北京で太極拳

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趙堡太極拳


久し振りに、
朝バーガーしてしまいました。(((^^;
f0007580_23335279.jpgま、それはさておき。。。
その際に持参した本“太極拳全書”

先日の講習会で中国人老師が、「最近、太極拳全書を書き上げてもう直ぐ出版することになった。」と、、、
で、この本を見せたら、「この本には、陳、楊、呉、武、孫の五拳式しかないけれど、新しい本には趙堡を加えたので六拳式を紹介している。」と、、、

ふむ。で、“趙堡太極拳”って???
http://jp.youtube.com/watch?v=Sk_GXi3K5_8
http://jp.youtube.com/watch?v=H-BN5cKNAX0&feature=related
こ、これは、面白い!!!

趙堡太極拳源流
趙堡太極拳の“趙堡”は、他の太極拳が姓を冠しているのとは異なり、地名(村の名前)からとっている。趙堡は、河南省温県の東にある小さな村。そこは交通便利で商業も発達していたため戦国時代の頃には趙国の軍隊が駐屯していたことからこの名がつけられた。
趙堡太極拳が発祥したのは十六世紀以前。今に至るまで既に四百年以上の歴史をもっている。
言い伝えによるとその源となるのは張三豐。
張三豐は老子の教えの中から道德経、易経を理論基礎として武当太極拳を創りだし、その教えを受けた王宗岳は易理を極めて太極拳の心法と拳法を確立。
ある時、王宗岳が趙堡村にやって来たことがあった。当時の趙堡村は武術が盛えていた。数人の若者が練習しているところを見た王宗岳が、「紫色の服を着ている青年には才能がある。良い指導を受けたなら必ずものになるだろう」という言葉をもらした。
彼が気に入った青年の名は“蔣發”。
王宗岳の傍らでこの言葉を聞いた人が蔣發にこれを伝えたところ、武術の名手となりたいという希望をもっていた蔣發はすぐさま王宗岳のところに赴いた。王宗岳は蔣發の忠厚誠実な人柄に好感を抱き幾日かの後に黃河の岸辺で待ち合わせる約束をした。その約束の日、夜明け前から蔣發は岸辺で待ち続け、正午になってようやく王宗岳が岸辺にやってくると蔣發は礼を尽くした挨拶をした。それから二人連れ立って山西省にある王宗岳の家へと向かい、七年の間、王宗岳に武術を学ぶことになる。
けれど、年老いていた王宗岳はその実際の指導は娘に当たらせ、自分はその傍らでアドバイスをするという教え方であった。このことから後世“大姑娘拳”とも呼ばれることとなった。
七年後,蔣發は趙堡村に戻り「趙堡太極拳」の第一代となる。
王宗岳の“誰彼にむやみに教えることなく、伝える相手を選べ”という教えがあったので、趙堡太極拳は村の中だけで伝承されていく⇒“趙堡太極不出村”
十九世末になって、ようやく趙堡太極拳のこの規則に変化が起こり、広く一般に伝わるようになった。二十世紀三十年代になると、鄭悟清(趙堡太極拳第十代伝人)と鄭伯英が西安に居を移したことにより趙堡太極拳は西北で発展していくようになる。その後、鄭悟清の弟子宋蘊華(趙堡太極拳第十一代傳人)が香港へ赴くなど、その普及に力を尽くした。

趙堡太極拳拳理
趙堡太極拳は"三合一"的太極拳。三合一即拳架、推手及散手の三つをさす。
簡単にいうと、養生と攻撃、自衛がともに存在している。中でも形は養生を目的としている。

趙堡太極拳的の要求は円を描いて動く。直線とはならない。身、手、步、肢、肩、胯、肘、膝の全てが円もしくは弧を形成しながら回転していく。描かれる円は平面ではなく立体的なものになる⇒三次元となる⇒この立体円の質量が動力となって動く。
by takeichi-3 | 2008-05-13 23:41 | 太極拳 | Comments(2)
Commented by 周子 at 2008-05-16 08:18 x
liu jin quan さんの動き、感動です!
二本足で歩く人間の動きとは思えない
足音もしない様な接地
すべてが立体円の動き・・・こんな太極拳も有るんですね
Commented by takeichi-3 at 2008-05-16 12:59
周子サマ。。。他人サマのことをウンヌンできないのですが、、、
あの体型で、あの動き。\(0人0)/!!!

そして、「この太極拳は、確かに使える~」
機会があれば、習ってみたいです。