北京で太極拳

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山口百恵は楊貴妃の末裔。。。


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中国中央テレビに、
「山口百恵は楊貴妃の末裔」という番組がありました。
その人気、いまだに衰えていないようです。
http://you.video.sina.com.cn/b/12869901-1268623727.html#

f0007580_083142.jpg楊貴妃は元々玄宗の息子の妃の一人でしたが、玄宗に見初められたために、一時的に女冠(女道士)となり、その後、玄宗の後宮に入入りました。

玄宗は楊貴妃との愛欲の生活に溺れて政治を顧みなくなったばかりか、彼女を喜ばすために楊一族の位を高くして、その結果、楊貴妃の従兄である楊国忠の専横が始まり、彼が遠征を行うなどの悪政を行ったために国力が弱まり民衆からの恨みを買うようになっていったのです。

さらに権力争いのライバルである節度使の安禄山を蹴落とすために玄宗に讒言を行った結果、危機感を覚えた安禄山が反乱を起こします。

首都である長安から逃げ出して蜀へ向った楊貴妃たちが馬嵬(陝西省興平市)に至ると、国を混乱させた楊国忠を恨んだ兵士達が起こして楊国忠は殺害され、兵士達の要求により、玄宗はやむなく楊貴妃を縊死(首吊り)させました。

その一方で、楊貴妃は逃げ延びて日本に向かったという伝説も残っています。

タイトルとなっている、
「山口百恵は楊貴妃の末裔」に関しては、MCも強引過ぎると語っていますが、、、

日本の長門市油谷向津具(むかつく)の二尊院というお寺に、これを裏付けるような古文書が残されています。これは今からやく230年前(1766年)当時の二尊院福林坊55世住職恵学和尚が、この地に伝わる話を古老から聞き取り書きとめたものです。

日本で云えば奈良朝の昔、唐の国では天宝15年(756年)7月のことじゃったげな。向津具半島の岬の西側に唐渡口(とうどぐち)ちゅう所があってな、そこへ空艫舟(うつろぶね)が流れ着いたげな。
舟の中にはな、長い漂流でやつれておられたが、たいそう気品のおありなさる、それはそれは美しい女人が横たわっておられたそうな。お側の侍女が申すに「このお方は唐の天子、玄宗皇帝(げんそうこうてい)の愛妃楊貴妃と申される。安禄山(あんろくざん)の反乱により処刑されるところを、皇帝のお嘆きを見るに忍びないで近衛隊長(このえたいちょう)が密(ひそ)かにお命を助け、この舟で逃れさせ、ここまで流れ着きました。」と涙ながらに云うたそうな。
息も絶(た)え絶(た)えの楊貴妃を里人たちは手厚く看護しましたがの、そのかいものう間もなく息を引き取られたげな。そこで里人たちは、西の海が見える久津の丘の上にねんごろに葬ったそうな。それが今、二尊院の境内にある楊貴妃の墓と伝えられておる五輪の塔でのう。
by takeichi-3 | 2008-05-05 23:50 | いろいろ | Comments(0)