北京で太極拳

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陳小旺老師による、陳家溝①。。。

陳小旺老師が語る陳家溝の色々。。。



陳式太極拳発祥の地、河南省温県陳家溝。
住民の姓の殆どが「陳」。山西からやって来た祖先が、ここに住みついてから六百年。
第九世祖「陳王廷」が拳を創って以来、血筋の男子のみに伝えられた陳式太極拳が外に伝わることはありませんでした。

第六代宗師「陳長興」の時に、その例は破られて「楊露禅」を外姓弟子としました。
楊露禅は河北永年県の貧しい家の生まれ。武術が好きで紅拳に精通していました。

陳家溝で楊露禅が練習していた小院の持ち主は、楊露禅の故郷永年県で太和堂薬点を営んでいた陳徳瑚のものです。貧しかった楊露禅は、幼い頃から働いていました。

当時、牛や馬の世話をしていたという楊露禅は、あちこちで訓練をしている人たちの動きを見ては記憶し、見よう見まねで練習していたのでしょう。誰も、彼が武術をこなせるとは思っていませんでした。彼が命がけで拳を盗んだという故事に根拠はありません。

夜になると村人に拳を教えていた陳長興は、ある夜、誰かが盗み見しているのに気付きました。
「誰だ!?」
と大声を張り上げると、楊露禅が駈けだしてきました。
「お前が練習をしているのを見たことはないが、どうして出来るのだ?」
「主人の反対を恐れていたので、人の動きを見覚えて毎日毎日一人で練習していました。」

楊露禅に好感を持った陳長興味は陳徳瑚に相談。
「この子は好い子だ。仕事が終わったら、皆と一緒に練習に参加しても構わない。」
と許可しました。

楊露禅の才能を認めた陳長興は「拳不出門」という戒律を破り正式な弟子とします。
陳長興の心がこもった指導の下、十数年の苦練を続けた楊露禅は全ての拳を取得。
道光年間には、武式の武禹襄の紹介で北京に赴き皇貴族に楊式太極拳を広めることになります。

陳家溝のある地域は、昔から戦いが止むことがないところでした。
「得中原得天下⇒中原(夏、殷、周三代が都を置き中国文化の発祥地とされる黄河中流域を中心とした地域)を得るものは天下を得る」と言われていた場所。黄河の北側にはもう一つの武術の聖地、少林寺があります。

武術家の家に生まれた陳小旺は、幼い頃から武術訓練を初めました。
青年期は社会的に混乱していた時代。15歳の時に父親を亡くしていた家中で、彼は重要な労働力でした。農作業でなく木工を選んだのは農業より体力を使わないと思ったため。なんとか、武術練習をする体力を残したいと考えたからです。が、木工作業は農作業よりも重労働。その上、木工作業に対して周囲の人たちは賃金を払おうとはせず、食べ物を与えてくれるだけでした。労働で身体は疲弊しきっていましたが、家に帰っても横になることはしませんでした。疲れで朝まで眠ってしまうからです。少し坐って~落ち着いてから練習に励みました。

祖父は「陳発科」、父親は「陳照旭」
父の功夫も優れていました。陳百仙がよく語っていたことですが、、、
父が陳立子の家に出かけた時、握手をしようと手を差し出すと陳立子は父の腕を取って捻ってきました。父は、とっさに相手を脚が梁に届くくらいに高く投げ飛ばしました。陳立子が頭から落ちてくるのを父が受け止めたそうです。
by takeichi-3 | 2011-03-31 23:55 | 武術各派 | Comments(0)

香港明星による義援ソング。。。

ジャッキー・チェンが呼びかけて、
香港の芸能人たちが参加して義援ソング≪不要輸給心痛≫を録音するとは聞いていましたが、、、

出来あがった≪無懼風雨≫その詩の内容にビックリ!!!

4月1日の夜。
香港ビクトリア公園で、百人以上の芸能人が集まる慈善コンサートが開かれるそうです。


by takeichi-3 | 2011-03-30 23:39 | 中国映画音楽 | Comments(1)

不射之射。。。

今日は、韓国式お好み焼きを作ってみました。
具は、冷蔵庫にあった青葱とシメジ~シンプルだけど美味に仕上がりました。

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生地は簡単。
小麦粉と米粉(白玉粉や片栗粉)150g(3:1~4:1の割合)に卵1個と150ccの水を加えて滑らかになるまで混ぜます。

フライパンにごま油を入れ、具を混ぜた生地を薄く焼くだけ。
餃子のタレをつけて食べました。

牛や豚肉、海鮮を入れても美味しくなるそうです。


上海美術電影が制作したという≪不射之射≫という人形アニメを見つけたのですが、、、
日本の作家、中島敦の短編小説「名人伝」が原作になっているそうです。



【物語】
紀昌は、天下一の弓の名人になろうと師を探していた。
遠くからでも柳の葉を一枚ずつ射落とすことができるという腕を持つ飛衞に弟子入りを申し出たが、
「弟子になるには未熟である。瞬きを止めることができるようになってから来なさい。」
と言われ家に帰った。

妻の機織り機の下に仰向けになって、来る日も来る日も見続けた。
二年の後には、目を開けたままで熟睡できるようになり、蜘蛛が睫毛に巣を張っても瞬きをすることがなかった。これに地震を持った紀昌は、再び飛衞の下を訪れた。

飛衞は、
「瞬きをしなくなっただけでは十分ではない。この小さな字が見えるか?小を見ること大の如く、微を見ること著の如くとなったら来るがよい。」と告げた。

家に帰る途中、物乞いから虱を買った紀昌は、それを妻の髮の毛で繋ぎ窓に吊るした。
日々、終日見続けた。三年の月日が流れた或る日、虱が馬ほどの大きさに見えるようになっていた。

早速、飛衞の元に向かうと、飛衛は、喜んで、射術の奧儀秘傳を余す所なく紀昌に授け始めた。
紀昌の上達は驚く程速くて、一か月余りで全てを取得した。

本来、天下一の弓の使い手に成りたかった紀昌、
「師の飛衞がいる間は、自分は天下一にはなれない。何とかして、除くことは出来ないか」
という気持ちが生じ始め、そのチャンスを狙うようになっていった。

ある日、向うから一人でやってくる飛衞が遠くに見えた。
意を決した紀昌が矢を取つて狙いをつけると、その気配を察した飛衞もまた弓を取って応じた。
二人は互いに射続けたが、矢は中間で衝突して地に落ちていった。が、飛衞の矢が先に尽きてしまった。この時、紀昌には一本の矢が残っていた。紀昌は最後の矢を飛衛に向けて放ったが、飛衞は歯でコレを止めた。

矢の尽きた紀昌は正常心を取り戻した。飛衞は互いの技量に満足しこれを許し、師弟は和解した。
飛衞は、
「これ以上の上達を望むのなら、西方にある霍山の頂に住む甘蠅老師を尋ねるが良い。老師の技に比べれば、我々の射は赤子も同然。」と伝えた。

紀昌は直ぐに西に向って旅立った。
辿りついた処に現れたのは、これということのない老人。
老人に自分の腕を見せようと空に向けて矢を放つと、一矢で5羽の鳥が落ちてきた。

それを見た老人は、
「素晴らしいが、それは射之射。まだ不射之射は知らない。」と言った。

老人は、紀昌を絶壁の上に連れて行った。
脚下は断崖絶壁。その断崖に、不安定な形で置かれている石に飛び乗った老人は、
「この石の上に乗って、も一度やってみてくれ。」と、、、

老人と代り紀昌が石に乗ると、石は微かにグラリと揺れた。
なんとか、矢を放とうと頑張った時、石の下にあった小石が転がり落ちてグラリ~、紀昌は立っていられず、這いつくばってしまった。

老人は笑いながら、再び石に乗ると、、、素手で弓を構える恰好をして、空に見えない矢を放った。
驚いたことに、鳶が落ちて来た。

九年の間、紀昌はこの老人の許で修行を積み帰って来た。
戻った紀昌の顔つきを見た人々はその表情の変化に驚いた。
以前の負けん気に溢れた面影は消えて、何の表情も無い木偶のような容貌になっていたのである。

飛衞を訪ねた時、飛衞は一見すると同時にひれ伏した。

天下一の名人になって戻つて来た紀昌の技を目に出来ると期待していた人々だが、紀昌は一向に弓を持とうとはしなかったので、人々の間には、却って色々な噂が飛び交った。

時を経るに従って、紀昌からは、ますます感情が失われ静かになっていった。
ある時、知人に招かれてその家に出かけて行った。家に入ると、見憶えのある道具が壁にかかっているのを見つけた。それが何だったのか思い出せない紀昌は、「あれは何か?」と尋ねた。

初め、主人は冗談を言っていると思い笑っていたが、二度、三度と真剣になって尋ねる様子に、ようやく冗談ではないと気付き、
「自分が使っていた弓を忘れてしまったのですか!?天下に名だたる射手が、その使い道も~」
という言葉を発した。
by takeichi-3 | 2011-03-29 23:57 | いろいろ | Comments(1)

推手套路。。。呉阿敏

3月中、公共施設を利用している夜間練習の全てが休みとなっていますが、、、
今日、4月も又、会場が使えないので休みになるという連絡が入りました。

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少しは動かないと~と自主練に出向くことに。
以前と変わらずに開催されていた“八の日”縁日に~ホッ!

練習場所の公園。。。帽子に、自分で作ったという草のバッタやキリギリス、草履などを付けたオジさんに遭遇。

桜の開花が宣言された東京。
大きく蕾が膨らんだ桜の樹に咲いていたのは、鳩。
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呉阿敏老師の推手套路。
“四正手”などの説明は、これからUPされるようです。


by takeichi-3 | 2011-03-28 23:38 | 太極拳・武術動画いろいろ | Comments(0)

WORLD HOUR。。。ドニ・イェン新作≪関雲長≫

電気の節約が呼び掛けられている昨今ですが、、、
昨日3月26日、午後8時半から午後9時半の一時間にわたって灯りを消す≪Earth Hour≫という世界的な催しがあったようです。「地球温暖化を考える」が主題。

夜間の節電に対する周囲の人たちの感想は、、、
「今まで、無駄に明るすぎたような気がする。今くらいで十分よね。」
確かに。。。節電ではあっても、今の東京~北京よりも明るいです。


中国≪地球一小時≫のキャンペーンソング。≪关一盏灯≫




間もなく中国公開になるドニー・イェンの≪関雲長≫のメイキング。
今年のドニー・イェン、他に2作品の武術映画を撮り終えているそうです。
ジェット・リーも二作の武術映画を撮影中~タイトルは、≪白蛇伝≫&≪太極≫
ジャッキー・チェンは、≪楊門女将≫の制作中。


by takeichi-3 | 2011-03-27 23:56 | 中国映画音楽 | Comments(0)

戳脚(cuo jiao)。。。CHINESE KICK BOXING

北京中央電視台の番組≪走遍中国≫、色々な武派を紹介してくれて最高です。(#^_^#)
今回は、“北腿”の代表でもある“戳脚”拳。



清の時代嘉慶18年、朝廷の監獄内。
反乱を起こした天理教(八卦教)のリーダーの一人である粛宁戳脚の祖師≪馮克善≫が、牢獄を蹴破るという大胆な方法で脱走。

戳脚は、脚の攻撃力が優れている武術。
その功法は、映画の中でも多く見かけます。≪少林寺≫の中、主人公が練習している脚法も戳脚。

≪水滸伝≫の中に出てくる武松は、自分より大柄な蒋門神を脚技(玉環歩、鴛鴦脚)で倒します。
これらは、戳脚の基本的な脚技。

水滸伝が≪施耐庵≫によって著されたのは明代。
ということは、本来の戳脚は六百年前から存在していたことになりますが、今回は、馮克善が脱獄以降に広めた粛宁戳脚二百年の歴史を探ってみます。

何故、脚技を多用するのかについては、河北省粛宁が平原だったことが理由に挙げられます。
身を隠す木立が無かったので、草叢に身を屈めた姿勢でも戦える攻撃を考えたようです。

戳脚の練習は、地面を擦るように蹴る、爪先も攻撃を仕掛ける~や、武松から伝わった玉環歩や鴛鴦脚。そして、練習場に埋め込まれた丸太を蹴って脚力を強化するという祖師の脱獄に由来する訓練などがあります。

コーチの≪苗暁蘭≫は、第六代弟子。
四年前から参加している全国武術大会では、毎回金牌を獲得しています。
誰もが、最近の武術大会は表演が主流で中身が無い~というように感じていますが~

蹴る時には、穿透力(節節貫穿)、整体力(周身一致)が必要。
映像に現れる、常識を超えた脚力は祖師より伝わったものなのでしょう。

農暦の9月18日になると、粛宁戳脚の弟子たちが集まって二百年来の歴史を持つ拝祖師を行います。

馮克善は、北京故宮に攻め入った反政府運動を首謀した犯罪者。
故宮は清王朝の心臓ともいえる場所。多くの衛兵が守っているのに、簡単な武器を手にした二百人の農民たちが討ち入ったのです。これは、「卵を以て石を打つ」と言われるような行為です。

このようなことは、漢、唐、宋、明時代にはありえないことでした。
この騒動を起こしたのは、天理教(八卦教とも呼ばれた)という組織。故宮宦官の数人が協力したこともあって押し入ることができたのに、折悪しく皇帝は不在。結局、掴まり、牢獄に繋がれました。

農民蜂起が失敗した場合、そのリーダーたちは統治者によって処刑されるというのが歴史の倣い⇒死は免れない.どころか、脱獄などあり得ない、北京から逃げおおせない~という常識が破られたのです。

≪清史搞≫には、逃亡後に掴まった首謀者三人のうちの二人、林清と李丈成は掴まって処刑。
一緒に脱獄した者たちも同じ運命をたどったと記載されていますが、馮克善に関する記載はありません。ただ、粛宁に伝えられている書物の中だけに祖師と記載されたものが残っているだけです。

≪清史搞≫に名前の記載が無いのは何故?
この事件は、清朝にとっては大きな恥となる出来事だったからです。
攻め込んだ農民の数は百~二百という説と十数人だったという説があります。
ただの農民が、朝廷の腕利衛兵を破って攻め入ったうえ、脱獄~捕縛すら出来なかったのですから。

粛宁の人たちは、自分たちの拳は馮克善が脱獄後に住みついたこの地で広めたと信じています。

農民たちは、お腹一杯に食べられればそれで良いというような考え方を持っていましたが、、、
嘉慶年代、農民たちは飢えていたのです。

そして、この事件から間もなく~弟子たちは再び戦うこととなります。
ある組織が河北からやって来て、共に西洋人と戦う仲間を集めに来たのです。

ある組織⇒≪義和団=梅花拳の趙三多が首謀者だったことから“梅花団”と呼ぶこともある≫

この事件を描いている映画“神鞭”
近代武器を手にした西洋人に対して刀や槍が役立たなかった中国人たちが、辮髪を鞭のように使って効果を上げたことから、このタイトルが付けれました。

映画の背景となっているのは天津ですが、同時多発。
河北でも多くの戳脚老師が立ち上がりましたが、どんなに脚を駆使しても西洋人の武器には敵わず~独自の長槍、羅四槍を創りだしました。

この使い方は、蛇の動きの特徴を参考にしています。
明時代の武術家“威継光”による兵法書≪紀効新書≫で著されている槍の使い方、後手は槍の根部を持つ=“最も長い状態で使う”という常識を覆し、後ろ手は、根部から二拳分のところで握ります。

蛇は、頭を攻撃されると尾で抵抗します。尾を攻撃されると頭で抵抗します。中間を攻撃されると頭と尾で攻撃~その動きを利用して槍を扱うのです。
by takeichi-3 | 2011-03-26 23:55 | 武術各派 | Comments(0)

中国無形文化遺産≪梅花拳≫

立てた丸太の上を歩く梅花桩の訓練風景で知られる≪梅花拳≫

何故、梅花拳という名前が付けられたのか?
梅花拳は、周易八卦を基に陰陽五行を合わせて≪邹宏義≫が創りだした拳法。
①梅花は、冬の終わり~春なる前に咲く花⇒「先知先覚」=「先备先用」⇒先に発し先に制す。
②基本型が五勢(大勢、順勢、拗勢、小勢、敗勢)があった⇒梅の花びらと同じ数。



梅花拳が盛んだったのは、于冀南邢台広宗~平郷県と威県一带。
ある時、村人が古い民家を取り壊していると、何時の物かは分らない古い書物(根源経)が出てきた。
その中に梅花拳の来歴や今まで誰も目にしたことがないような武器についての記述があり、梅花拳の発祥と発展などの理解を深めるのに役立った。

明末から清初の頃、
≪邹宏義≫が河北から江蘇省徐州銅山に行き武芸を取得。
故郷に帰ろうと思いたち、先ず弟子の蔡光瑞に様子を見に行かせたが、乱世ということもあり生家を見つけ出すことが出来なかった。已む無く、蔡光瑞は于冀南邢台市平郷県后馬庄に居を定めることにし~、当地で取った弟子の李進徳、徐進徳、王玉徳の三人を遣わして邹宏義を呼び寄せた⇒三徳請師⇒この四人が北に向かう時、一台の特別な一輪車を押していた。普通の荷車を装ってはいたが、多くの武器が組み込まれていた。


梅花拳には套路はなく、基本となる五勢の変化(方向や角度)によって動く。
攻防の特徴は“快=速”⇒变化灵活、出神入化⇒先知先覚、先备先用⇒一手で倒す。

平郷県には、梅花拳が乾隆帝を救ったという伝説が残っています。
張从富という弟子が北京に出向いた時、ゴロツキたちが一人の村人を叩いているのに遭遇。自慢の梅花拳で戦い救いました。この村人、実は庶民を装った乾隆帝。張从富に感謝した皇帝は仕官させようとしましたが、彼は出世することよりも民間に拳を普及をすることを望みました。これに感動した皇帝が与えた褒美の一つが、今も残っています。
by takeichi-3 | 2011-03-25 23:56 | 武術各派 | Comments(0)

1950年代の太極拳。。。北京

1950年代に撮影されたという太極拳の映像。
場所は、中山公園っぽいのですが、、、



登場するのは、
李尧臣(最後の用心棒:無極刀の創始者)
陳照奎(陳式)
孫剣雲(孫式:孫禄堂の娘)
汪永泉(楊式)
楊禹廷(呉式)
李秉慈(呉式)

一番手は、李秉慈老師。
以下は、拳の特徴から判別してください。


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これは、李尧臣(1876~1973年)の写真。
18歳の時に、北京で一番大きな镖局(運送局)に勤務。
当時は、金銭などの輸送もしていたので腕の立つ武人を雇っていました。

交通機関の発達に伴い、1921年に镖局が解散したのを期に27年務めた镖局業務から離れ、天橋水沁亭に“武術茶社”を開設。この会は、武術を習うのも見学も無料。ただし、お茶を注文する~というシステム。
この頃、京劇の名優“梅蘭芳”に覇王別姫での剣の指導をしたり、西遊記内の猿拳指を指導したりもしました。

西太后の前では八仙喜寿剣を表演技。その武功を絶賛した西太后は「長虹宝剣」を授けたとか、、、
解放后には、毛主席の前でも武術表演を行いました。

李尧臣は河北冀県李家庄人。
政治が腐敗し、社会が不安定な時代に育ちました。そんな状況から、自衛の意味も兼ねて武術を習う人が多く、各村々には練拳場が出来ていました。当時、彼が習ったのは“太祖拳”

镖局に勤務する人たちは全て師弟関係で結ばれていて、北京でも最大といわれていた李尧臣の働き口友镖局では千人余りが功夫で稼いでいました。李尧臣の師父は宋彩臣、師叔は鲁玉璞、他に王芝亭、王福泉、胡学斌など武芸は高く、用心棒としての名を轟かせていました。

李尧臣がここで身に付けた拳は、三皇炮锤,六合刀、大槍、三十六点,二十四式など武芸十八般。
その他に、水上功夫、水里短家伙、雁月刺、峨眉刺、梅花状元筆等々、水陸の功夫を身に付けたばかりではなく、暗器⇒斤镖(镖の重さが一斤)、緊背花装弓、飛蝗石等。軟硬功夫に飛廂走壁、蹿房越脊(屋根に飛び上がり、屋根伝いに逃げる)などもこなしました。
※ほとんど、忍者の世界~(#^_^#)。。。

これだけの武芸者。数多くの武勇伝を残しているようですが、、、
彼が生前に口述したという書籍「最后的镖王」が出版されています。
by takeichi-3 | 2011-03-24 23:53 | 太極拳 | Comments(0)

北京の澡堂(銭湯)。。。中国人間国宝俳優≪朱旭≫

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北京の新聞に載っていた、≪澡堂=銭湯≫の記事。

≪双興堂≫は、
北京市南苑拆迁区にある築百年になろうかという“老澡堂=老舗銭湯”
北京庶民の“澡文化”を継承している最後の場所ともいえる存在なのですが、ここにきて、取り壊しが噂されるようになりました。

経営者の熊志忠は、なんとかこの澡堂を保存しようと非物質文化遺産への登録を申請したのですが、、、


この双興堂は、中国映画の名作≪洗澡=こころの湯≫の撮影に使用された場所でもあります。
澡堂を経営する老いた父親と知恵遅れの次男、家業を継ぐのを嫌って都会で暮らしている長男を中心とした内容ですが。。。北京の澡堂の様子がよく分る映像です。



北京の澡堂、、、
お湯に浸かるとはいえ、日本の銭湯とは様相が異なるようです。

常連の張大爺は、毎朝午前十時になると自転車にタオルと石鹸が入ったプラスチック製の籠を乗せてやってきます。澡堂につくやいなや、広間のソファーに座りお茶を飲み始めます。そのうちに他の常連たちも次々にやってきます。受付のオバサンとは気心が知れた仲。歯に衣着せないオバサンに、「あんた、まだ66歳だっていうのに頭は禿げあがって歯も抜けちゃって、88歳って言っても疑われないわよ。」と言われても、大爺は、ただただ笑うだけ。お茶を飲み終えると、湯に浸かるため腰を上げます。

張大爺が上がってくる頃に、王大爺が来ていました。
王大爺は、ここ双興堂の創始者王双奎の孫。近所に住んでいます。

「王大爺も常連さ。それから、ドアの外にいる背中に荷物を背負っている人。あの中には食べ物と飲み物。殆どが弁当持参でやってきて、まる一日過ごすんだ。」

かつて、北京っ子の娯楽と言えば、
一に天橋の茶館で漫才や雑技を楽しむ。二に澡堂で湯に浸かる。

けれど、現在天橋の入場料は高くなり過ぎて庶民の場所ではなくなり、唯一残された澡堂。
とはいえ~昔ながらの澡堂は徐々に少なくなって、现在は双興堂だけ。

入場料は八元。王大爺が語るには、常連は十数人。
毎朝五時半頃に家を出て、夕方になると帰っていく。广安门、广渠门的、天通苑などから、ある人は片道二時間もかけてやって来ています。近所に住んでいる張大爺が帰るのは、午後十一時過ぎ。

映像から見てとれるように、お湯に浸かる以外にも楽しみが沢山あるようです。


≪洗澡≫で父親を演じていた≪朱旭≫は、中国の人間国宝。
≪变脸=この櫂に手をそえて≫、世界各国で高い評価を得ています。
跡継ぎの男の子が欲しかった変面王が買ったのは、実は女の子~~~


by takeichi-3 | 2011-03-23 23:17 | 中国映画音楽 | Comments(0)

太極拳の練習方法。。。

≪太極拳秘境≫
陳式、和式の「白鵞亮翅」~と、練習方法。



(陳式)
主要な攻防は二種類あります。
一つ目は、相手が打ってきたのを防いで~膝蹴り⇒分手堤膝
二つ目は、上に上げ、下に押さえ、一歩進んで肩で靠する⇒分手肩靠

(和式)
和式の特徴は、円走(手も足も円を描きながら動く)
相手が打ってきたら、その力に従い弧を描きながら従い~化して発。
三種類の発が可能です。


年月の経過とともに、どのように太極拳を伝えていったらよいのか?


(陳式)
太極拳の歴史をみると、波がある。
ピーク時⇒練拳人が多い=レベルが高い
低調期⇒練拳人が少ない=レベルが低い
伝わる伝わらないは、套路は問題にならない。套路は一日でも作れるし、、、
大切なのは練功法。どのようにしたら熟練出来るのか。
練功とは、規範を学ぶことであって、技を学ぶのではない。規範の精度が上がるに従って自然に熟練してくる。千回万回繰り返すと、功は巧(技)の域にたっする。
老師によって得意技が異なるのは、練功を通して手に入れた巧だから。

【練習の基本】
太極拳は基本が大切です。早朝の公園で高齢者が行っている太極拳は動作規格は二の次になっています。これは、指導者が正しい拳の基本を身につけていないことが原因です。

(楊式)
俗説で、「太極十年不出門」と言われていますが、、、この言葉に対して間違った解釈がされています。

緩慢、連貫柔和な太極拳の動きを見ると、一見、誰にでも出来る簡単な運動だと思われがちですが、
実際は、腰功、腿功、旋転、バランス、跳躍などを要求されるので、充分に身体を鍛えなければなりません。筋力があればあるほど、動作が豊かになります。

(陳式)
丹田を核とし成しています。「一動全動、節節貫穿、一気貫通」という運動体系。

(呉式)
連貫で大切なのは、動作と動作の間を感覚(意識)が繋げているということ。
相手の力を詠めなければ、相手の力を受け止めて、その力を化(無)することは出来ない。

(孫式)
「快打慢、慢打遅」を研究しています。
放松していれば、一番早く動けます⇒「最快就是放松」

(和式)
拳の三原則
①スムーズで勢いがある。
②自然にゆったりとしている。
③柔中求剛

(武式)
功夫⇒時間:全ての劲は、放松から生産される⇒発力は一瞬。

【訓練方法】
(楊式)
最も重要な練習には、動態・静態という方法があります。
動態⇒套路の中にある動作の一つを選んでの重複練習⇒単式練習
静態⇒よく見かけるのは、開立歩から起勢を利用したもの。
この目的は、静かな状態の下で自分自身の感覚を研ぎ澄ます為。
関節、心、呼吸を整ます⇒松沈が大切。

それから身法。
立身中正か?含胸~背中は抜になっているか?両腕は円いか?膝関節は爪先を超えていないか?
体が整えられてくると、身体には松であると同時に膨満した感覚が生まれてきます。
こういった練習に時間を費やしていくと脚力がつき⇒「下盘穏固、上盘軽灵=下半身が安定して、上半身の動きが活発になる」となります。
身体が放松すると、精神は研ぎ澄まされます。

動作に呼吸が合ってくると、自然に気沈丹田となります⇒内外結合⇒内外相合。

(武式)
時間を費やした練功がないと、功夫は得られない。
爆力の練習=基本功。これが足りないと得られません。
大竿練習は内劲と腕の力を増強させます⇒自在に使えるようになる=整体混元。
基本の動作⇒磞、挑、合、按

(和式)
同じ時間に、同じ動作を百回以上~を百日積み重ねる練習を集中して行う。
短期間ではあっても、老師(良い老師は必需)からのアドバイスに従って正しい形と用法を繰り返すことで内劲が生じてくる⇒内外結合。体力もつきます。

【初心者】
(楊式)
初心者は、まず、套路を覚える。

(陳式)
動作をきちんと把握する。要求(身型など)を理解する。目的(用法)を知る。

(武式)
王宗岳、武禹襄、郝為真などが著しているように、拳理に照らし合わせた練習⇒守る規範。

(呉式)
注意深く真面目に苦練を積む⇒規範に厳しく。

【まとめ】
太極拳の運動規律に則った練功を積み重ねていけば、功夫は現れてくる。

基本功は地味ですが、役に立ちます。
練習を積み重ねるに従って、自分の内側から、次から次へと新しい感覚が生まれてきます。
太極拳は一生楽しめる運動です。
by takeichi-3 | 2011-03-22 23:55 | 太極拳理論 | Comments(0)