北京で太極拳

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五行と内家拳。。。

f0007580_2315199.jpg中国医学の基礎⇒五行(金木水火土)
金⇒秋、西、肺、大腸、鼻、弓歩
木⇒春、東、肝、胆、目、虚歩
水⇒冬、北、腎、膀胱、耳、歇xie歩
火⇒夏、南、心臓、小腸、舌、仆pu歩
土⇒土曜、中心、脾(膵)、胃、口、馬歩


太極拳の動作(套路)説明、原文では南向きに始まり~その後の方向を東西南北で説明しているものがあるのは、上記に則して養生を図っているからです。

楊式や形意拳の「爪先の方向は45度に~」や呉式の「手の方向は45度」のこだわりも脾(膵臓)の養生を兼ねているのかもしれません。
⇒飲食物(水穀)を摂取すると、胃がこれを「受納」し、腐熟(消化)し、その中の水穀の精微(「後天の穀気」:栄養物質)を、脾が肺に「運化」し、この水穀の精微と、肺が吸収した空気(天陽の気)とが結合して「宗気」が生成され、肺の「粛降」作用によって腎に送られ、腎で「先天の精気」と結合して人体の最も重要な気である「元気」となり、腎に「収蔵」される。

形意拳の、基本となる五行の攻防は「相克」で説明できます。
金(劈=斧)で木(崩拳)を切り倒す。
水(鑚拳)を土(横拳)が止める。

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相生
相手の要素を補い、強める影響を与えるもの。
木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず⇒木は燃えて火になり、火が燃えたあとには灰(=土)が生じ、土が集まって山となった場所からは鉱物(金)が産出し、金は腐食して水に帰り、水は木を生長させる。
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相剋
相手の要素を抑え、弱める影響を与えるもの。
水は火に勝(剋)ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ⇒水は火を消し、火は金を溶かし、金でできた刃物は木を切り倒し、木は土を押しのけて生長し、土は水の流れをせき止める、という具合に、水は火に、火は金に、金は木に、木は土に、土は水に影響を与え、弱める。


以前、李徳印老師が来日された時、
「太極拳を学ぶには、中国文化も学ばなければ~」とおっしゃっていましたが、、、
北京で、按摩・気功を学習したことにより、ようやくその意味が理解できるようになりました。
by takeichi-3 | 2010-01-31 23:54 | 気功:五禽戯・八段錦他 | Comments(0)

満月です。。。


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散歩のついでに、
通りがかった公園で形意拳を一歩き。
満月が綺麗でした。

折よく、テレビからは、
美空ひばりが歌う「ペーパームーン」
イイ味が出ている~♪

でもね。埋め込み禁止。。。(T_T)...



じゃ、アメリカ映画のタイトルにもなった曲、ペーパームーン。
遊園地などにある記念撮影用に作られた、月を模った装置。




by takeichi-3 | 2010-01-30 23:37 | いろいろ | Comments(0)

FUNKY MONKEY BABYS。。。


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夕方、少し大きめの買い物をして、家まで2km余りの道を俯きがちに歩いていたら~突然、大きな影法師出現!

自分の影を楽しむなんて、久しぶり。
超脚長だし~夕日のお陰です。(#^_^#)。。。


久しぶりに、NHKの「みんなの歌」
面白い番組は~?
と、チャンネルを渡り歩いていた時に流れていた歌と映像に見入っていました。
FUNKY MONKEY BABYSの「ふるさと」
都会で働いている青年が主人公。



こちらはCMに採用された曲で、「涙」
都会に出てきたOL(貫地谷しほり)が主人公。


by takeichi-3 | 2010-01-29 23:29 | いろいろ | Comments(0)

伝統楊式。。。108式


f0007580_23142614.jpg北京の崔仲三老師(伝統楊式)から、新年の挨拶が届きました。

併せて、6月中旬に煙台(大連の近く)で開催される4泊5日の合宿の案内が。
北京からの旅費(飛行機利用)も含めて6千8百元ということですが、、、

老師のお勧め映像⇒56式拆招(攻防)なのですが~
you-tube内では見つけられなかったので、質問が多い108式にしました。




崔仲三老師:中国楊太極拳第五代正宗伝承者。
1948年、北京の太極拳家に生まれた。4歳の時、祖父である崔毅土老師から武術を学び始めた。崔毅土老師は、楊式太極拳の宗師楊澄甫の入門弟子。北京楊式太極拳の主要人物の一人。
※後半には、崔毅土老師の映像もあります。
by takeichi-3 | 2010-01-28 23:33 | 太極拳 | Comments(0)

冬大根。。。


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大根の特売(89円)が続いています。

ので、昆布を沢山入れて煮てみました。
早く火が通るように小さめに切るつもりだったのですが、大きくプックリ~を見ていたら、その形を残したくなって~輪切りになりました。

一時間余りを費やして完成~(o^0^o)Ψ


先日、仕事も兼ねて、新宿にあるシャンソン・クラブに連れ込まれました。
初めてのシャンソン・ライブ。
音程はともかく、人生経験が多い年上の人ほど味がある感じ。

初めて気に入ったシャンソンといえば、「エディット・ピアフ」のアコーディオン弾き」
町の女が酒場のアコーディオン弾きに恋をして、いつか二人で店を持とうと夢を共有するようになるのですが、アコーディオン弾きは戦場で戦死。その後でも、同じ酒場に通い続ける女~
今まで通り、酒場に流れるアコーディオンの音色。耐えきれなくなった女は。。。
劇的に歌い上げています。




これも~歌い方次第でシャンソンに聞こえます。。。(#^_^#)


by takeichi-3 | 2010-01-27 23:49 | 中国映画音楽 | Comments(1)

少し動いて、肩コリ解消。。。

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久しぶりにボランティア太極拳指導。。。
だったのですが、気功&マッサージ講習に変更。


肩コリがひどくて腕を上げられなかった~も、
腕を肩と平行に前に伸ばし(ここまでは放松状態)、左右の肩甲骨を合わせるように肘から力を入れて息を吐きながら引いてくる~、息を吸いながら腕をリラックスさせて伸ばす~を、横平行・斜め前上(出来る人は、真上から)を各々8回繰り返しただけで、「改善出来た~♪」ようです。

これに、手に少し力を加えて拳に(息を吸いながら)、掌を開く(力を抜いて~息を吐きながら)を加えて~それにも慣れたら、足指を握って~開いて~を加えると、内臓系統の強化も行えます。

ん、、、これって、形意拳で要求されている手足の動きと同じ。\(0人0)/~!
呉式とか、とても分かりやすい経絡刺激の動作を行っている太極拳もあります。
確かに、「太極拳(内家拳)も気功も中医の一部」です。


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講習会後、「冷え症で~」という人が数名。
で、私、、、
「36.8度位が平熱だから~」
「体温が高い人って、抵抗力があるんですよね。」と、言われ、
そうなのかなぁ~?と思っていましたが、、、

こんな本が話題になっていたのですね。。。

体温を恒常的に上げることには、絶大な健康効果があります。

低体温はストレスがもたらした結果でもあります。
その結果を意識的に変えることで、体の機能を回復させ、ストレスに対する抵抗力をつけることができるのです。

では、なぜ体温を上げるだけで、健康を手に入れることができるのでしょう。

体温が高くなったとき、最初に変化するのは血流です。

低体温が血流を悪くさせるのとは逆の理由で、体温が上昇するとそれだけでも血流はよくなります。
血流がよくなると、ストレスによってダメージを受けていた細胞に糖(グルコース)というエネルギー源が供給されます。
それと同時に、体温アップによって酵素活性も上がるので、エネルギーを効率よくつくりだすことができるようになります。

こうして細胞がストレスから回復すると、その情報が脳に行き、脳の視床下部から下垂体へ、そして自律神経、ホルモンへと伝達されていきます。
こうしてよい情報が伝達されていくことによって、体全体の機能も正常に整っていくのです。

つまり、「負のスパイラル」が、体温を上げることによって、「正のスパイラル」へと転換されるということです。

お風呂や温泉、サウナなどで体を心から温めると、体中の疲れが取れたように感じますが、それは細胞のストレス状態が回復するからなのです。

でも、そのよい状態はあまり長くは続きません。
体が冷えると、またもとの低体温状態に戻ってしまうからです。

ですから、体を常にベストの健康状態にするためには、外から温めるだけでなく、つねに体温の高い状態をキープできる体づくりをすることが必要です。

私たちの日々の生活からストレスをなくすことはかんたんではありません。
でも、高体温の体を維持することは、日々のちょっとした努力の積み重ねで誰もができることです。
ぜひ、体温を上げる習慣を生活の中に取り入れていただきたいと思います。

fum...(--)。。。
関係があるのか、ないのか~心拍数も平均より多く80を超えています。
by takeichi-3 | 2010-01-26 23:51 | 気功:五禽戯・八段錦他 | Comments(0)

天下事有難易乎。。。


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芳しい香りの源を辿ってみたら~白梅が綺麗に咲いていました。

久~しぶりになる、長拳練習。
北京でもそれなりに提腿などしていましたが、、、

氷点下の中。下半身は厚手三枚仕立て。
そのせいで、足が上がる高さはせいぜい腰上止まり。
少し心配だったのですが、以前と変わりなく上がりました。(#^_^#)。。。
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以前、形意拳の師姐が、
19歳になる女の子にプレゼントした書ですが、、、

その明確な意味を探っていたら、
「為学 weixue (彭端淑)」を見つけました。
きっと、その言わんとすることは同じでしょう。

天下事有難易乎?
為之,則難者亦易矣
不為,則易者亦難矣
学之,則難者亦易矣
不学,則易者亦難矣


世の中に、難しいことや簡単なことの区別があるだろうか?
行なってみると、難しいと思われたことも簡単である。行わなければ、簡単なことも難しく感じるだろう。
学問をすることは、難しそうだが簡単なことである。学問をしなければ、簡単なことも難しくなるだろう。

四川省の辺境の地に二人の僧侶がいた。一人は貧乏で、一人は金持ちだった。

(ある時)貧乏な僧侶が金持ちの僧侶にこう言った。
「普陀山に行こうと思うのだがどうだろうか」

金持ちの僧侶が尋ねた。
「(準備などは)どうやって行くつもりか?」

貧乏な僧侶は答えた。
「水杯と碗さえあれば十分である」

金持ちの僧侶が言った。
「わしは船を買って(普陀山へ)行こうと長年考えているがまだできないでいる。(それなのに)どうやって行くというのだ!」

翌年、貧乏な僧侶は普陀山から帰ってきて、そのことを金持ちの僧侶に話した。
金持ちの僧侶は顔を真っ赤にして恥じたという。

f0007580_23334372.gif金持ちの僧侶は行けなかったが、貧乏な僧侶は辿りついた。もし人が志を立てても(立てるだけでは)、四川省の辺境の地にいた貧乏な僧侶にはかなわないだろう。
by takeichi-3 | 2010-01-25 23:35 | いろいろ | Comments(0)

股関節の緩み。。。


ジェット・リーの後輩(?)と先輩(?)の映像。
なかなか楽しい編集だと~(#^_^#)。。。




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ぼ~っと、腰と尾骶骨の関係などを考えていましたが、、、
日本でいう腰は、股関節以上~お臍くらいを指していますが、中国ではベルトを締めるあたりのみを腰と言います。


この部分を回す~
普通に直立した状態で回そうとしても、この部分だけを回すことは難しいような。。。
股関節が緩んでいれば~回し易いような。。。

股関節を緩ます。
時によって、股関節のみを緩まそうとしてしまいがちですが、、

足を肩幅に開いた状態で、
頭を上に吊り上げ(虚領頂頸⇒いかなる時でも吊り上げていなければならない。大椎も後ろに張っている)~肩を沈めながら息を吸う(沈肩墜肘)⇒吸った息は丹田に沈める(含胸・気沈丹田)⇒同時に肛門を上に引き上げる(尾骶骨の先を前に向ける⇒尾闾中间)ようにすると、背骨の一つ一つが伸びる感覚が生じる(抜背・立腰の完成=背中が背骨を中心に後ろに張りだして弓を成す⇒これを龍に例える場合もある)⇒自然に、股関節・膝・股関節が緩む(敛臀・圆裆の完成=臀部が収まり、股関節はアーチを描く⇒“腰が入る”)。
※上記は殆ど同時に行われる。

股関節が緩む(ファンソンが出来ている)~というのは、「立身中正が完成した」という結果なのです。

この状態が作れると、尾骶骨(尻尾)を使って動くことができるようになります。
「尻尾を使う?」は、またの機会に。。。m( _ _ )m
by takeichi-3 | 2010-01-24 23:53 | 太極拳理論 | Comments(2)

ジェット・リー。。。ドキュメンタリー


香港のテレビ局が制作した、ジェット・リーのドキュメンタリー映像発見。
彼が生まれ育った北京市西城区の映像や、
「二歳の時に父親を亡くしたジェット・リー。二人の兄と二人の姉~身体の弱かった母親は、政府の補助を受けながら、毎日、彼をおんぶして電車(トロリーバス)の切符売り場で働いていた~」



1972年山東で開催された全国武術大会。僅か9歳だった彼の表演は、人々に驚きを与えました。
この時、優勝に相当する特別賞を獲得。
「この偉業を新聞で知った瀋陽に住む、ジェット・リーの母方の家族たちは、“家族の中に、ようやく傑出者が現れた”と喜びの手紙を送った。」

鋼鉄は一日にして錬成されるものではない。
ジェット・リーは、小学校一年生の時、武術訓練校の教練から“武術苗子=将来有望”として、一千人いる生徒選手の中から選出された。

「頭も良くて、我慢強くて、どんなことでも真面目に取り組んだ。動作を覚えるのは誰よりも早かった。彼は、私たちが要求する武術の内側に含まれている精神をも見事に表現した。」

武術館の中で過ぎていく子供時代。足に怪我を負った時、母親は、「もう、練習は止めなさい。」と、、、

才能を惜しんだ教練は、「君はもう大人だよね。何を選択してもいい。きっとうまくやることだろう。でも、英雄にならなければ。訳のわからないものになってはいけない。」と言い、立ち去っていた。

「老師が去った後、もう練習しなくてもいいのか。。。何をしてもいいと言われた。けれど、最後の言葉~クズになるか、英雄になるか~絶対に英雄だ。」

超アバウトですが、、、こんな内容になります。

で、その後。。。ホワイトハウスで表演をしたり~、本当に天才少年だったようです。


by takeichi-3 | 2010-01-23 23:47 | 太極拳 | Comments(0)

食について。。。


お寿司をゴチになりました。(--)v

f0007580_2226458.jpg思いがけない盛り付けで登場した生春巻。
中味は、レタス、アボガド、エビ、マグロ赤身。

そして、アナゴの一本握り。
何といっても、お寿司は “日本>北京” です。f0007580_22274179.jpg


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f0007580_22373770.gifパクってしまいましたが、、、
食について、面白い記事を見つけました。とても長いです~((((((/-_-)/



食事に“美味しい”は要らない?―ガソリン補給のためだけに食べる人々
食事は私たちの生活の基盤をなすものですが、食生活にはその人の生活の様子が如実に反映してくるものです。

「うつ」の方々の治療を行なう中で、クライアント(患者さん)に食生活の内実を仔細にうかがってみると、その人が「うつ」に陥る背景となった問題点がそこに象徴的に表れていることがわかります。
そこで、食生活という観点から、現代人が陥りがちな不自然な状態について検討してみたいと思います。

「同じもの」を食べ続ける人々
昼食は、いつも同じカップ麺を食べていた。
毎朝、同じファミレスで同じモーニングセットを食べ、昼は数か所のランチを延々とローテーションし、夜はいつもコンビニ弁当を食べていた。このように、「同じもの」を延々と食べ続けるような食生活になっている人が案外少なくありません。

このような食生活を続ける人にとって、食事はいわばガソリン補給のようなものになっていて、その都度「何を食べようか」と考えること自体が面倒に感じられるので、メニューが必然的に固定化してしまうようです。

「生き物の最大の特徴は、その即興性にある」
このように固定化した食生活では、まさにその即興性が失われてしまって、「死んだ」食事になってしまっていると言わざるをえません。しかも、このような食生活になっている場合には、その料理の内容自体も、冷凍やフリーズドライなどのプロセスを経た料理で済ませていることが多いようです。

しかし、料理とは単にカロリーや栄養を補給するためだけのものではなく、いわば「魂の食べ物」でもあるわけですから、たとえ栄養分析的には同じものであっても、その作られる過程において「心が尽くされたもの」であるかどうかという点は重要です。つまり、それが「生きた」料理であるかどうかは、それがいかにして作られたものなのかによって左右されるものなのです。

その意味で「死んだ」料理ばかりが続いても、そこに違和感を覚えないというのは、生き物としてはかなり不自然な状態に陥っていると考えなければなりません。つまり、「生きた料理」か「死んだ料理」かといった「質」の判断が行われていないというのは、知らず知らずのうちに、自分が機械のような「死んだ」状態に近付いてしまっていることを表しているのです。

人間の身体に、足し算引き算は当てはまらない
健康のために、毎日必ず○○を食べるようにしています。
不足がちな栄養素を、きちんとサプリメントで補っています。
これらは一見、とても健康に配慮しているように思える発言なのですが、しかし、そこで実際に行われている食行動自体は、必ずしも適切なものだとは言えません。

ここで問題なのは、「足りないものは補い、過剰なものは摂取を控える」といった足し算引き算レベルの算術的発想を無批判に信奉している点と、「毎日必ず」という形で、生き物の即興性を無視した固定的な「習慣」に縛られている点です。

このような考え方が流布されたのも、そもそも西洋医学が初歩的な算術的発想を基盤にしがちであり、また現代の栄養学もそれにならって同様の発想になってしまっていることに原因があると考えられます。
食事に“美味しい”は要らない?

「ガソリン補給のためだけに食べる人々」
このような算術的発想は、人間という生命体を機械と部品のように捉えた「死んだ」人間観にもとづいていることに留意しなければなりません。

動物には、基本的にある程度は必要な成分を合成する力があるので、草食動物がタンパク不足になったり、精進料理を食べているお坊さんが栄養失調になったりはしないものです。

たとえば、糖尿病や肝機能障害を内科医に指摘され、食事制限をするよう言い渡されている方が、逆にその食事制限がストレスになって経過が芳しくないことは珍しくありませんが、そんな方にあえて「本当に食べたいものを喜んで食べる」ように勧めてみたことがあります。通常の内科的発想ではあり得ないと思われるかもしれませんが、この方法できれいに治ってしまったケースを、私は実際にいくつも経験しています。

もちろん、これは安易に一般化すべきことではありませんが、要点だけを言えば、「量」だけの算術的発想のところに「本当に食べたいもの」「喜んで」といった「質」の観点を導入して、その人の閉塞的状況を打開したということなのです。

人間の身体を機械と見なした算術的発想からすれば、私の行なったアドバイスは一見非常識なものに見えるかも知れませんが、しかし、むしろ人間の精神の存在を度外視してしまって、足し算引き算の発想でしか問題を捉えられないことが問題なのです。

つまり、なぜそのような身体疾患が出現したのか、その人が偏った食生活に陥っていたのはなぜか、といった精神生活も含めた全人間的な視点で問題にアプローチすべきなのであって、これを行わずして、通り一遍の機械論的人間観にもとづいて「量」的な食事制限を行なっても、うまくいくはずはないのです。

身体に良いから……という本末転倒
これ身体にいいらしいから、食べてみない?
こういった食べ物の勧め方も、今日では決して珍しくないものになっていますが、現代人の食生活が「頭」優先になってしまっていることが、こんなところにも表われています。

この場合の「身体にいい」というのは、栄養学的知識にもとづいた価値判断です。しかし、栄養学的知識だけでは、人間を機械として固定的に捉えてしまっているので、即興的で動的な生き物として捉える視点が不足しています。

真の意味で「身体にいい」ものとは、「頭」の仕入れた知識などによらずとも、本来は「心」(=「身体」)側が「食べたい」という自然な食欲の形で教えてくれるものです。「身体」は、その日その時の体調に合わせて、その時に必要なものを間違いなく教えてくれるものなのです。

本来の「心」(=「身体」)が発する自然な食欲は、毎日同じものを食べたがったり、過剰に何かを欲したりしないものです。たとえば、寒い日には体を温めるものを欲し、暑い日には体を冷やしてくれるものを欲するようになっていたりと、見事なバランスを発揮してくれるのです。

哲学者ニーチェも、次のように述べています。
わたしの兄弟よ、君の思想と感受の背後に、一個の強力な支配者、知られない賢者がいるのだ、――その名が「本来のおのれ」である。君の肉体の中に、かれが住んでいる。君の肉体がかれである。
君の肉体のなかには、君の最善の知恵のなかにあるよりも、より多くの理性がある。

このように、われわれの「身体」とは、「頭」の理性などをはるかに超えた、信頼に足る見事な判断を行なってくれる場所なのです。

「美味しい」を信じる
われわれの味覚や嗅覚は、そのとき「身体」が必要とするものに対して「美味しい」とか「いい香り」というように「快」を感じるようにできています。

たとえば、漢方薬を風邪のように半日から一日単位で「身体」の状態が変わっていく病態に用いてみると、ひき始めの急性期にふさわしいクスリ(葛根湯など)はその時期には好ましく感じますが、発汗を経て急性期が過ぎるとあまりおいしくは感じられなくなります。

つまり、クスリ自体はまったく同じものであっても、「身体」の状態が変化することによって、その感じ方はダイナミックに変化するのです。

これは、食べ物全般についても当てはまることで、私たちの食欲は最も正確にその時の「身体」が必要とするものを「食べたい」として教えてくれ、そしてそれを食べて「おいしい」と「身体」が喜ぶようにできているのです。

ただし、「私は○○が好物だ」「もったいないから食べてしまおう」「高価なものだから食べよう」といった「頭」由来の「偽の欲求」が関与している場合には、食欲がそのノイズによって撹乱させられてしまい、この原則が当てはまりませんので、注意が必要です(「偽の欲求」を見分けるコツを大まかに言えば、固定的・打算的・人間関係への配慮など非生理的な要素の混入があるかどうかという点にあります。

「身体にいいから」は、身体に良くない!
現代人の食生活に関する問題は、これ以外にも多々あげられますが、いずれも問題のエッセンスは共通しています。それは、本来の「身体」によって食べる食生活が軽視されてしまい、不完全な知識に振り回されて、「頭」で食べるような食生活になってしまっているということです。

特定の知識や習慣に振り回されることは、それが部分的にはどんなに「正しく」見えても、即興性を持つ動的な生物としての人間にとっては、決して常に「正しい」とは言えないということを、私たちは知っておかなければなりません。

TVなどで「○○が身体にいい」となれば、その食品が急に市場で品薄になる現象もあるようですが、しかし、少なくとも大自然にある食材はことごとく何らかの意味で、われわれの「身体にいい」ものであるはずです。むしろ、そのような一面的知識に振り回されて、自然な食欲を無視して同じものを食べ続けるほうがはるかに有害なのです。

大切なことは、私たちがその時の自分の「身体」が何を欲しているのかという声を歪みなく聴き取れるように、日々心掛けることです。つまり、「今、自分は食べたいのかどうか?」「今、自分は何が食べたいのだろう?」といった感じで、自分の「身体」にていねいに耳を傾けてみるのです。

「身体」の声が聴き取れる状態とは、先ほどの図で言えば「頭」と「心」(=「身体」)の間の蓋が開いているような状態に相当します。これが、精神的にも身体的にも最も自然で好ましい人間の状態です。

「うつ」のみならず人間の不健康な状態とは、「頭」が独裁的に肥大化し、「心」(=「身体」)を無視したことによってひき起されるものです。私たちの日常の基本である食生活で、「自分の食欲に耳を傾ける」というささやかなことを心掛けるだけでも、自分自身のバランスは少しずつ自然な調和を取り戻してくれることになるのです。
by takeichi-3 | 2010-01-22 22:49 | いろいろ | Comments(4)