北京で太極拳

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何を食べる?。。。(o^0^o)Ψ

一流アスリートたちが試合前に摂る食事。。。健康志向かと思ったら、そうとは言えず。
ウサイン・ボルトは、マックチキンナゲットを20個とか。。。



栄養バランスとか、食事には気を使う方ですが~時折、高カロリー食品摂取が抑えられなくなります。

「食欲があるっていうのは、内臓が丈夫なのよ。食べられるってことは元気の証。抑えるっていうことがストレスになって、体調を崩すことも。多くの病気の原因はストレスっていう説もあるから」
と、、、気功に参加している人生の諸先輩たちが言っているのを聞いて~
以前、丸ごとコピーしたことがある文章を思い出しました。


f0007580_22365423.giff0007580_22373770.gif今日も又、過去ブログ。。。
食について~長いですが、面白いです。。。((((((/-_-)/

食事に“美味しい”は要らない?―ガソリン補給のためだけに食べる人々
食事は私たちの生活の基盤をなすものですが、食生活にはその人の生活の様子が如実に反映してくるものです。

「うつ」の方々の治療を行なう中で、クライアント(患者さん)に食生活の内実を仔細にうかがってみると、その人が「うつ」に陥る背景となった問題点がそこに象徴的に表れていることがわかります。
そこで、食生活という観点から、現代人が陥りがちな不自然な状態について検討してみたいと思います。

「同じもの」を食べ続ける人々
昼食は、いつも同じカップ麺を食べていた。
毎朝、同じファミレスで同じモーニングセットを食べ、昼は数か所のランチを延々とローテーションし、夜はいつもコンビニ弁当を食べていた。このように、「同じもの」を延々と食べ続けるような食生活になっている人が案外少なくありません。

このような食生活を続ける人にとって、食事はいわばガソリン補給のようなものになっていて、その都度「何を食べようか」と考えること自体が面倒に感じられるので、メニューが必然的に固定化してしまうようです。

「生き物の最大の特徴は、その即興性にある」
このように固定化した食生活では、まさにその即興性が失われてしまって、「死んだ」食事になってしまっていると言わざるをえません。しかも、このような食生活になっている場合には、その料理の内容自体も、冷凍やフリーズドライなどのプロセスを経た料理で済ませていることが多いようです。

しかし、料理とは単にカロリーや栄養を補給するためだけのものではなく、いわば「魂の食べ物」でもあるわけですから、たとえ栄養分析的には同じものであっても、その作られる過程において「心が尽くされたもの」であるかどうかという点は重要です。つまり、それが「生きた」料理であるかどうかは、それがいかにして作られたものなのかによって左右されるものなのです。

その意味で「死んだ」料理ばかりが続いても、そこに違和感を覚えないというのは、生き物としてはかなり不自然な状態に陥っていると考えなければなりません。つまり、「生きた料理」か「死んだ料理」かといった「質」の判断が行われていないというのは、知らず知らずのうちに、自分が機械のような「死んだ」状態に近付いてしまっていることを表しているのです。

人間の身体に、足し算引き算は当てはまらない
健康のために、毎日必ず○○を食べるようにしています。
不足がちな栄養素を、きちんとサプリメントで補っています。
これらは一見、とても健康に配慮しているように思える発言なのですが、しかし、そこで実際に行われている食行動自体は、必ずしも適切なものだとは言えません。

ここで問題なのは、「足りないものは補い、過剰なものは摂取を控える」といった足し算引き算レベルの算術的発想を無批判に信奉している点と、「毎日必ず」という形で、生き物の即興性を無視した固定的な「習慣」に縛られている点です。

このような考え方が流布されたのも、そもそも西洋医学が初歩的な算術的発想を基盤にしがちであり、また現代の栄養学もそれにならって同様の発想になってしまっていることに原因があると考えられます。
食事に“美味しい”は要らない?

「ガソリン補給のためだけに食べる人々」
このような算術的発想は、人間という生命体を機械と部品のように捉えた「死んだ」人間観にもとづいていることに留意しなければなりません。

動物には、基本的にある程度は必要な成分を合成する力があるので、草食動物がタンパク不足になったり、精進料理を食べているお坊さんが栄養失調になったりはしないものです。

たとえば、糖尿病や肝機能障害を内科医に指摘され、食事制限をするよう言い渡されている方が、逆にその食事制限がストレスになって経過が芳しくないことは珍しくありませんが、そんな方にあえて「本当に食べたいものを喜んで食べる」ように勧めてみたことがあります。通常の内科的発想ではあり得ないと思われるかもしれませんが、この方法できれいに治ってしまったケースを、私は実際にいくつも経験しています。

もちろん、これは安易に一般化すべきことではありませんが、要点だけを言えば、「量」だけの算術的発想のところに「本当に食べたいもの」「喜んで」といった「質」の観点を導入して、その人の閉塞的状況を打開したということなのです。

人間の身体を機械と見なした算術的発想からすれば、私の行なったアドバイスは一見非常識なものに見えるかも知れませんが、しかし、むしろ人間の精神の存在を度外視してしまって、足し算引き算の発想でしか問題を捉えられないことが問題なのです。

つまり、なぜそのような身体疾患が出現したのか、その人が偏った食生活に陥っていたのはなぜか、といった精神生活も含めた全人間的な視点で問題にアプローチすべきなのであって、これを行わずして、通り一遍の機械論的人間観にもとづいて「量」的な食事制限を行なっても、うまくいくはずはないのです。

身体に良いから……という本末転倒
これ身体にいいらしいから、食べてみない?
こういった食べ物の勧め方も、今日では決して珍しくないものになっていますが、現代人の食生活が「頭」優先になってしまっていることが、こんなところにも表われています。

この場合の「身体にいい」というのは、栄養学的知識にもとづいた価値判断です。しかし、栄養学的知識だけでは、人間を機械として固定的に捉えてしまっているので、即興的で動的な生き物として捉える視点が不足しています。

真の意味で「身体にいい」ものとは、「頭」の仕入れた知識などによらずとも、本来は「心」(=「身体」)側が「食べたい」という自然な食欲の形で教えてくれるものです。「身体」は、その日その時の体調に合わせて、その時に必要なものを間違いなく教えてくれるものなのです。

本来の「心」(=「身体」)が発する自然な食欲は、毎日同じものを食べたがったり、過剰に何かを欲したりしないものです。たとえば、寒い日には体を温めるものを欲し、暑い日には体を冷やしてくれるものを欲するようになっていたりと、見事なバランスを発揮してくれるのです。

哲学者ニーチェも、次のように述べています。
わたしの兄弟よ、君の思想と感受の背後に、一個の強力な支配者、知られない賢者がいるのだ、――その名が「本来のおのれ」である。君の肉体の中に、かれが住んでいる。君の肉体がかれである。
君の肉体のなかには、君の最善の知恵のなかにあるよりも、より多くの理性がある。

このように、われわれの「身体」とは、「頭」の理性などをはるかに超えた、信頼に足る見事な判断を行なってくれる場所なのです。

「美味しい」を信じる
われわれの味覚や嗅覚は、そのとき「身体」が必要とするものに対して「美味しい」とか「いい香り」というように「快」を感じるようにできています。

たとえば、漢方薬を風邪のように半日から一日単位で「身体」の状態が変わっていく病態に用いてみると、ひき始めの急性期にふさわしいクスリ(葛根湯など)はその時期には好ましく感じますが、発汗を経て急性期が過ぎるとあまりおいしくは感じられなくなります。

つまり、クスリ自体はまったく同じものであっても、「身体」の状態が変化することによって、その感じ方はダイナミックに変化するのです。

これは、食べ物全般についても当てはまることで、私たちの食欲は最も正確にその時の「身体」が必要とするものを「食べたい」として教えてくれ、そしてそれを食べて「おいしい」と「身体」が喜ぶようにできているのです。

ただし、「私は○○が好物だ」「もったいないから食べてしまおう」「高価なものだから食べよう」といった「頭」由来の「偽の欲求」が関与している場合には、食欲がそのノイズによって撹乱させられてしまい、この原則が当てはまりませんので、注意が必要です(「偽の欲求」を見分けるコツを大まかに言えば、固定的・打算的・人間関係への配慮など非生理的な要素の混入があるかどうかという点にあります。

「身体にいいから」は、身体に良くない!
現代人の食生活に関する問題は、これ以外にも多々あげられますが、いずれも問題のエッセンスは共通しています。それは、本来の「身体」によって食べる食生活が軽視されてしまい、不完全な知識に振り回されて、「頭」で食べるような食生活になってしまっているということです。

特定の知識や習慣に振り回されることは、それが部分的にはどんなに「正しく」見えても、即興性を持つ動的な生物としての人間にとっては、決して常に「正しい」とは言えないということを、私たちは知っておかなければなりません。

TVなどで「○○が身体にいい」となれば、その食品が急に市場で品薄になる現象もあるようですが、しかし、少なくとも大自然にある食材はことごとく何らかの意味で、われわれの「身体にいい」ものであるはずです。むしろ、そのような一面的知識に振り回されて、自然な食欲を無視して同じものを食べ続けるほうがはるかに有害なのです。

大切なことは、私たちがその時の自分の「身体」が何を欲しているのかという声を歪みなく聴き取れるように、日々心掛けることです。つまり、「今、自分は食べたいのかどうか?」「今、自分は何が食べたいのだろう?」といった感じで、自分の「身体」にていねいに耳を傾けてみるのです。

「身体」の声が聴き取れる状態とは、先ほどの図で言えば「頭」と「心」(=「身体」)の間の蓋が開いているような状態に相当します。これが、精神的にも身体的にも最も自然で好ましい人間の状態です。

「うつ」のみならず人間の不健康な状態とは、「頭」が独裁的に肥大化し、「心」(=「身体」)を無視したことによってひき起されるものです。私たちの日常の基本である食生活で、「自分の食欲に耳を傾ける」というささやかなことを心掛けるだけでも、自分自身のバランスは少しずつ自然な調和を取り戻してくれることになるのです。
by takeichi-3 | 2014-06-30 23:53 | 中国映画音楽 | Comments(0)

諸先輩に倣う。。。

福本先生58歳時。。。71歳で夢を叶える。。。




≪叶問≫の長男、≪叶準≫1924年生まれ。。。
2010年、≪叶問前伝≫に出演して、上海映画祭にて助演男優賞を獲得。。。




10歳の頃から映画に出演していた、洪金宝。。。
60歳前に出演した≪叶問2≫ではアクション監督も務め、詠春拳と洪拳の戦いをこなしています。


by takeichi-3 | 2014-06-29 23:57 | 中国映画音楽 | Comments(0)

撑力。。。

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昨日のTAMASABUROサマの立ち姿に現れていた“八面支撑”。
中国老師によっては、“膨脹”と“撑力”という表現をします。
文字数的には少ないのですが、詳細に説明するとなると~
一講座開けるくらいの内容があります。


以前、ブログに載せた文章を改めて。。。

八面とは方向⇒東,南,西,北,東南,東北,西南,西北(易学の方位で表現することもある)
太極拳を立体円とみなすと、それは前後、左右、上下、両斜角という八つの方向に向かう対称的な力によって支えられています⇒意識をもって、腰を中心として八つの方向とそれに相反する方向へと向かう線(劲力)が協調するようになった状態⇒“八面支撑”

この八条線の始点(中心)から発せられる相反(対称)する方向に向かう力(ベクトル)の強弱は同じでなければなりません。この八方向の出発点は中定点と称されています。この中定点より上下に延びる軌跡は人体の重力線です。

八面と称されているけれど、内側をより充実した球形にしようとするなら、八条線は三十二条線、六十四条線、一百零八条線と無限に増え続け、いつか「“無形無象,全身透空”⇒筋肉や骨格によってではなく意識(劲力)で身体を支える。鍛錬によりベクトルは無限に大きくなる⇒宇宙と同じ大きさ⇒一体化~((((^^;」と、なりうるのです。

これは太極拳の劲力を考える上での基本的な要求です。
但し、この力を利用するためには太極拳十要の完成がなければなりません。“八面支撑”は身法を考える上での基本です。

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私たちが軽視してはならない事柄の一つに“命門と腰=背中”の働きがあります。

太極拳は陰陽が対立する運動。
手が前に行く時、後ろ方向に必ずそれに呼応する力があります。後ろ方向に力が無いまま、ひたすら前に向かうとバランスは崩れてしまいます。


どんな動作あっても、前に行くときには背中の一点には必ず後ろに働いている力があります。
風船で例えるなら~息を吹き込む時、前に膨らむ時には必ず後ろにも膨らみます⇒バランスがとれている⇒力も作用も平衡⇒ただひたすら前にだけ膨らむということは風船ではありえません⇒人体においても~前に向かう力(相手への攻撃)だけを考え、後ろに向かう力を考慮しないとバランスが失われます。

練習中に命門や腰、背中を忘れたらどうなるでしょう⇒前に移動しているにすぎません。
身体が前傾してしまう~例えば、搂膝拗步でこんな格好になったとしたらどうでしょう?
命門・腰は後ろに向かわせます⇒背中全体が弓(圓)状になります。

※以降、老師が「抱虎帰山」などの動作を利用して違いを見せてくれています。

太極拳の要求は、膨脹(ポンジャン)=四方に拡張していく力。
前に向かう時には後ろに向かう力がある=協調。
両手を前に出す=背中が張る。
左右の手が分かれている時に、それぞれの手にも力の協調が表れる。

この後、生徒の動作がありますが、、、楊式府内派。かなり個性的です。(((((((((((^^;

結論
動作を行うときには注意深く、前後左右の相反する力(膨脹)を考慮してください。


by takeichi-3 | 2014-06-28 23:58 | 太極拳理論 | Comments(0)

古典鑑賞。。。(#^_^#)

若い頃は、全くその魅力が分からなかった地唄舞。
動き出す前の立ち姿の中には「八面支撑」が見られるし~「主宰于腰」「一動無動」「節節貫穿」と、次々に太極拳の要求が頭に浮かんでくる動き。。。その上、華麗なビジュアル。





中国古筝の名曲≪高山流水≫をBGMに使用しているアニメ≪絶弦≫
弦~その余韻を楽しむものだという気がした今日。。。



伯牙は春秋時代の古筝の名手。
船で遠出した中秋の夜、樵の鍾子期に出会う。伯牙が一曲弾くごとに、鍾子期はその曲の内容と、そこに込めた伯牙の気持ちを言い当てた~二人は船上で兄弟の契りを結び、一年後の再会を約した。

翌年の中秋、伯牙は約束の場所で演奏していたが、鍾子期は現れず。。。
既にこの世を去っていた鍾子期。亡くなる前に、自分の魂が伯牙と会えるよう、約束の地近くの岸辺に埋葬させたことを知った伯牙は、その墓前で琴を弾いた後、「鍾子期がいなくなり、誰が私の筝の音を理解してくれるだろうか」と、古筝の弦を切り壊してしまった。
by takeichi-3 | 2014-06-27 23:48 | いろいろ | Comments(0)

台北故宮博物院。。。

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今週から東京国立博物館で台湾故宮博物院展が開催されていますが、、、
白菜を見に行くか~ちょっと、惹かれています。

展示作品。。。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1647#top


f0007580_23434485.jpg台湾故宮博物院、展示作品を親しみやすくアピールしている広告映像がシリーズ製作されていて~第47回ヒューストン国際映画祭で、グランプリ賞2本、金賞2本、銀賞1本を受賞しています。
メインとなるキャラクターは、窯白瓷「国宝娃娃」

元代の画家≪黄公望≫が八十歳を超えた頃、浙江省富陽で3~4年をかけて描いた≪富春山居図≫
宋代の書家≪黄庭堅≫の七言詩≪花気薫人帖≫。。。不揃いな大きさの字が作者の心境を表現。
イタリアのキリスト伝道師≪Gluseppe Castiglione≫が中国で描いた≪百駿図≫




古画≪清明上河図≫⇒台北故宮博物院に収蔵されているのは、全長1152,8cmの作品。
映像では、清明節に墓参りに向かう行程での町の様子が描かれています。。。


by takeichi-3 | 2014-06-26 23:54 | いろいろ | Comments(0)

山西省太原形意拳。。。

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形意拳が盛んな地域の一つ、山西省太原での形意拳交流表演会。
10歳から91歳、総勢150名が参加。
良い雰囲気の映像です。




f0007580_23172027.jpg中国ネットで見つけた、北京での形意拳師匠の写真(黒上着)は、同門の劉敬儒老師の収徒式に出席した時のもの。
現在、日本体育大学に交換留学中の武冬老師(北京体育大学武術版副教授)と雑談している時に、この師匠の話が出て~老師も劉偉老師(呉式)に誘われて練習に行ったことがあると~でも、ひたすら三体式をやらされるだけだったので一度で止めたとか~(^^;

「私は、初めて超伝統的な習い方が出来て良かったです。毎日、毎日、劈・劈・劈~同じ動作を繰り返して」
「もっと要領よく学習できる方法があると思うけど」
「ん~練習を重ねていたら、ある日突然、自分の内側から劈拳は劈(斧)だっていう感覚が生じてきて~初めて練功の価値を実感できたし、70年の長きに亘って練功を続けてきた師匠への畏敬の念が湧いてきたし」
というような、やり取りがありました。

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今週に入って、師匠の容体が悪化しているという連絡が入りました。
来週末は北京~お見舞いが許されるとよいのですが、、、
by takeichi-3 | 2014-06-25 23:46 | 武術各派 | Comments(0)

太極宗師。。。七大高手

今日届いた雑誌、中華武術六月号の表紙は、≪呉京≫の結婚式の写真。。。
呉京~といえば、TVドラマの太極拳宗師~と、七大高手との戦いシーンを見ていましたが、、、

①金風腿。。。



②不倒金剛。。。


③苗強棍王。。。


④開碑霹雳手


⑤東嬴忍者。。。


⑥酔踏九州。。。



七番目は、八卦掌の名手~薫漢成。
by takeichi-3 | 2014-06-24 23:55 | 偉人たち | Comments(0)

LION DANCE映画。。。

若者向けの舞獅映画が、マレーシアとシンガポールそれぞれで製作上映されましたが、、、
多分、どちらも日本では公開されないのでは。。。
≪南獅≫。。。梅花桩の上で行われるので≪北獅≫よりも迫力があって、面白いです。、

マレーシアの世界的にも最強舞獅団≪関聖宮≫の実話を元に作られた映画。。。




現代的な発想の舞獅が登場するシンガポールの≪The Lion Men≫




全編、UPされてます。。。(((((^^;


by takeichi-3 | 2014-06-23 23:53 | 中国映画音楽 | Comments(0)

預備式(無極站)⇒動静相兼。。。楊禹廷

このところ、楊禹廷(呉式)老師の故事を読む機会が多くなっています。
人格、技術に優れていると、誰もが絶賛している老師です。



自分が受け継いだ技術を後世へ正しく伝えていこうと、書籍なども数々残していますが、、、
≪楊禹廷先生太極拳問答≫という文章があって、≪預備式≫の大切さを説明しています。

太極拳は、「動静相兼」「身心双修」な功夫。
太極拳は「心」という条件の下で行われる運⇒疲労した中枢神経を調整改善する効果が得られる。
練習の始めに預備式を行うと、雑念が払われ、頭の中が静かになり~全身は、「松静」「気沈丹田」となり~意識により動作を導くことができるようになる⇒かつては「無極勢」と呼ばれていた站(桩)式⇒「精神集中」「周身松静」「無思無慮」を求める。

初心者たちが、直ぐに「安静」な状態になるのは難しいが、身体が「周身舒松平静」となった後に型の練習を始めると、意識の通りがよくなる。

太極拳の套路(動き)を河水に例えると、預備式は水源⇒「澄源清流」⇒水源の水が混濁していると、そこから流れ出す水も混濁してくる⇒流れが悪い⇒水源を澄ませば、全ての水は自然と清冽な流れとなる。

初心者にとっても上級者にとっても、準備式が「静」で行われることは重要。


楊式ですが、、、預備式の形を説明しています。。。



両足は並行に~肩幅と同じ幅~爪先は前方向、外側にひらいたり、内側に入ったりしない~両足の幅も、肩幅より大きかったり、小さかったりしない~身体は自然に、「含胸抜背」「虚領頂頸」、背中が丸くなったり、胸を張ったりは間違いです~自然に、松肩な状態で立ってください~頭は真っ直ぐ、顎が上がったり、俯いたりしないで前を向く~両腕は身体の両サイドに。
by takeichi-3 | 2014-06-22 23:58 | 太極拳理論 | Comments(0)

武術パフォーマンス。。。中華武岳功夫団

この剣表演凄い!!!
と思ったら、以前にも紹介したことがある≪中華武岳功夫団≫



様々な表現方法により見事なパフォーマンスを提供するグループ。
中国の文化と伝統を国内外に広く伝えていくと共に、欧米の現代舞台芸術様式を取り込んだ新しい感覚の「少林ストリートダンス」とも呼べる武術套路を創りだした。

メンバー全員が十八般武芸に精通していて、童子功、鉄裆功、鉄布衫、頭開銅板、羅漢撞く鐘、乱槍刺身、少林絶技二指禅等の硬気功もこなす。

≪団員募集要項≫
f0007580_23425822.gif身長165cm以上。
年齢16歳~25歳。
武術歴一年以上⇒武術を愛しているのであれば、レベルは問わず。


扇子。。。




仏尖。。。


by takeichi-3 | 2014-06-21 23:48 | 太極拳・武術動画いろいろ | Comments(0)