北京で太極拳

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張策。。。通臂拳大師

ついつい気になって。。。
調べてしまった王世祥老師の師父の師父、臂聖と呼ばれていた≪張策≫

★張策が、太極拳と通臂拳を融合させて創った≪通臂太極≫




≪張策≫
1866天津生まれ。1934年没。

f0007580_2356787.jpg幼い頃から、家伝の戳脚、二郎拳、黒虎拳等を学ぶ。
毎朝、村の廟にある張大相の練武場に通っていた。
苦練をものともせず熱心に励み、一年が過ぎた頃~息子の進歩の速さを喜んだ父親は、息子の為に、鉄匠に鉄製の靴とベストを作らせた。

七歳の時に父が急逝~その悲しみが原因で病に臥せた母親は、張大相に息子を託して亡くなった。

その後は、毎朝三時に起きて練拳。夜が明けると、練武場へ。
後に、遊僧金陵笑和尚に出会い五猴通臂拳を学ぶ。

十二歳の時、人に陥れられるトラブル発生~故郷を離れて北京へ。
北京では、楊健侯より楊式太極拳を学ぶ。又、同時に、陳慶和尚から通臂拳の指導を受ける。

壮年期、共に陳慶の弟子で兄弟のように交流していた祁家門伝人王占春と切磋琢磨。
王占春亡き後は、韓という姓の老道長に出会い練功。
通臂拳の技術は極みに達した。

その頃、練功時には、重さが10kg(片足)ある鉄靴を履いていた。
そのこともあって、「臂聖」もしくは「鉄鞋」という呼び名でも知られていて~北京以外の場所でも指導~又、遠方より彼を訪ねて来る愛拳者も多かった。

孫禄堂、呉鑑泉、褚民宜、許禹生、紀子修等の武術大家とも厚く交流。
中でも、孫禄堂との関係がよかった。

1924年、張作霖に請われ、瀋陽に赴きボディガード&二人の子供たちに教武。
1928年、張作霖が亡くなった後、奉天国術館の副館長に。
1931年、9・18事変後に北京に戻り、北平国術館の教練に。
1933年、南京で行われた中央国術館の試験副管長として呼ばれた時に引きとめられ教練に。

その教え方は、保守的で秘不示人的なものではなく、広く徒弟を募り伝播した。
呉図南も張策に学んでいる。
by takeichi-3 | 2017-05-18 23:56 | 偉人たち | Comments(0)

懐念。。。形意拳老師

★この動画を見た瞬間、北京で形意拳を習っていた王世祥老師の姿が思い浮かびました。




宗維潔老師からの、、、
「形意拳を習いたいなら、私の師父に~」という紹介から始まった出会い。

f0007580_195728.jpg北京滞在中、毎日のように通った宣武芸公園。
自分のペースで五行拳を繰り返していると、一日に一回だけ伴走してくれて~

初めのうちは、その腕の動きを真似~それから、上体や下半身との繋がりを見ながら協調を研究するようになり~そのうち、目が養われてきたのか、外見だけではない何かが見える(?)ようになってきたのです。

目が肥えてからの驚き~書籍で見知った武術理論が動いている。
その後、最も印象に残ったのがコレ。
多数の歯車が連動~一気呵成に相手を射止めに行っている。

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王世祥(北京の隠棲高手)
1931年、河北省三河县生まれ。2015年5月逝去。

1945年、通臂拳大師張策の弟子王殿元より五行通臂拳を学ぶ。
1951年、形意拳、八卦掌大師駱興武の門下となり形意拳と八卦掌を学び、勤学苦練の後に、その教えを悉く掌握した後も拳の研鑽に励み、駱興武は臨終の前に独立収徒を許した。

常に武術界の友人たちと、互いに技芸を確かめ合って切磋琢磨。
推手、散手、摔跤に精通していた。


f0007580_23384712.jpg天下武術は一家。各家毎に訓練方法は異なるが、高手になると、お互いがお互いの功夫を見極められ、通じ認め合えるようになる⇒手を合わせながら、互いに研究している技を披露~それを基に、又、新しい技撃を工夫する。

師父から伝授された武芸を全て丁寧に取得。それを実践に役立てながら、更なる工夫を加えていく~誰も考え出せなかった攻防を生み出す。習武者本来の楽しみ方。

王世祥は、武術を愛し、真面目で、苦練を厭わず堅持できる~
を見極める為、三年の間は基本を培う練習をさせ、それに適った者になら、門里門外の区別なく誰にでも同じように指導していた。

「私がどんなに良い技術を伝授したとしても、本人の努力がなければ、成すことはできない」

呉式太極拳の劉偉老師も王老師から形意拳&八卦掌の指導を受けていますが、、、
一昨年、王老師が逝去した後に東京で開催された講習会に参加した時、既に、王老師の技術から演化されたものになっているのを感じました。

以前、雑誌中華武術に寄稿された劉偉老師の追悼文の訳⇒ ≪王師父との出会い≫

by takeichi-3 | 2017-05-17 23:56 | 偉人たち | Comments(0)

傳鐘文/楊式太極拳第四代伝承者。。。

傳声遠老師の父親、楊式太極拳第四代伝承者≪傳鐘文老師≫の太極拳表演と伝統楊式の拳譜の画像(楊澄甫をモデルにしている?)をミックスした映像。



≪傳鐘文≫
楊澄甫の遠戚(兄少侯の孫娘の婿)。
9歳の時より楊式太極拳を学び始める。
14歳の時、楊澄甫に随いて上海に~以降、長期に亘って指導を受ける。
楊澄甫の広州、南京、芜湖等での授拳に際しては、傅鐘文が示範。
試合なども師に代わって出場。常に勝利。

1930年代、上海永安公司や冠生園などの企業で太極拳を指導。
1944年、上海永年太極拳社を設立。新中国成立後は、積極的に太極拳推広活動に参加。
1956年、全国武術競技審判員。
1958年、上海市武術隊教練。
1988年、全国太極拳十三名家に選出。
1988年、武術貢献賞受賞。


★傳鐘文老師による練太極拳時の注意事項の一部。。。
・開裆(股)⇒開裆は歩幅を広くするという意味ではない⇒松胯によって自然に開裆となる。
・裆(股)は平に⇒裆平であれば下半身は安定。
・裆平である=尾閭と頭による中正が完成している⇒呼吸自然、気安定、上下相随、均一、自在。


★傳鐘文老師の弟子、王慶玉。。。



≪王慶玉≫
七歳の時より、著名な少林洪拳大師張文斌を師として少林大洪門を学ぶ。
十二路弾腿、六路長拳、伝統哪吒槍、春秋大刀、双槍、酔拳、酔剣、酔棍、三節棍、九節鞭、流星錘、単打、対練等を取得~済南の螳螂拳大師周永福等にも、八卦行雲刀等を学んでいる。

1980年。北京で開催された表演会上で、月牙鏟を披露。その時に傳鐘文老師に武術功底を認められ、弟子になって伝統楊式太極拳を取得しないかとスカウトされる。


★1958年に上海で開催された武術競技大会。
組分けは、成人長拳組、少年長拳組、太極拳組⇒各組、男女混合。
競技種目は、太極拳、太極器械、呼延拳、梅花槍、十二路華拳、子午剣、武松脱錠、七星剣、三趟少林、梅花刀等の伝統拳~各々が学んでいる拳&器械を表演。

成人長拳で五位に入賞した≪趙金鋒:回族≫の後年の動画がありました。


by takeichi-3 | 2017-04-03 23:58 | 偉人たち | Comments(0)

一路走好。。。傳声遠/楊式第五代伝承者

f0007580_23424285.jpg3月27日に急逝した傳声遠老師の葬儀が、
今日、上海で行われ~参列者は千人余り。

f0007580_2348923.jpgここ数年、参加していた中華武術主催の講習会では、応募開始と同時に定員になるという名家。会場で見かける度、その貫禄に圧倒されていました。


1931年、河北永年生まれ。
父親は楊式太極拳第四代伝承者傅鐘文。9歳の時より父について学拳。20歳より教拳開始。
解放後は、上海体育学校、上海冶高礦職工大学、上海同済大学、華東化工学院、上海財経学院等で武術教授を務め~上海精武体育総会理事に。


★父と子の推手。。。




★楊式刀。。。




★楊式剣。。。




★楊式太極拳。。。




1988年にはオーストラリアに移民。
太極拳団体を設立する傍ら、大学や高校で太極拳を教授。四十か国以上に赴いて太極拳を普及。
中国武術協会から表彰されています。
by takeichi-3 | 2017-04-02 23:55 | 偉人たち | Comments(0)

楊式:崔毅士。。。燕京泰斗

f0007580_0393557.gif楊式太極拳第五代伝承者≪張勇涛≫による、
母方の祖父≪崔毅士≫の思い出。

楊澄甫の十大弟子の一人で、一番の松沈者。
発松沈劲をよくする推手。

1950年代に「永年太極拳」を設立。
長期にわたって、中山公園で楊式太極拳を教えていた。。

当時の中山公園では、呉式太極拳の名師楊禹廷、大成拳師王向斉等といった北京武術界の名家の姿が見られた。名家老師たちは互いに尊敬しあい、助け合い~競争したりすることは無かった。

祖父が先に教拳を終えた時には、楊老師の所へ行き挨拶~楊老師も又、同じように祖父に挨拶に来ていた。

一つの公園の中で、二人の太極拳大師が比較的近い場所で教拳しているのだから、太極拳を学んでいる人の中には、軽く一つの太極拳を覚えたら~別の太極拳も学びたいという者も現れたが、、、
祖父は、「一つの拳をしっかり丁寧に極めなさい。楊老師の功夫は非常に優れている」と言い、
楊老師は、「先に崔老師の楊式を極め、それが完成した後に、改めて訪ねて来なさい」と、、、

当時、河北省から北京にやってきた呉文翰が祖父に教えを請いに来た時、彼が開合架太極拳(当時の武式太極拳の名称)を学んでいたと聞いて、、、
「長きにわたって開合架を学んでいたのに、改拳するということは、それを捨ててしまうような~非常に勿体ないこと。開合架なら私にも指導できる」

もちろん、呉文翰は喜んだ。
祖父は、若い頃には刘瀛洲に三皇炮錘を学び、後に、李香遠に武式太極拳を学んでいる。
「武術界、人外有人、天外有天、不要総説自己的好、更不要貶低别人」と口にしていた。


忘れられない、この二人の先輩たちの出来事がある。。。

1960年の初めだったか、、、
北京武術界が東長安街体育場で初めての太極拳推手大会を開催。
この時の組み合わせは、同門派同士が手を合わせるというわけではなく、異なる太極拳門派間で行われた。祖父や楊老師等~武術家たちが来賓として招かれていた。

試合中に、呉式太極拳の選手が散手の手法を使って攻撃した。相手の楊式太極拳太极拳選手は、やはり散手の手法で反撃~試合を見守っていた双方の師兄弟たちは、互いに相手の規則違反を責めあった。双方ともに大人数~それぞれが口々に言い立てているうちに、手足を動かしそうな気配に。。。

この時、祖父と楊老師が共に立ち上がり、自身の弟子たちに向かって大声を発して制止。
そして、互いに自分の弟子が悪かったからと謝りあって、その場をおさめた。


文革中、「資本家」「反動学術権威」として批判の対称になっていた祖父。
私の母でさえも批判されていた。功夫を身につけていたとしても、あのような状況下では反抗のしようが無かった。

ある日、工場の労働から戻ると、紅衛兵に後ろ手に縛られ跪いた祖父と母の姿があった。
彼らを守りたくて、そっとその身辺に近寄ると~祖父が「大丈夫だ。功夫で、こんな縄なんて簡単にはずせる」と言うと~縄を解いてしまった。驚いた母が、「駄目。そんなことしたら、皆、殺されてしまう」と~幸いなことに紅衛兵が気付くことは無かったが、この批判は、後に幾度も繰り返された。

文化大革命の期間に複数回受けた批判。
それによって、祖父の身体は痛めつけられ、家は没収され、教拳も許されなかった。その影響で、祖父の心精は欝々として~食道癌を発症。

臨終前、、、
以前、祖父の機嫌がいい時、私に腹を触れと言って~触ると、その腹の中には充満した弾力のある一つの球があって~その球は、祖父の腹を弄っている私の手の動きに磁石のように吸い付いて離れない~「この球を弾くと、お前は軽く飛んでしまう」と言っていたのに、、、

「丹田を触っても球が無い~遠からず、死ぬのだろう」
その言葉通り、間もなく息を引き取った。
by takeichi-3 | 2017-03-29 23:59 | 偉人たち | Comments(0)

洪熙官。。。

色々な武術家の故事を探していたら~武林というサイト発見。
武術系の色々な情報を提供しています。。。(^^)v

で、、、
「洪熙官」という名前を見て~You-Tubeで動画を探したら~ドニー・イェンが。。。




≪洪熙官≫
広東省花県出身の少林弟子。洪拳の創始者。
元明の軍人で反清派の蔡九儀に少林拳を学び~その紹介で南少林寺でも学拳した洪熙官。
1673年、反清分子として清兵に追われる中、大佛寺に逃げ込んで少林絶技を学ぶ。
同年末に勃発した三藩之乱。それに乗じて仏山を中心に組織された地下武装グループに参加して武功を発揮。その功夫の高さは世に轟き~百家武功の精華に少林武功を融合させた洪拳の名も広まった。




洪拳の由来については、、、
・元明期、陕西地方の拳術紅拳にその他拳の技術を加えて演化。三百年以上の歴史がある。
・清代の南方民間秘密結社三合会(洪門)が学拳していた少林拳。
・南方の洪拳は五形拳として知られている。北方の洪拳は十(二)形拳(心意六合拳)として伝出。
by takeichi-3 | 2017-03-26 23:49 | 偉人たち | Comments(0)

武林高手。。。

f0007580_2356446.gif「絶頂高手隠蔵普通工人之中遇流氓挑戦、結果把対方打得心服口服」
というタイトルが気になって~見てしまった動画。
※今年に入ってから、中国動画サイトで多くUPされている場面。



元は、2013年に放映されたテレビドラマ「葉問」
五大実力カンフー俳優(于荣光、元華、梁小龍、梁家仁、于海)が出演していると話題に。。。



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★清末の十代高手を要領よく紹介しています。。。



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★金庸武侠小説~詳しくはないのですが、登場する十大高手~神秘的武功の使い手多数。
修行を重ねれば、いつか、手に入れられるのでしょうか。。。


by takeichi-3 | 2017-03-20 23:57 | 偉人たち | Comments(0)

五枚師太。。。

少林五老の一人として名を知られている《五枚師太》
小説《万年青》の中、方世玉と戦って、その命を奪ったと記されていたりするのですが、、、
その生い立ちなどを調べても、生年、出身地、家族関係、没年などの資料が無くて、、、

★1955年に制作された映画の中で、五枚師太(二番手で表演している女性)の武功が覗えます。



五枚師太以外の少林五老は、至善和尚、 白眉道長、 馮道德、 苗显。
彼らはいずれも真祖とされていて、功夫は一流。
白眉(武当派)と馮道德は自身で門派を創り~五枚師太は武当へ、至善と苗显は少林を堅持。

清朝開国以降、少林派拳家は南に移動。その多くが広東、福建等に流れた。福建泉州東岳山少林寺は反清復明の活動基地となっていた。《少林拳術秘訣》の記載によると、康熙年間、巨頭鉄斋和尚は、秘密裏に潮州に潜入して多くの弟子を集めて授拳~広東マフィアを生み出すきっかけとなった。

広州詠春拳名家であると同時に《詠春拳》の作者でもある李志河によると、南少林長老五枚師太は、清廷による火焼少林寺後、広州河南龍導尾(龍鳳街)の寧隠庵に住んでいた。反清復明の志を持っていた五枚師太は、新しい功夫を研究し続けた。庵の周辺は荒野で、蛇や鶴が常に出没~ある日、散歩に出た五枚師太は、鶴と蛇が格闘しているのに遭遇~新しい武功が閃いた~手腕を巻き付かせるように快速変換する「手劲」が主となる功夫~それを女性向けに改進~上肢の動作が主で、中心線に重点をおいての攻防。

その拳は、後に巖二の娘巖詠春に伝えられて詠春拳と呼ばれるようになった。




★小説《万年青》では、五枚師太は方世玉と戦って、その命を奪ったと記されている。
★方世玉⇒ http://takeichi3.exblog.jp/20147265
by takeichi-3 | 2016-10-14 23:58 | 偉人たち | Comments(0)

蒋介石のボディーガード。。。長江大侠呂紫剣

幾度か動画を見て~名前も知っていた《呂紫剣》




この動画を見たら、その経歴が知りたくなってしまいました。。。(*^_^*)

天津の《霍元甲》、関東の《杜心武》と並ぶ、清末民初武林の三大侠客。
2009年に世界最高齢者となり、2012年118歳で逝去。

1900年、七歳の時に母親より習武。
呑み込みが早かったので、家人は、名師「李国操」より指導を受けられるようにする。
痴迷武学な呂紫剣は、翌年には峨眉山の神掌「李長叶」に弟子入り。合計三回、峨眉山に赴き~八年学芸(武)。李長叶の「游身八卦連環掌」をマスター。李長叶以外、武当山紫霄道長「徐本善」も、呂紫剣にとっては重要な師父。李長叶師父に八卦掌を学んでいる期間にも武当山に行っている。習武20年~全てを伝承した。

1920年、27歳の時に南京雨花台で行われた武術大会(実戦)で優勝。
是れより、師に学ぶを終えて~武林世界で自立。
呂紫剣の噂を耳にした蒋介石は、彼をボディーガードとして採用すると同時に少将の位に処し、国術主任教官の職を与えた。

1945年、数々の武術家を倒して中国人を侮辱する言葉を発してしていたアメリカMarshall将軍のボディーガードと重慶で戦い、八卦掌によって打ち負かした。

武術ばかりでなく医術にも優れていて、人々を治療した。

★一方で、以上の逸話の中には虚偽の部分があると分析している文章も流出しています。


★中国最後のボディーガードと呼ばれている《李堯臣》。。。幼年期には太極拳を学んでいます。


by takeichi-3 | 2016-10-11 23:55 | 偉人たち | Comments(0)

陳思坦。。。

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太極拳王子と称されている《陳思坦》。。。
2004年より、妻と共にアメリカに渡り~
ニューヨークで「美国太極拳健身気功センター」を主宰しているそうです。


★指導を受けている子供たちの表演。。。






福州生まれの陳思坦。
祖父陳修如は福州武術館の副館長。六歳の時、祖父より羅漢拳を学び~その表演は近隣の人から絶賛されていた。

1977年、十歳の時に全国十大武術名教練の一人曾乃梁の収徒となり、正式に武の道を歩むことになる。二年目に参加した全国武術大会で二位となり頭角を現すが、その後、成績は安定せず選抜選手になれずにいたが、二十一歳になって再び注目され~1988年、北京で行われた中日太極拳大会で初めて優勝したのをきっかけに、“埋在沙里的金子=砂に埋もれていた金”は、ついに輝きを放ち人々の目を奪うようになった。

1990年、初めて武術が正式種目として採用された第十一回アジア大会の男子太極拳で優勝~等、計32枚の金メダルを獲得。三十歳で選手引退。
by takeichi-3 | 2016-09-17 23:57 | 偉人たち | Comments(0)