伝統文化は、完成がない。。。と、感じさせられる対談です。
★桂米朝の言葉。。。
落語は、古典芸能のはしくれに入れてもらいましても、権威のある芸術性豊かな数々の伝統芸能と肩を並べるのは本当はいけないのだと思います。「わたくしどもはそんな御大層なものではございません。ごくつまらないものなんです」というと、ちょっとキザな気どりに思われるかもしれませんが、本来はそういう芸なのです。
前にも、「落語は正面きって述べたてるものではない」と書きましたが、汗を流して大熱演する芸ではないのです。実際は、汗を流して大熱演していても、根底の、そもそもが、「これは嘘ですよ、おどけばなしなんです。だまされたでしょう。アッハッハッハ」という姿勢のものなのです。
芸人はどんなに偉くなっても、つまりは遊民(何の仕事もしないで暮らしている人)なのです。
世の中の余裕~お余りで生きているものです。ことに、落語というものは、「人を馬鹿にした芸」なのですから、洒落が生命なのです。
わたしが昔、師匠米団治から言われた言葉を最後に記します。
『芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒がええの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかい、むさぼってはいかん。値打ちは世間が決めてくれる。ただ一生懸命に芸を磨く以外に、世間へお返しの径はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで』