厳しく管理された「カントリー・ボーイズ」と呼ばれる一団に信頼を置いていた。彼は血縁者や彼の故郷のノースカロライナ出身の男を使う事を好み、なぜなら彼らは、彼から盗む可能性が少なく、都会の生活に慣れていないためだった。アジアから輸入した彼のヘロイン「ブルーマジック」は98%純度で、そのままでストリート販売した。
ルーカスによると「52百万ドルくらい」の価値のヘロインの大部分をケイマン諸島の銀行に預けた。さらにこれは「手元のざっと千キログラムの麻薬」がキロあたり30万ドルを下らない潜在的な利益を生み出した。さらに彼の資産は、デトロイトのオフィスビル、ロサンゼルスとマイアミの住居があった。ノースカロライナに広がる数千エーカーの「フランク・ルーカスのパラダイス・ヴァレー」では、12万5千ドルする牛を含む3百頭のブラック・アンガス牛を所有していた。
ルーカスはエンターテイメント界、政界、そして犯罪界のエリートたちと付き合い、ある時はハーレムの最上のクラブでハワード・ヒューズに会う事もあった。彼は数着のミンクとチンチラのコートやその他のアクセサリーを持っていたが、彼自身注目されないように非常にカジュアルな装いを好んだ。」彼は一児の父であった。
1970年代中頃に彼が逮捕された時、ルーカスの資産すべては政府に差し押さえられた。
逮捕と釈放
1975年、フランク・ルーカスはニュージャージー州でリッチー・ロバーツ刑事に逮捕され、 連邦とニュージャージー州両方の薬物違反で有罪になった。1976年、彼は70年の懲役刑を宣告された。一度有罪と決まると、ルーカスは100以上の麻薬に関連した有罪判決をもたらす証拠を提供した。彼の刑は短縮され、仮釈放へと変わり、1981年には刑務所から釈放された。1984年、彼は再逮捕され、新たな薬物違反と宣誓釈放違反で有罪となった。彼は7年の懲役刑を受け入れ、1991年には釈放された。