北京で太極拳

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端午節。。。新しい法定休暇


f0007580_23261728.jpg今年から法定休日となった端午節に寄せられた文章です。

伝統文化から遠ざかり始めている現代人は、この三日間をどのように認識しているのでしょうか。ここ最近では、“端午節=粽子節”となっているのも確かです。

私の故郷では毎年端午節になると水辺でヨモギ、菖蒲を採ってきて、ヨモギは魔除けとして門の上に飾り、菖蒲で醤油を作りました。
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水郷地帯では龍船競争が催されます。

これには古典文学《白蛇传》の中に、
人間と恋に落ちてその素性を隠したまま結婚した雌蛇が、金山寺の僧に見破られ、「端午節に魔除けの雄黄酒を飲ませれば、直ぐに正体を現すだろう。」といった話しが残っています。
(詳しい物語は、http://tuziblack.hp.infoseek.co.jp/page170.html

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そして、もっとも有名なのが、
憂国の詩人・・・屈原
魚腹に葬られる。

屈原は楚の王族の一人で、楚の懐王につかえ、左徒(補佐官)に任じられていた。屈原は学識豊かで政治的見識に富み、挨拶、対応の仕方など、政治家としての素養を充分に積んでいた。宮廷内では、王のよき相談役として国事を裁き、外交面でも賓客の接待、侯との対応に手腕を発揮し、懐王の信任はたいへん厚かった。

しかし、重臣たちのなかには屈原を嫉むものがいた。その一人、上官大夫は、ひそかに屈原を失脚させるチャンスを狙っていた。あるとき、屈原は懐王から法令の草案作成を命じられた。草案が出来上がりかけた時、上官大夫が押しかけて、それを未完成のまま、強引に懐王に提出させようとする 屈原は拒否したので、上官大夫は懐王に、こう讒言した。

「法令を作成するとき、王はいつも屈原にお命じになる。これは周知のことであります。ところが、あの男ときたら、法令が交付されるたびに、これは自分が作ったのだ、自分がいなければ王はなに一つ満足には出来ないと言いふらしています」懐王は顔色を変えた。それからは、以前とはうって変わり屈原を近ずけようとしなくなった。

屈原は歯軋りする思いであった。懐王は中傷や媚びへつらいを真に受け、臣下の進言の当否を見抜けないでいる、腹黒い臣下が国事を独占し、正当に受けいれられない。屈原は鬱々と楽しまず、悲しみに鎖させる日々がつずいた。この気持ちが『離騒』という長篇の詩となって吐露されている。懐王は最後まで過ちに気がつかなかった。屈原は、国の前途を憂い、国王の身を案じたが、奸臣たちの計略にかかって、江南に追放されてしまった。

髪をふり乱し、入江のほとりを吟行する屈原。顔色は憔悴し、体は枯れ木のように痩せ衰える。 漁師が屈原を見かけて声をかけた。
「あなたは屈原さまではありませんか。どうして、こんなところにおられるのですか」 「世の中が濁っているのに、私ひとり澄んでいる。どの人間もみな酔っているのに、私ひとりが醒めている。だから、放逐されたのだ。」

「ものごとに拘泥せず、世の推移に身を任せる、これが聖人の行き方だと聞いております。」 世の中が濁っているなら、なぜその流れに身を任せないのですか。すべての人間がみな酔っているなら、なぜどぶろくでも飲んで、ご自身も酔わないのですか。胸中に珠玉を懐きながら、なぜ ご自分から放逐されるようなまねをなさったのですか」

「顔を洗い体を拭いたあとは、冠の汚れをはたき、衣服も埃をはたいて見につける、と言うではないか。潔白の身を垢で汚すわけにはいかない。そんなまねをするくらいなら、いっそ江水の流れに身を投じて、魚の餌食になった方がましだ。世俗のどす黒さに身を投じる事などまっぴらだ」 かくて、屈原は石を懐に入れると、泪羅に身を投じて死んだ。
by takeichi-3 | 2008-06-07 23:38 | いろいろ | Comments(0)