≪用意不用力≫
太極拳練習の中ではかなり難しく感じる理論ですが、、、
実は、私たちの誰もが日常生活で行っている動作でもあります。
棚の上に置かれたお皿を取ろうとする時、「お皿を取ろう」という意識が何の滞りも無く手を棚へと向かわせます。肩や腕が緊張することも~筋肉に力が入ることもありません。
太極拳=「自然」と称されている理由の一つです。
六要: 用意不用力
⇒筋肉の力(拙力)による運動動作ではなく、意識に支配されて行われる運動動作。
意識を通すためには、全身が松開でなければなりません。
それゆえ、太極拳運動では放松が重要視されているのです。
松開であれば、身体は緊張したりダラ~と萎えたりはしません。
顶头悬(頂頭懸)によって頸椎、脊椎、胸椎を松開⇒尾闾を収める⇒腰骨を松開にする。
沈肩垂肘によって肩肘関節を松開⇒手指関節をも松開にする。
松腰、松胯によって、踝や足指関節も松開にする。
全身の関節が節節松開=節節貫穿となって、初めて内劲が通る(表れる)ようになります。
重心移動⇒虚実の変化も意識の先導で行われなければなりません。
動作練習を重ね、熟練してくるにつれて意識の伝達は細緻なものになっていきます。
長期にわたって意識による(筋肉に因らない)練習を続けていると、气血の通りが良くなり延命効果がえられます⇒中医理論でいう"通りが悪ければ痛む、通れば痛まない。"
※不用力は不用劲ではない。
全ての過程動作は勿論、定式时であっても劲と意は貫かれている。
中国の養生太極拳サイトで見かけた文章。
太極拳サイトと、微妙に異なる表現の太極拳論。
放松と心静
身体放松には心が静かでなければなりません。また、身体が放松していると心は自然に静かになります。体松と心静は互いに欠くべからざる要素です。
体松と心静という状態で太極拳を行うと、自分自身を見透すことができるようになります⇒内気外散にならない(=内練一口気)⇒一切の雑念が無くなり、集中が高まり、穏やかで安定感が増し、自他の変化を落ち着いて感じ取ることができるようになります。
意と気
太極拳の運行法則⇒用意識導引行動=≪意気君来骨肉臣≫≪用意不用力≫
これらの意味するものは、意識による身体の統合。
≪没有意,只有形=意識が無く形のみ≫=体操。
太極拳であるなら、どんな時でも全ての動作は意念に支配されていなければなりません⇒意を用いて気を運行させ、気によって身体を動かす⇒意識によって関節を押し広げ、関節が押し広げられることによって放松した筋肉にスムーズに気血が流れるようになる⇒健康的効果も得られる。
攻撃動作(開)で、「意念を出して」と言われると、ともすると脳(感情)を始点として力点となる部分に意識を走らせてしまいがちですが、、、
経過動作(合=吸気)で吸い込んだ酸素を意識を使って丹田に送り込む⇒吸い込んだ酸素をコントロール(意念を使って)しながら丁寧に丹田から力点へと送りだす⇒意識は腰の後ろに貼りつけたまま。力点に移動していく直接のものは気であって意識ではありません⇒繰り返し練習することで、酸素運行の中から気が体感できるようになってきます。
※太極拳用語の≪意念引導≫より、気功の≪意的推動≫のほうが状態を捉えています。