明日14日は、中秋節。
知り合いの中国人学生は里帰り。
家族揃って実家で過ごすそうです。
これは携帯に送るカード。
お餅をついているウサギがいます。
日本と同じ~(#^_^#)
中国での月ウサギの起源は?
3人の神仙がみすぼらしい憐れな老人に姿を変えて、それぞれキツネ、サル、ウサギに食べ物を乞いました。キツネとサルは老人に食べさせる食べ物を持っていたのですが、ウサギには何もありませんでした。どうにかして老人に食べ物を与えたいと、善良なウサギは考えに考えて、とうとう自分が火の中へ飛び込み、「ロースト・ウサギ」となって老人に捧げました。これを見た天帝は殊のほか感動し、ウサギを月宮に上げて「玉兔」にし、「
嫦娥」に付き添って薬作りを手伝うようにしたのです。
「
嫦娥」
昔々、空には10個の太陽がありました。そのため、地上は焼けつくように熱く、作物も育たず飲み水もなく、人々は大変苦しい生活にありました。その頃、天界から弓の名手「后羿」が人々を救いにやって来ました。后羿はみごと9つの太陽を次々と射落とし、猛獣や大蛇も射殺したので、人々は平和に暮らせるようになりました。
しかし、后羿が射落とした9つの太陽は、実は天帝の子供達だったのです。天帝はひどく怒り、后羿とその妻の嫦娥を人間界へと追放してしまいました。西王母は后羿に同情し、いつか天界へ帰って来られるようにと、たった一粒しかない不老長寿の薬を后羿に贈りました。
后羿は、こうして人間界に降り立ちましたが、9つの太陽を射落とし猛獣どもを倒して英雄になった後、次第に自分の力を頼みに尊大、粗暴に振舞うようになり、周りの者の意見に耳を傾けなくなりました。その様子に嫦娥はすっかり傷つき、夫の元を去る決心をします。自分が去ることにより后羿が過ちに気づき、再び温厚で心の正しい人に戻るよう願って、8月15日(農暦)の晩、不老長寿の薬を飲むと月へ向かって飛び立ちました。そして、月の女神「広寒宮宮主」となったのです。
中秋節といえば「月餅」
四川で作られた重量800kgの月餅~
丸い月餅は家族団欒を象徴しています。
月餅を食べる習慣は、元朝末年に始まりました。
当時中原〈今の中国の住む人々〉の人々は蒙古族の統治を嫌いました。多くの志士達が決起して元朝を倒そうと試みましたが、各地に散らばる武力をどうしても団結させることができず、団結するための情報を伝達する良い方法もありませんでした。
もしそのような呼びかけの掲示を出したものならば即、元朝の役人に取り締まられて死罪になるのでした。しかし各地の蜂起は地方単位の小さな決起のためにすぐに潰されてしまいます。元朝に打ち勝つためには中国各地で同時に立ち上がる必要がありました。一斉に立ち上がるためには朝廷に知られずに各地に伝達しなければなりません。
その頃、道士劉伯温という戦略家が良い方法を思いつきました。彼は、「近々疫病が発生するが、中秋節の時に月餅を買って食べれば災難を逃れることができる。」と言う噂を流しました。それを信じた人々は、皆月餅を買って帰ります。導士の術を信じた人々は中秋節まで食べずにとっておきます。中秋節に食べなければ効果がないのです。何といっても病には逆らえません。当時の人々は信じたのです。中秋節当日に人々は月餅を切って開きました、なんと中には紙切れが一枚隠されていて、そこには「8月15日武装蜂起」と書かれているではありませんか。各地の人々は次々とその決起の合図に応えて立ち上がり、一致団結して瞬く間に元朝を倒しました(これにより、劉伯温が明の太祖、朱元璋は宰相になったのです)。月餅は、この時より中秋節にはなくてはならない食べ物になったのです。
スタバの月餅と、アワビ&フカヒレ入りの高級月餅。
2005年に、国家の“月餅強制性国家標準”や“限制過度包装通則”によって、賄賂にも相当するような常識外の詰め合わせ品は姿を消したものの、千~二千元の贈答品は少なからず流通しているようです。