長拳。一般的には、とうに止めている年齢だというのに未だ続けています。
病に臥せた北京の形意拳老師が復活したら、より良い練習が出来るよう体力をつけるのが目的~それは叶わないこととなってしまいましたが、中国の公園等で民間高手老師に遭遇した時、体力(これも功夫)が認められれば快く指導して貰える~ので、そのチャンスを逃さないよう、週一で続けています。
★改めて見直した長拳の基本説明。分かり易い。
示演しているのは「趙長軍」。。。
1978年から1987年にかけて、国内外の武術大会で獲得した金メダルは54枚。十年連続で全国武術男子全能優勝を獲得。「長勝将軍」と称されています。
1960年、陕西省西安市の回族の工人家庭生まれ。1966年、民間武術家「袁玉生」より習武開始。1968年より民間武術家「張俊德」を師とする。1970年、陕西省武術隊に入り、「白文祥」「馬振邦」より専門的な武術訓練を学ぶ。
1980年、映画《神秘的大佛》で武術指導を担当。1982年製作の映画「武当」では主役を演じ~後に数々の映画に出演するが、1990年、故郷陕西省武術隊に乞われて主任コーチに。1991年には「中国西安趙長軍武術院」を設立。ドニー・イェンの指導もしています。
武術を始めたきっかけは、近所の子供たちと喧嘩して負けたのが悔しくて~報復の為。彼の気持ちを支持した父親の助けもあって、民間武師「袁潤生」より習武。
「父は、普通の建築作業員。仕事は辛かったのに、三年以上も毎日送り迎えをしてくれて、家では自主練の相手もしてくれた。経済的に困難だったのに、私に栄養をつけようと、老師の家に向かう途中で、二本の油条と豆浆を食べさせてくれた。自分が食べることはなかったのに」
そんな家族の期待に応えようと、冬夏春秋、雨の日も風の日も休まず通い続けた。ある時、夜に膝の高さまでの雪が降った翌日でさえも老師の門を叩いた。以降、老師も倍以上に熱心に指導。季節に関わりなく、太陽が出ているうちは習武。4年が経った頃、陕西省武術隊のコーチ「白文祥」が家を訪れ、「この子には天賦の才がある。将来有望。専業チームに入らないか」と。
十歳で入隊。70年代初め、相当に貧しかった趙長軍の家。空腹に耐えながら暮らしている中、彼が武術によって名を成すことを支持。家族の為にも優秀な選手にならねばと、艱難辛苦をこなした⇒厳しい練習で踵が切れ出血。靴下を脱ぐには、お湯をかけて皮膚と粘着している血液を溶かしてからとか~柔軟性が不足していたので、開脚のまま押さえ込まれて半日過ごすとか~コーチが自分に課す要求を頑強に粘り強くこなして夢を叶えた。
陕西省武術隊に入る=革命工作に参加⇒每月18元2角の給与が支給された。そのうちの10元を食費として、それ以外の無駄遣いはせず~一年で100元近くを貯め、家族に渡していたそうです。
選手当時のライバルはジェット・リー。香港の映画監督「張鑫炎」が少林寺の主演者を選ぶ時には趙長軍の名前も挙がっていましたが、香港の監督という部分にこだわり拒絶。
な、趙長軍。一昨年の雑誌中華武術主催の講習会「中国名家講堂」で見かけましたが、予想よりも小柄でした。