北京で太極拳

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2017年 05月 18日 ( 1 )

張策。。。通臂拳大師

ついつい気になって。。。
調べてしまった王世祥老師の師父の師父、臂聖と呼ばれていた≪張策≫

★張策が、太極拳と通臂拳を融合させて創った≪通臂太極≫




≪張策≫
1866天津生まれ。1934年没。

f0007580_2356787.jpg幼い頃から、家伝の戳脚、二郎拳、黒虎拳等を学ぶ。
毎朝、村の廟にある張大相の練武場に通っていた。
苦練をものともせず熱心に励み、一年が過ぎた頃~息子の進歩の速さを喜んだ父親は、息子の為に、鉄匠に鉄製の靴とベストを作らせた。

七歳の時に父が急逝~その悲しみが原因で病に臥せた母親は、張大相に息子を託して亡くなった。

その後は、毎朝三時に起きて練拳。夜が明けると、練武場へ。
後に、遊僧金陵笑和尚に出会い五猴通臂拳を学ぶ。

十二歳の時、人に陥れられるトラブル発生~故郷を離れて北京へ。
北京では、楊健侯より楊式太極拳を学ぶ。又、同時に、陳慶和尚から通臂拳の指導を受ける。

壮年期、共に陳慶の弟子で兄弟のように交流していた祁家門伝人王占春と切磋琢磨。
王占春亡き後は、韓という姓の老道長に出会い練功。
通臂拳の技術は極みに達した。

その頃、練功時には、重さが10kg(片足)ある鉄靴を履いていた。
そのこともあって、「臂聖」もしくは「鉄鞋」という呼び名でも知られていて~北京以外の場所でも指導~又、遠方より彼を訪ねて来る愛拳者も多かった。

孫禄堂、呉鑑泉、褚民宜、許禹生、紀子修等の武術大家とも厚く交流。
中でも、孫禄堂との関係がよかった。

1924年、張作霖に請われ、瀋陽に赴きボディガード&二人の子供たちに教武。
1928年、張作霖が亡くなった後、奉天国術館の副館長に。
1931年、9・18事変後に北京に戻り、北平国術館の教練に。
1933年、南京で行われた中央国術館の試験副管長として呼ばれた時に引きとめられ教練に。

その教え方は、保守的で秘不示人的なものではなく、広く徒弟を募り伝播した。
呉図南も張策に学んでいる。
by takeichi-3 | 2017-05-18 23:56 | 偉人たち | Comments(0)