1950年代、北京中山公園で練習している武術家たちの映像の中の≪楊禹廷=呉式≫。
中国武術発展に貢献したと評価されている宗師ですが、、、
1887年北京の貧しい家庭の生まれ。体が弱かったので、十歳の時から健身の為に武術を習い虚弱体質を改善。周相臣、趙月山、田風雲、高克興(子明)等の名士師から、十二路弾腿、長拳、黒虎拳、形意拳、八卦掌、太極拳や器械類を学び~武術を専業とし、武壇での名を高めた。
楊禹廷の呉式太極拳の師匠は、≪王茂斋≫
その師は呉鉴泉(父は呉全佑~楊露禅、楊班侯父子に太極拳を学ぶ)
王茂斋に教えを乞うた時、既に多くの師匠たちから様々な拳を学んでいたことで、師匠を転々としている様子を嫌った王茂斋から、「既に十分な功夫を身につけているのだから、来るには及ばず」と拒絶されていたが、高子明のとりなしで、弟子となり~その後、数十年に及び堅持した。
毎朝5時に練習場に向かい~最初に現れ、最後に帰っていく。
中心部から離れた場所への練習に向かう時は、数キロの道のりを単式練習を繰り返しながら進んだ⇒一歩が一つの搂膝拗歩とか~槍は、毎日800回撞いていた。
練習時間は、90歳を越えても守られていた。寒暑、風雨などに影響されることはなかった。
社会の変化と共に、武術も「科学化」「規範化」「合理化」が求められるようになり、その教え方は口数が多く、説明しては自ら動いて見せたので、参加者たちは早く套路を覚えることが出来た。
自分の技術を隠そうとはせず、全てを明らかにしていた。
弟子によると、
「分からないことがあったら私に質問しなさい。難題であればあるほど、お互いに成長できる」
と言っていたそうで、、、
その姿勢は、私の北京で太極拳の老師(宗維潔~孫弟子)にも引き継がれています。